*聞かせてよ愛の言葉を Parlez-Moi d'Amour(歌詞フリガナ・ 楽譜)* グレコ | ミスター・ビーンのお気楽ブログ

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好きな音楽の話題を中心に、気の向くままに書いていきます。

2008年の終わりから2009年の初めにかけて、グレコはオリヴィア・ルイズ(Olivia Ruiz)とアブド・アルマリク(Abd Al Malik)のテキストに基づいて制作された新しいアルバムの準備にかかります。

2010年3月には、グレコに敬意を表しグレコ臨席の下、カナダの女流監督 Brigitte Huault-Delannoyによるドキュメント映画「ジュリエット・グレコ、≪私は私≫」が、モントリオールのプラス・デザール(Place des Arts)で上映されます。

2011年5月の末に、作曲家ルイ・シシリアーノ(Louis Siciliano)は、最新作「ボンジュール・パリ」をヴォクリューズ県出身の歌手ビシュ(Bichou)と歌ってくれるように申し出ます。グレコはこの申し出を受け入れ、2011年9月に録音。

2011年7月27日、グレコはジュヴェ公園の舞台で、ピアノ(ピアニストはジェラール・ジュアネスト)とアコーデオンの伴奏でヴァランス市フェスティヴァルの閉会コンサートを開きます。


ミスター・ビーンのお気楽ブログ-グレコ2007




さて、今日の曲は

「聞かせてよ愛の言葉を(Parlez-Moi d'Amour)」

ジャン・ルノワール(Jean Lenoir)の作詞・作曲で、1930年ルシエンヌ・ボワイエ(Lucienne Boyer)が歌い、大ヒットしました。

1924年、恋人との諍(いさかい)でむしゃくしゃしていたジャン・ルノワールは、その夜インスピレーションが閃き、この曲を作詞・作曲します。ルノワールはその後5年間、この曲をしまい込んでいましたが、デビューしたての若い女性歌手に懇願され、あまり考えもせず渡してしまいます。
彼女はヨーロピアン劇場の舞台でその歌を歌いますが、たまたま居合わせたリュシエンヌ・ボワイエがそれを聞き、すぐにルノワールのもとに行きゼヒその歌を歌わせてくれと頼みます。
そして、曲はフランスだけでなく国外でも大成功を収め、37ヶ国語に翻訳されて歌われることになります。
1931年に創設されたばかりのフランス・ディスク大賞はリュシエンヌ・ボワイエに与えられますが、当時の審査員はコレット、モーリス・ラヴェル、モーリス・イヴァンというそうそうたるメンバーでした。

今日は、先ずジュリエット・グレコ、次に創唱者のリュシエンヌ・ボワイエ、3番目にミレイユ・マティウ、そして最後に日本の誇るシャンソン歌手、金子ゆかりの歌唱を聴いてみましょう♪










[ 楽譜 ]




グレコ


リュシエンヌ・ボワイエ


ミレイユ・マティウ


金子ゆかり


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