『いま信長』 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

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私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
“またへんなひとが来てるのよー・・
きょう、ヨーコが仕事から帰って来たらね、あそこに、ほら”

 細君が指差す方向に目を見やるまでもなく、
一目見て、少なくても幕末期なんかよりも遙か以前のいでたちをしたその男は、
どういうわけか、部屋じゅうの座布団を全部集めて、
四隅をすべてきれいに揃えて積み上げたその頂上で、あぐらをかいて鎮座在してイル

(げっ!織田 信長・・?)

 確かにその顔つきは、小学校の社会科の教科書か何かで観た憶えがあるが、
あのテの歴史上の人物の肖像画なんてもんは、得てして美化して描かれているものである
いま目の前に鎮座在している信長公は肖像画よりも若く、あの細くて薄いヒゲもない・・
って云うか、どー観てもそれほど立派には見えナイ(笑)

 織田 信長について書かれた小説や文献は数々あるものの、
ぼくにとっての信長像は、何と云っても中学1年のときに読んだ坂口 安吾の『信長』だ

 司馬 遼太郎の『国盗り物語』は、主に齊藤 道三の娘、濃姫が嫁いでからの信長の、
主に軍事活動記録で、全4巻の単行本の後半約2巻を占めている(前半2巻は齊藤 道三)
その約2巻に約30年間の半生が集約されているものの、
坂口 安吾の『信長』は、その『国盗り物語』1巻と同じくらいの厚さの中に、
桶狭間の合戦に至るまでの若き日(約5年間ぐらい)の信長の、
主に人間的魅力がふんだんに描き込まれている傑作だ

 昭和48年(1973年)度に放映された、NHKの大河ドラマ『国盗り物語』は、
ぼくが観たVERY BEST OF TVドラマのひとつではあるものの、
坂口 安吾の『信長』を読んでいた視聴者に高橋 英樹はなかったと思う
その後の藤岡 弘(このひとは云う迄もなく本郷 猛・笑)でも、松方 弘樹でも、
緒方 直人でも、もちろん木村 拓哉でもナイ

 以前にも申し上げたように、
源  義経には、決してバカではない弁慶をたぶらかせられるほどの美貌と女装、
近藤  勇には、口の中にげんこつを入れられる、それぞれの特技がなければならない
織田 信長には・・
 一般人が観たら“たわけ”にしか見えなかったことを、もはやお忘れか?

 一般人に天才はわからない
だから、織田 信長=偉いひと=高橋 英樹なんていう、矛盾した図式が成り立ってしまう
織田 信長は確かに偉いひとと云うか、凄いひとだったものの、
当時ですら型破りな、一般人の常識から懸け離れた、奇抜な行動力を持った天才であり、
“たわけ”としか呼ばれようがなかったのだ

 かと云って、志村 けんのバカ殿様みたいなモノホンのバカではない
ガキの頃から、林 大学守(だったかな?)を始め、
名門織田家を支えるインテリ層から教育を受けてきた、いちおうセレブなのだ
東京国立博物館には、いまでも信長直筆の手紙が残されていて、
その達筆ぶりからは、どー観ても志村 けんは思い起こされナイ

(しかしまた、今度はとんでもねーやつが来やがったな・・
ったく!いったい何なんだ?うちの押入は!)

 実際にお会いしてみると、坂口 安吾の『信長』に描かれていたその天才肌は、
その奇人というか、変人というか、変態というか、
およそ常人離れした目つきや目配りから感じとれなくもないものの、
積み上げた座布団の頂上で鎮座在しているその姿は、まさしくあほにしか見えナイ
 天才なんかたぶん、まあこんなもんなんだろう

 強いて挙げるなら、
同じ高橋姓でも、同じNHKの大河ドラマでも“太閤記”で信長を演じた、
高橋 孝治のどことなく、は虫類っぽくて、どことなく変態っぽい目つきに近い・・
高橋 孝治は大河ドラマ“天と地と”では武田 信玄も演っているんだけど、
武田 信玄には、は虫類や変態のイメージは全然似合わナイ

“ねえ?あのひと、だれ?”

 現物の信長公の観察に入り込んでいたぼくに、業を煮やした細君が詰め寄る

“誰って・・ 織田 信長公じゃないかと思うんだけど・・”

 そのとき初めて、それまで静かに座布団の頂上に鎮座在していた信長公の表情が、
かすかに動いて、ただひとこと、

“デアルカ”

 とだけ発した

 坂口 安吾の『信長』に依ると、その“たわけ”っぷりの所以のひとつに、
何でもかんでもこの“デアルカ”一言で済ませていた、独自の言語感覚もあるらしい
 何しろ、当時は信長の父親である織田 信秀の大躍進に依って、
名古屋近辺に一大勢力を誇っていた織田家の、いちおう若君さまなのである
部下や廻りの侍従の報告を訊いても“デアルカ”一言で済ませていたことに、
いち戦国武将というよりも、後世では革命家と呼ばれることにふさわしい、
この男独自の徹底的な合理的精神が見込まれよう
やがて、この“デアルカ”は“了解”とか“わかった”だけでなく、
“うん”とか“はい”にも代用されるようになった模様だが、
その代用元である真意を推測する才能に著しく長けていたのが、木下藤吉郎秀吉である

 やがて目の前の信長公は、座布団の山から降りて床に立ち、
演るんじゃないかと思っていたけれど(笑)、懐から取り出した扇子をパッと開いて、

“にいんげえん ごじゅうねん・・”

 と自ら謡いながら舞い始めた
THE ROLLING STONESのライヴで「Jumpin' Jack Flash」が演奏されるような感じだ

“どうしちゃったのかしら?”
“たぶん・・ 考えごとをしているんじゃないかと思う”

