2010年3月には、グレコに敬意を表しグレコ臨席の下、カナダの女流監督 Brigitte Huault-Delannoyによるドキュメント映画「ジュリエット・グレコ、≪私は私≫」が、モントリオールのプラス・デザール(Place des Arts)で上映されます。
2011年5月の末に、作曲家ルイ・シシリアーノ(Louis Siciliano)は、最新作「ボンジュール・パリ」をヴォクリューズ県出身の歌手ビシュ(Bichou)と歌ってくれるように申し出ます。グレコはこの申し出を受け入れ、2011年9月に録音。
2011年7月27日、グレコはジュヴェ公園の舞台で、ピアノ(ピアニストはジェラール・ジュアネスト)とアコーデオンの伴奏でヴァランス市フェスティヴァルの閉会コンサートを開きます。
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さて、今日の曲は
「聞かせてよ愛の言葉を(Parlez-Moi d'Amour)」
ジャン・ルノワール(Jean Lenoir)の作詞・作曲で、1930年ルシエンヌ・ボワイエ(Lucienne Boyer)が歌い、大ヒットしました。
1924年、恋人との諍(いさかい)でむしゃくしゃしていたジャン・ルノワールは、その夜インスピレーションが閃き、この曲を作詞・作曲します。ルノワールはその後5年間、この曲をしまい込んでいましたが、デビューしたての若い女性歌手に懇願され、あまり考えもせず渡してしまいます。
彼女はヨーロピアン劇場の舞台でその歌を歌いますが、たまたま居合わせたリュシエンヌ・ボワイエがそれを聞き、すぐにルノワールのもとに行きゼヒその歌を歌わせてくれと頼みます。
そして、曲はフランスだけでなく国外でも大成功を収め、37ヶ国語に翻訳されて歌われることになります。
1931年に創設されたばかりのフランス・ディスク大賞はリュシエンヌ・ボワイエに与えられますが、当時の審査員はコレット、モーリス・ラヴェル、モーリス・イヴァンというそうそうたるメンバーでした。
今日は、先ずジュリエット・グレコ、次に創唱者のリュシエンヌ・ボワイエ、3番目にミレイユ・マティウ、そして最後に日本の誇るシャンソン歌手、金子ゆかりの歌唱を聴いてみましょう♪
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[ 楽譜 ]
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グレコ
リュシエンヌ・ボワイエ
ミレイユ・マティウ
金子ゆかり
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