はい、前回のお住まいのスタイル続きで~す。


一緒に住む同居人のことを「フラットメイト」と呼んだりします。

メイトは(友達・仲間)という意味ですね。


HOW IS GOING MATE!?

これがオージーの挨拶です。音をカタカナで書くと

【ヘイガンマイ】


となり!!最初は(ははてなマーク えはてなマーク? んはてなマーク?)でした。


フラットは、最低でも2部屋のベットルームがあり、リビングやキッチン・バスは共同で使い、

それぞれベッドルームを自分の部屋として使っていました。
異性の場合でのシェアも多いらしいです。


冷蔵庫の食料などは、お互いが自分の食べ物を買って、「上の段は自分で下の段があなた」みたいに

分けていました。私のフラットメイト(ブライクMR)は、細かいことは気にしない

お気楽なオーストラリア人で、お隣がカナダからの悪党20才の5人組み、

反対隣が同じ歳くらいのオーストラリア人カップルでした。

聞いただけで楽しそうな場所じゃないですか?

それぁ毎日パーティーですよ。

特に隣のカナダ人が悪党で悪党でよくも5人まとめて入国できたよね?と

いうくらいパンチの効いていた5人でした。



気になる家賃ですが「週70ドル」だったと記憶しています。

その時のレートで1AU$=80円くらいだったはずですので、

月¥22,000-くらいです。安いでしょう。


このフラットをどうやって見つけたのか?といいますと、新聞に「フラットメイト募集」というコーナーがあったり、

日本食レストランやお土産屋さんなんかに掲示板があり、そこに掲示されていたりして、

まずは電話で問い合わせ→実際見に行く→話を聞いて決めるという方法が殆どだと思います。

ボクの場合はこの楽しそうな環境で1軒目で即決でした。


フラットが決まった時の興奮というか、わくわく感を今でも覚えています。

ガッツポーズ10回連続(ヨシヨシヨシ!!)みたいな。
ちょっとしたことのようですが、自分でやったことが1つでもうまく転ぶと、

とても嬉しくなって、目標なんてなかったのですが、何かにちょっと近付けた感じになってました。

嬉しいなぁって。
まずはここを拠点に、まずは英語の勉強を熱心にがんばりました。


また続きまっす。


先週の続きで~す


まずは足場固めというかやはり住むところですよね。


住むところを探すのにはかなり苦労しましたあせる汗


1週間は野宿していました音譜

デルトロさんは野生児なので、野宿なんて全く問題ないのです。

しかししかい、そろそろどげんかならんどかい!と思っている矢先!

さまよい歩いていた時に(日本人かな?)という人に声を掛けたのですが、

この人がボクの今後のオーストラリアでの旅のキーマンになった大阪男前ヒデさんです目

女神降臨いやいや男神降臨の瞬間ですね。


このヒデさんのお陰で当面の宿というか、とりあえずは彼が住んでいた大きな家に空き部屋があり、

間借りさせてもらいました。

この野宿事件?を知ってヒデさんから(ワイルド)という名前を付けられ、

今でも名前ではなく『ワイルド』と言わないとボクであることを理解してもらえず、

携帯電話もワイルドと登録してあり、電話の時など周りに人がいない

ことを確認して『ワイルドです』なんて非常に恥ずかしい名乗りをしておりますにひひ



そこには2週間程滞在し、ヒデさんにオーストラリアでのことやどんなに今からしたらいいのかを

相談し、少し教わった後にフラットとアパートのような長屋のようなとこに移ります。


日本では少しは知られているかも知れませんが(まだ馴染みがないでしょうね)、

海外では友達同士・はたまた他人同士が【1つのアパートを共同で住む】

というスタイルが一般的にあります。

そのアパートのことを「フラット」と呼ぶのですが、みんなで家賃を分け合う(シェアする)から

【フラットにシェアして住む】という言い方をしていました。


手紙なんかに【ゴールド・コーストのサーファーズパラダイスにフラットにシェアして住んで

います】なんて書けるわけです。


ちょっとカッコよくないですか。


そろそろ眠いので続きは次週にします。

すんません。




ラジオでわたしの最初の旅であるワーホリの話をしています。

ワーホリとは何ぞやはてなマークはてなマーク

今とはかなり条件や環境が違うとは思いますが、20年前は・・・。


あせるあせるまずは「ワーホリ」(正式にはワーキング・ホリデー)について説明します。
これは(ビザ)なのですが、観光とも留学とも、もちろんビジネスとも違い、

18歳以上25歳までの人というのが当時の条件で、オーストラリアの場合は最高で

13ヶ月滞在でき(確か他の国は1年の12ヶ月)、働くことも出来るビザです。

この制度は、オーストラリアの他にカナダ・ニュージーランドと提携していたのですが、

今は大分変わってきていて、たくさんの国と提携しているらしく、韓国やフランス、イギリスにもあるそう

ですよ。うらやましいですね。
語学学校にも入学可能で【最高で10週間まで】という制限があり、働くにあたっては

【同一雇い主の下で、3ヶ月未満】となっていました。

過ごし方は人それぞれで、基本はホリデイというだけあって休暇なのですが

(若者のみのビザなのに休暇あせる!?)、英語の勉強やサーフィン三昧、各地を旅して周ったり、

ダラダラしたりといろんな人がいたようです。

1年間滞在できてしかもいざとなれば【働ける】というのが他のビザと違った特徴です。

お金なくなったらなんでも働けばいいのです。

そこから縁あってビジネスビザに切り替える人もいて、たくさんの人がこのビジネスビザを取得して

永住だったり長期滞在を目標にしてたりもしてたようでした。



でも、ただ行くと言っても、行った先にアテがあるわけでもなければ、

知り合いがいるわけでもない・・・(まずは土地に慣れる)という事が先決で、

最初に語学学校に通う人が大方のようでした。


この学校は日本から予め予約というか入学許可を得ていて、学校に行くことが決まると

宿泊(いわゆるホームステイ)の手配に入り、自分の到着の日に学校関係者が空港に

出迎えも来てくださいますから、空港に着いて「さて、これからどうしよう・・・」などと悩む心配もないのです。


ちなみにデルトロは、学校が嫌いなので学校には行っておりません・・・・。

当たり前ですね、嫌なことするわけない!!


そんでもって空港から早速ヒッチハイクしてしまいました。
電話していた兄ちゃんに無理やり街の真ん中まで乗っけてもらいました。

完全に若さですが、若さというか無謀です。

男だからできたんでしょうね。


話の続きは次週です。