 思案に耽ると信長は「敦盛」を舞う、と記されていたのは『国盗り物語』だったか?
たぶん信長公はいま、自分が置かれている立場や状況を推測していることと思われる
 ねこは自分がしていることがわからなくなっちゃうと、
意味もなく毛繕いを始めたてみり、自分の脚や尻尾にじゃれてみたりする
天才には、プリミティヴな動物的本能が残っていたりもするのか?
ほら、動物的カンで一世を風靡した、元プロ野球選手で現巨人軍の終身名誉監督とか(笑)

“なるほどねー”
“何が?”
“血は争えないって云うか”
“だから何の?”
“だって、お孫さんもフィギュア・スケートの選手じゃんかー”
“信成は末裔かも知れないけど、孫じゃねえ!っちゅーの”
(けど、そー云われれば、顔つきがどことなく似ていなくもナイ・笑)

 思案の目処が着いたのか、或いは「敦盛」を途中までしか知らないのか(笑)、
舞い終えた信長公は、再び座布団の山の頂上に戻ると、どかっとあぐらをかいて、
鎮座在し直して、先ほどと同じようにこちらを見据えている

 たぶん、こちらが喋っている言葉すら理解できていないのだろう
無理もナイ・・、約100年前からやって来た、東京出身の土方 歳三さんと、
400年以上前の名古屋出身では、現在の東京と天王星ぐらいの隔たりがある
あたまがわるい男ではもちろんなく、それ相応の教養も相当身に着けているため、
どこか別の国に来てしまっている、ぐらいの感覚でいるのかも知れない・・
(ただし、宣教師のルイス・フロイスから地球儀をプレゼントされるのは、
こんなに若い時期ではなく、もっと後期になってからのことである)

“おい、何やってんだよ?”
“え? ワインでもどうかな、と思って”

 細君は赤ワインのボトル1本と、グラスを3つ持っている

“おいおいおいおい・・”
“え? 何で?
日本で初めてワインを飲んだのはノブナガだって、ヨーコ、TVで観たことあるよ”
“本人の前で呼び捨てにすんな!っちゅーの”

 これまた百姓出身の土方 歳三さんと違って、織田 信長は生まれながらの大名である
衣食住なんてもんはもちろん、歓待なんてもんにも無感覚なはずだ
 だが、そんなことよりも、もしワインを飲まなかったらどうする?
匂いを嗅いだだけで、こんなもん生涯絶対飲まん!とか思っちゃったらどうする?
 日本の歴史が変わってしまうぞ!!!

 ったく、エライもんを持ち出して来てくれたものだ
座布団の山の頂上の信長公は、自らの感情を悟られまいとしているのか、
それでも無表情で、それでも変態的な目つきで、我々のやりとりを観察している

“しょーがんないな・・ よし、貸してみろ”

 お茶の作法でいこうと一瞬思ったものの、この男は確かそーいう無駄をもっとも嫌う
合理的に、明確に、シンプルにことを運ばなければナラナイ・・
グラフィック・デザインみたいなもんである
ぼくは右手に持ったワインのボトルを左手の人差し指で指して、

“これは、ワインです”
“デアルカ”

 よし・・(ほっ・・ 第一関門通過)

“ぶどうから造ったお酒です”
“デアルカ”

 よしよし、やっぱしあたまはわるくないみたいだな・・(第二関門通過)
400年間の時空間と東京と天王星の距離間が多少でも縮まった感じだ
 ただし相手は現世の人間ではなく、常にその命を狙われているゴルゴ13みたいなもんだ
そのへんをよく考えてやらないと、土方 歳三さんほどではないものの、
本人の戦闘能力は0に等しい秀吉と違って、このひとには自らの戦闘能力も充分にある
また、見ず知らずの人間が出したものを不用心に飲むような教育もされていないはずだ

“まず、私が飲みますね”

 ぼくは自分の前に置いたグラスにワインを注いで、ぐびりぐびり、
ぐびぐびぐびぐびと飲み干して見せた

“信長公も如何ですか?”

 作法と云うよりも、危険なものは入ってイナイ、敵ではナイことを示すために、
ぼくは先ず自分のグラスに少量、それから身内である細君のグラスに少量、
それから客人の信長公のグラスに8分めほど注いでから、細君と自分のグラスを満たす・・

“身体にわるいことは何もありません
むしろ健康にいい飲物です”

 ぼくが飲み、その横で細君も飲んでいるのをじっくりと見届けると、
信長公はようやく座布団の山の頂上から手を延ばしてグラスをとり、
ちびり、ちびり、とワインを舐め始めた

“デアルカ”

 そして飲み干すと、空になったグラスを黙ってこちらに差し向ける
何しろ大名なので、我々一般人なんぞに“おかわり!”とか“注げ”すら云わナイ・・
もう1杯お注ぎして差し上げると、今度はそれを一気にぐびぐび飲み干した
どうやら気に入ってもらえたようではあるものの、
“美味い”とか“ごちそうさま”なんていう礼儀も世辞もまったくない
 たぶん、知らないんじゃないかと思う

 信長公はワインを2杯飲み干すと、押入に入って、中から襖を閉めた
そして数分後に、ぼくたちがその襖を開けてみたときには、中にはただ布団とか、
もう何年も弾いていないYAMAHAのDX-7が立てかけてあるだけだった

“よし、これで大丈夫・・”
“何が?”
“あの信長公はやがて、宣教師にワインを薦められることになるが、
そのときに怖がって飲まなかったりしないだろう・・”

“そうかな?”
“何さ?”
“ワインを試しに来たんじゃないの?”

 なるほど!


※文中敬称略