Cellules Ô Naturel にアクセスありがとうございます。

このブログは、2022年秋に見つかった子宮頸がんの

私の闘病記録です。

Jacky


 

 

ここ数年、

私の生活の拠点は海外でした。

 

 

« 治療後は、また元の生活に戻れますよ »

« またフランスに戻るんですか? »

 

 

まわりから、よくこう言われてました。

 

 

« そうですね〜 »

« どうしようかな~ »



ふわっとしたかんじで答えながら…

心の中で叫んでました。



戻れるわけないだろーーーームキームキームキー


 

 

私を心配して気にかけてくれているからって、

もちろんわかってます…。

みんな、ごめんなさい。そして、ありがとう。

 

 

 

以前の生活に戻るには…

 

以前のように

フランスで、フローリストとして、

働きながら暮らすために必要なこと。



1.滞在許可と労働許可を得る

2.仕事をこなすための体力

3.経過観察のために毎月帰国する

 

 

私は日本人。夫も日本人です。

フランスでは非ヨーロッパ人として

労働許可と滞在許可が必要です。

 

 

しゃがみこんで作業したり、

土いじりも多い仕事。

リンパ浮腫のリスク大かもしれません。

 

 

帰国のための休暇と長時間のフライトを

くり返す生活を送らなければいけません。



他にも、職種の制限や収入の下限など

いろいろな条件があるのですが、

結論は、日本でがんの経過観察をしながら

海外で暮らすのは非現実的というわけです。

 

 

ピンク薔薇

 

 

がんが見つかったとき、

勤めていた会社は快く、迅速に

私を帰国させてくれました。

それは大変だ、まずは身体を大事に、

治ったら戻っておいで…と。

 

 

私も簡単な手術のための

数ヶ月の帰国のつもりでしたが、

実際には想定していたよりも

がんが進行していました。

 

 

年が明けて、メールと電話と

書面のやり取りを経て、

私は正式に会社を退職をしました。

 

 

とっさの判断で帰国したことは後悔していません。
フランスの治療ガイドラインでは

子宮頸癌ステージ2に対する手術は適応外です。
帰国したおかげで、根治手術を受けられました。

 


現実逃避できた治療期間

 

がんのステージが確定したとき、

以前と同じ生活には戻れなくなりました。

 

 

日本で治療を受けると決めた段階で、

こういった展開もあるかもしれないと

本当は頭の片隅にありました。

 

 

でも、決して口に出さなかった。

 

 

主治医も今後のことについて

何も聞かないでいてくれました。



そのおかげで、

私は心穏やかに治療期間を過ごせました。


 

この7ヶ月は、私にとって

現実を受け入れるための準備期間

でもありました。



ピンク薔薇


 

春になって、治療のゴールが見えてきた頃

私から主治医に打ち明けました。

 

 

« フランスに戻る選択も考えてみたけれど、

あまりにも現実的ではありません。

このまま日本に残ります。

ただ、アパートも銀行も残したままなので

体力が回復したら一旦戻りたいです。

できれば、年内に。

解約手続きもしなければいけないし、

みんなにきちんとサヨナラを言いたいです »

 

 

先生は2ヶ月の滞在を許可してくれました。

 

 

最終的に、スケジュールの都合で

3ヶ月の滞在を許可してもらいました。

主治医は病気の私の1番の理解者です。

 


フランス最長のロワール川のほとり。

この景色をいつも眺めていました。



花の勉強をもっとしたいと海外に渡って

自分の健康を削って努力してきました。

 

 

なんで私が…

私の方が…

 

 

悔しさと嫉妬が止まらなくなって、

何度も涙が溢れました。

 

 

あの街で出会った大好きなひとたちと

会えなくなって、本当に悲しいです。

 

 

だけど、大変なことや心細いことも

もちろんあったので、

家族のもとに戻れたことに

今はほっとしています。



ピンク薔薇



このブログを書きながら、

心にふたをして吐き出せなかった想いを

ようやく認められて、

気持ちが少し軽くなっています。



これから少しずつ元気になればいいよね。



▼当時の気持ち





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