顔 | 元祖!ジェイク鈴木回想録

元祖!ジェイク鈴木回想録

私の記憶や記録とともに〝あの頃〟にレイドバックしてみませんか?

 
 ふと、こんなブログなどという、
 毒にもクスリにもカネにもならない行為にボットウしていると、

“歯、磨いたのー?”とか、
“お風呂はちゃんと肩まで浸かったのー?”とか(笑)、
“あした早いんじゃないのー?”とか、
“ほかにやることがあるんじゃないのー?”とか、
“○○さんにお礼の手紙書いたのー?”などという、
 ぜんぜん楽しくナイ脅迫感に苛まされることがある

 机の上に設置したEPSONのスキャナーの上に鏡がある

 よく女子高校生とかが持っている、鏡面とフタが2つ折りになるタイプだが、
 めんどーくさいので、折り畳んでいることなどはまず絶対になく、
 フタを底部にして、鏡面にホコリが付こうが、ねこの毛が付こうが、
 たばこのヤニで黄色くなろうが、EPSONのスキャナーの上に1年365日、
 常に開いて立てたままにして置いてある

 脅迫感はその鏡の中からやってくる

 部屋にはぼくしかいない
 たまにねこがやって来るが、背が小さいのでそんなところには映らない

 映っているのはぼくの顔には違いないのだが、
 パソコンのモニタに集中しているときなどに、ふと感じたりする視線は、
 あんまし楽しくナイ母親の視線だったりするのだ

 ぼくの顔が母親に似ているのか、そうでないのか、
 母親のほうはともかく、ぼくの顔を横に並べて見較べることが、
 ほとんどなかったと云うか、不可能と云うか・・
 故によくわからないが、どちらかと云えば、
 母親似だと云われることのほうが多いことは多かった

 P社の後輩であり、猫曼陀羅のドラマーでもあったIくんに、
 それまでぼくが使っていた母方の祖母の形見の桐のタンスを、
 横須賀の実家まで運んでもらった帰り道、
 彼は待ち構えていたように大笑いし始めた

“何がおかしいっ!?”
“だって・・ わははは、だって・・ わはははは、
 鈴木さんと同じ顔したバアサンがいた、わはははははは”

 そんなに似ているのか?

 いま、その女子高校生用の鏡でよく観察してみても、
 今度はぼくのほうの顔の各パーツはよく観られたとしても、
 母親のその同じ部分が果たしてどんなふうであったか、
 よく想い出せないでいる

 ただ、髪の毛の質だけは確かに似ている
 母親が現在のぼくの年齢のとき、ぼくは既に18歳ぐらいだったから、
 ぜんぜん憶えていないことではナイ

 母方の葬式や法事に出席すると、おもしろい光景に出喰わす

 母親は9人兄弟姉妹の末っ子なのだが、現存しているのは、
 母親よりも6つ年上の伯母と2つだか3つ年上の伯父だけ・・
 現在生き残っているこの3人の兄弟姉妹は比較的仲が良く、
 そーいう席では何故か各人の連れ合いなどをよそに、
 兄弟姉妹が仲良く並んで席を取り、左側から、
 うちの母親、伯父、伯母と座る順番も常に決まっている

 ぼくはだいたいその1列うしろ辺りに腰掛けていて、
 ああ、母方は神道なので、葬式だの法事だのと云わないのはもちろん、
 坊主ではなく神主が来て“かしこみ、かしこみ”なのだが、
 そんなん訊いているのはタイクツなので、
 目の前に並んでいる3つのあたまを眺めていたりする

 左から母親:BL40、伯父:BL30、伯母:BL20・・
 んー、きれいなグラデーション(笑)

 BL(またはK)はパソコンや印刷などのCMYK法でクロの濃さを示す
 数値が上がっていけばいくほど真っ黒に近く、BL0だと真っ白、
 BL100は通称“スミベタ”で、真っ黒のことを云う

 ちょっち前の葬式(めんどーくさいのでこの名称を使わせて頂く)では、
 このグラデーションがもう少し濃く、左からせいぜいBL60、BL50、BL40だった

 また、何故かこの3兄弟はこれまた何故か3人とも仲良く、
 THE BEATLES時代のジョン・レノンみたいな髪型で統一している
 って云うか、マッシュルーム・カットと云うよりも、カリメロに近いんだけど(笑)
 最近のそーいう席で弟が云う
“お兄ちゃんもお母さんの横に座ったらいい”

 だめだ
 ぼくはまだBL90ぐらいあるので、
 せっかく揃っているグラデーションのバランスを崩してしまう
 それにカリメロあたまなんか絶対にいやだ

 あ!もうひとつあった

 ぼくはそれほど毛深くはないのだが、腕にわずかに毛が生えている
 これを太陽の光にかざすと金色に光るのだが、それが母親と同じ・・
 妹や弟にはそれがない

 母親になることなんて、まあたぶんぼくには生涯ないと思われるが、
 母親はその生涯に於いて初めて産んだぼくを見て(観察して)、
 結構、楽しんできたのではないかと思われる
 腕に生えている毛が光ることなんて、
 ぼくはだれでもそうなんじゃないかと思っていたものだが、
 母親に指摘されて初めて知ったことだ

 また、ぼくの顔や人体をしげしげと眺めて見ては、
“口元がカッペイさん(父親の弟)に似てるねぇ”だの、
“うしろから見ると、ふくらはぎがお父さんそっくりだ”だの、
“耳の前の毛だけは縮れてるのねぇ”

 などなど、自分にはなくて、ぼくにはあるものも発見してきた

 それはたぶん、自分に似ている部分に関しては、
“あたしが産んだんだから、あたしに似ているのは当たり前”であり、
 そうでない部分のふしぎ発見がおもしろかったのだろう

 あ、もうひとつあった

 ぼくの目玉はむかしから黒くなく、鳶色に近い
 母親もまたそうなのだが、そのいろは年々薄くなっている
 よく“目のたまの黒いうちに”と云われるけど、
 ぼくたちの場合は“鳶色が濃いうちに”になる
 
 約45年前、山の土手の中腹にある実家と、
 上の家との間の石垣はなく、ただの笹やぶだった崖を背景に、
 現在の父親の第1書斎もなく、玄関まで一直線に敷かれた、
 両脇に父親が植えた水仙の花が咲くコンクリートの舗道で、
 生後間もないぼくを抱きかかえたモノクロ写真の中の、
 弱冠25歳の母親は何となくだけど、幸せそうに映っている