このフルメンバーが揃って、最初のスタジオ入りしたのが、確か1991年2月くらいの事だった。
それ以来、俺たちは週に二回、池袋のスタジオでリハを繰り返したが、演奏はマシになるどころか、日に日に深刻さを増してゆくばかりだった。
問題はいろいろあるが、特に大きいのは勿論、演奏以前の次元だったジョーである。
彼はしばらくの期間をおいても、自分がどれだけまずいのかまるでわかってなかった。
おまけに何より頭に来るのが、それだけ周りの足を引っ張っているくせに、毎回スタジオに遅刻して来ることだ。
鬼島やヨッチはヤツとは違い、この点すごく真面目で、大体時間十分前にはきちんと来ていた。
しかしジョーは30分、40分とあたりまえに遅れ、来てもろくな謝罪もなく、で今度は皆がイライラするぐらい長―い、長― い時間をかけ、念入りにセッティングを始める。
そして自分の苦手なフレーズの一人練習と続き、皆で曲の演奏に入れるのは、スタジオ開始から50分、一時間たってようやくというありさま…。
みんな奴の個人練習に付き合っている訳ではないし、時間も金も本当に勿体無いので、俺はそのつど奴をたしなめた。
だが奴は、「おまえらだって毎回ピッタシに来てるのかよ? 何で俺だけいわれるんだよ!」とその度逆ギレした。
ある時なんか、俺がバイトの飲み会があり、その後で少し酔ってスタジオに行くと、ジョーが、「お前いつも俺に遅刻だとか、迷惑かけるなとかいうけど、なんだお前の今日の態度はよぉ!!!!命かけてやってる神聖なバンドで酔っ払って演奏しやがって!」と、ブチ切れながらからんできた。
俺は酔った勢いもあり怒鳴り返した。
「ふざけるなバカヤロウ!!! 俺は確かに酔っているけど、遅刻してないし、演奏だってテメーとちがってちゃんとできるんだよ!!! それに比べテメーはなんだ!!いつも遅れてばかりで、あやまりも反省もしないし、で来たら来たでいつまでもチューニング!! なんで周りのこと考えないの?? それだけ皆より余計時間取らせるのわかっているなら、せめて少しでも早く来て、埋め合わせようくらい思わないのかよ!情けねぇ!」
これを聞いたジョーは「俺を冒涜しやがった!」とかいきなりわめき出し、ブッ殺すとか言って手もつけられないほど暴れ始めた。
上等じゃねぇか!! やるのかこのやろう!!!
首根っこ掴んで乱闘になりかけた俺たちを、ヨッチが必死になって止めに入った。
この件で、俺はジョーのその甘ったれた根性からまず叩き直してやると思った。
結局奴のダメなベースも、すべてはその根性から出ているのだっ!
だがジョーは言われたことをその後、冷静に考え直してみたのか、それからパタッと遅刻は無くなり、謝罪こそ一切なかったが、やや態度が謙虚になった。
勿論だからと言って、ベースまでが格段に変化した訳ではない。
俺はその後もリハのたび奴に、容赦なく駄目出しをし続けた。
だが、いまいちジョー自身に緊迫感がない。
それに、ヤツとはどうも毎回、会話が噛み合わなかった。
ある時なんか俺が、「そんなただ弾くだけじゃなくて、ロックンロールなんだから、もっとノリを意識してくれよ!!」と言ったら、ジョーはなんと突然、演奏はそっちのけで、くるくる回って踊りだしたのだ。
「おいおい、誰が踊れなんて言ったんだよ!バカじゃねぇの!」と怒ると、「エーッ!だって今、お前ノリがどうのこうの言ったじゃん!だから俺は言われたとおりノッただけだけど!」なんて、真面目な顔で返してくる。
「違うって!!そうじゃなくて、演奏のノリというかさ、疾走感って事! わからないかな?」
「…う~ん、なんかベースって難しいんだな…。じゃあ、そのノリっていうのを教えてくれよ!」
この時は俺は奴を本当に張り倒したくなった。
ある時、俺はヤツにこう言った。
「何でおまえって、自分で研究しようとしない訳?教えてくればっかりじゃなくてさぁ~、自分であせって何とかしろよ!! もう高校生の初心者じゃないのに、今更そんな次元でよくバンドで最高の夢をつかむとか言えるよ!」
俺がこう言うと、奴は面目なさそうにシュンとして、何だか小さくなってしまった。
また一方のヨッチも、ジョーのように演奏そのものがおかしいということはなかったが、さしていいリズム感があるとか、上手いとかいう訳ではなかった。
俺が今まで関わってきた、風間などのドラマーと比較したら、明らかに相当見劣りがした。
この、なんだかショボいドラムに、ベース以前のジョーのデタラメなベースが乗ってくるのだ。
