紫電改ではなく飛燕でした | じゃじゃ婆なりさんのブログ

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気まぐれに書いてみるけれど
どうだろう?

新たに体験談があることが分かった。

姫路の終戦前後の事を書こうとしてるが

解らない事が多いので、書いてから見つけたりする。

その一つ。

川西航空機姫路が爆撃される直前、

戦闘機が上空で翼を激しく振って知らせようとしていた。

米軍の報告書の中で

「”F6F”に似た機体が・・・」という記述から

紫電改と判断したが、

伊丹空港から哨戒飛行に上がった”飛燕”搭乗者(姫路出身)の

手記が、『姫路空爆の記録 第2集』にあった。

「”F6F”に似た機体」の報告はあるので

B29小豆島での変針後、

機の上空を追い越していったのは多分3機編隊の紫電改。

ShinMaywa(元川西航空機)のO.B.の方に聞いてみたが、

即答「紫電改」

 

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 昭和20年6月22日、快晴、
 早朝から飛行隊には警戒戦備乙の指令が出て、私の所属する戦隊では私を含めて数機(陸軍三式戦闘機「飛燕」)が大阪及び和歌山方面の哨戒飛行に上がっていました。
 その後、戦備甲になり戦隊主力も発進しましたが、基地(伊丹飛行場)を発進してから一時間ほど経過して、敵機の進路は潮岬方面ではなく四国方面に向かっている模様であり、従来の阪神空襲のコースとは異なっているように察しられました。
 しばらくして、“高知上空を通過、姫路方面に向かうもののごとし”の情報が基地より入る、戦隊は待避基地に着陸せよとの事でした。
 私の機は燃料が残り少なくなっていて、残念ながら迎撃は困難な状態でした。
 防衛担当空域から外れるのですが、故郷の姫路のこととてひどく気になり、矢も楯もたまらず姫路に向かい、敵機が瀬戸内海に入った事を無線で聞きながら、とにかく姫路上空に高度四千メートル位で進入しました。上空から見る限りでは警報が出ているのかどうか、防空態勢がとられている気配が感じられないまま、また昼間の空襲の事とて恐らく爆弾攻撃であり目標は軍需工場と察し、対爆迎撃が不能の際とて、緊急事態発生の通報手段として、川西製作所、山陽皮革、日本フエルトの上空へ、更に低空約三百メートル(もっと低空だったかも)を南から北へ、反転して二回位、翼を激しく振り(飛行隊では戦闘開始等の際の列機への通報手段の一つ)ながら急旋回しました。
 来襲する敵機を確認することは出来ませんでしたが、依然として地上では防空体制の気配がなく、いっそのこと敵機と間違えられても、機関砲の射撃でもと考えたりしましたがこれだけは思いとどまりました。もう高度をあげることは残燃料の関係で無理のため、やむなく低空飛行のままで三木方面の退避飛行場へ不時着しました。

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********************『姫路空襲の記録 第2集』P13

 

暇な人用************************笑って下され

 中国大陸から八幡製鉄所への爆撃を実行したカーティス・ルメイは一九四五年一月にはマリアナ諸島に来ていた。一九四五年六月二十二日、西太平洋を北上する爆撃機集団があった。彼の指揮する第二十一爆撃集団だ。この日の目標は六か所。呉海軍工廠、三菱航空機玉島製作所、川西航空機姫路製作所、三菱航空機各務ヶ原(かがみはら)工場、川崎航空機各務ヶ原工場、川崎航空機明石工場だ。

 姫路を狙ったB-29五十八機は未明にテニアンを離陸した。行程中間地点にある硫黄島からは護衛機が離陸、並走した。もう四~五日もすれば満月という洋上は月明かりが海面を照らし、朝の近い海原を感じさせた。
 そして、昇る朝日が本州に向かう総数三百七十機越えの『超空の要塞』を漆黒の地獄からこの世にワープさせた。
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 朝八時過ぎ、学校では朝礼が終わり子供たちは教室に入った。そこに警戒警報のサイレンが鳴り響いた。小学生の児童は自宅に帰され、中学生たちは集団で避難した。
 川西航空機姫路製作所では兵隊上がりの若者を中心に五十名程の防衛隊が組織されていた。この日の朝はこの防衛隊員以外には退避命令が出された。
 昭和十八年の『防空施行令』に基き防空体制は整えられてきている。市役所をはじめ、市民は事の成り行きを見定めようとしている。姫路にある其処此処に置かれた殆どのラジオは最新情報を得るためスウィッチが入っている。市長室のラジオも音量が上げられた。
 ラジオは告げた。「高知を北上する敵機がある。」
「・・・・?」
呉の海軍工廠も攻撃対象になっていたのでそのルートの爆撃集団か、或いは三菱航空機玉島製作所ルートの情報だろう。今迄「和歌山(或いは徳島)を北上するB29」という文言に慣れていた姫路の人々には今回の放送は、『違う、うちじゃない。』と思わせた。
 川西航空機姫路製作所では警戒警報から防空警報に変わったサイレンが鳴り響いた。これまで、幾度となくB-29は偵察に飛来してきていたので、彼等はその度に避難行動をとっていた。なので、その場にいた誰もが訓練通りに避難行動をとったのだが。
 ところが、八時半頃には姫路への空襲ではないと判断した人々も出始め、防空壕や避難先から帰る姿もあった。

 九時前、徳島の東端を北上する機影は小豆島の東南東で転進、方位四十度に向けた。この時迎撃機三機が、B-29よりも高い高度を高速で追い抜いて行った。恐らく紫電改だ。鶉野で完成、テスト飛行後の紫電改は、直接パイロット達が引き取りに来ていた。B-29の転進は彼らに目標地点が川西航空機姫路である事を確信させた。
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 小豆島から川西航空機姫路までは七分とかからない。
 爆撃機を追い抜いた紫電改・・・。もしこの段階でB-29を撃墜すれば、広範囲に甚大な被害になることは目に見えている。そのまま爆撃させれば被害は一点に集中する。というのも、B-29の爆撃手にはアナログながら計算機があり、行程や気象などのデータを入力すればどの位置で落とせばよいかが計算され、航空写真と目視で正確な投下が出来るシステムが整っていたからだ。そこから避難さえすれば人的被害は減少させることができる。そう判断する迎撃機の隊長に要する時間は数秒も必要なかった。通信をオンにすると二番機に命令した。
「知らせろ。但し上空三十秒後、即離脱せよ。」


 川西航空機姫路の上空には戦闘機らしい機影がダンスをするように、翼を左右に振ったり上下に動き回ったかと思うと、直ぐに何処かへ去って行った。それを地上から見上げる無反応な空気の中でも気付く者がいた。
「逃げろ。避難しろ。」轟音が近付いてきている。蜘蛛の子を散らすように人が駆け出した。海岸線の対空砲火は届かない。
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護衛機は付かなかったらしい。

緑の部分も違うような・・・よくわからん!!!