もう、前でギターを弾いていて、合わせにくいのは勿論、気持ち悪いったらありゃしない。
この二人のグダグダなリズムを食らいながら、俺は今まで自分がどれだけメンバーに恵まれていたのか、改めて再認識させられた。
思えば、ビフォア、ルーズ、ハウスにしても、俺は今までのメンバーに、リズムがどうこうとか、そういう音楽的、演奏的な文句や不満は一切付けたことがなかった。
せいぜい、「なんだか今日はテンポが速くねぇ?」と言うくらいで、「こんなんじゃダメダメ!! お話しにならないだろ? やり直しだ!」なんてことはまずなかった。
楽曲が気持ち良く疾走し、グルーヴがあるのは、空気のように当たり前のことだったのだ。
しかし、このメンバーで演奏し始めてからは、かつて当たり前だったことが一度も実現できず、俺はジョーだけではなく、次第にヨッチにも激しく毎回ダメ出しをする様になった。
そしたら、ジョーとヨッチが「今のダメな演奏は俺のせいじゃない、お前だ!!」などと、次元の低い責任転換し合うようになり、お互い無駄に反目する場面が多くなってしまった。
こうして、バンドは日に日に、重苦しい空気になっていった。
人間本位で楽しくやりたいはずだったのに、皮肉にも、気付けば毎回、過去サイアクの雰囲気。
まあ今思えば、ハウスのトラウマが酷かったばかりに、基本がまずあってという当たり前の事を、俺自身スッカリ忘れてしまっていたのが間違いだった。
だが、当時の俺は俺なりに、「今すぐ!」いいバンドにしたいと真剣だった。
少なくとも、ジョリーやカツミなど、他のハウスメンバーのバンドには、絶対負けてられない!!
でも現実は、まるで正反対、センスのかけらもない最低最悪の演奏だった。
そんなメンツを選んだ俺自身の、自業自得のなせる結果なのはわかっている。
しかし、当時はそれを認めたくなくて…、こいつらを意地でも何とか使えるようにするんだと、俺は使命に燃えていた。
そんなあきれる状態で、俺達は無謀にも、初のライヴに望むことになった。
時は1990年3月頃。
この演奏力では、とてもじゃないけれど、それなりのライブハウスでは無理!
そう思った俺は、「試験的に…」という言い訳を作りながら、相当ランクを下げ、高校生バンドが頻繁に出演できるレベルの、ほぼ無名のライブハウスでやることにした。
これまで作ってきた実績を思うと、ホント情けないにも程があったが、下手に今までの伝手を使って無理にいいホールに出て、信用を失うよりはマシだった。
ライブ前日、俺たちは集まって、ミーティングをした。
そこでは何故か、鬼島とジョーが、衣装やロゴ、そしてバンド名などに夢中になっていた。
この二人は演奏になると何処か他人事のくせ、こういうことにだけは本当に真剣になる。
バンド名はいくつもアイデアが出た。
鬼島はハノイロックスのファーストをもじった「エノラ・シェイクス」を提案し、勝手にポスターもその名前で作ってきた。
だが俺はこんなパクリみたいなバンド名は、恥ずかしかったし、それに語呂的にも、いまいちピンとこなかったので、思い切り渋っていた。
すると、英和辞典を見ていたヨッチが、
「今、この中の単語、適当合わせてみたんだけどさ、ジャグノイズってどう? 響きよくない?」
と言ってきた。
「おお、いいんじゃない!!」
ジョーがそれに即賛成し、俺も「エノラ」よりは良いとおもったので、それを採用することにした。
鬼島は不満そうに、「俺は絶対認めたくない!!」と、最後までグチグチ言っていたが、俺は無視して悪いがジャグノイズで押し切らせてもらった。
ライブは勿論、かつてない程ボロボロな演奏だった。
俺はこういう事になるとすでに予想していたので、ハウス関係者には、本当に親しい二、三人を除いて一切知らせてなかった。
だから客は、他の対バン(高校生バンド…笑)の関係者ばかりだったが、なんとこれまた予想外…
ボロボロな演奏はどうなるものでもないので、俺が開き直って客席にダイブしたり、ろくに弾きもせず大げさに走り回ってたり、大阪人のノリで、曲の間にしゃべくりまくったりしていたら、客がえらく盛りあがりだした。
満員の客は、最後は総立ちになり大暴れ!
円陣まで組んで、知りもしないはずの俺達の歌を一緒に唄い出した。
鬼島も、その甘いルックスで女性客の心をつかみ、ライブ後数人の女の子に囲まれていた。
俺には男ばかりが、「いやぁ、人生最高に楽しかったライブでしたよ~!!」と群がってきた。
こうして何だかライブは予想外の結果に終わった。
俺は成長のために、更にライブを重ねることにした。
↑jagnoise結成当初の頃。