いくとこまでいってみよう。
ブログネタ:もう冷房付けた? 参加中私はまだ付けていない派
毎年恒例になりつつある、エアコンつけない生活。
もちろん、つけていません。職場では、涼しくて快適なのでそんなに苦にはならない予定です。
扇風機は必需ですね。除湿器があれば、もっといいけれど贅沢はいいません。
なんだかんだ、好き勝手に書き綴ったブログですが、忙しくなりそうなので更新するのか微妙になりました。
はっきり決められずに、書けるときに書いていたのもあって、今さら宣言するのもどうなのか、ごちゃごちゃ思いが形にならず。
言いたいことは書き終わったので、似たようなことを繰り返し書いても仕方がないし、アドバイスや自分をよりよく生きるための情報も、メールやインターネット上のサービスでも見かけるから、よくなっていけばいいなと思う。
人のことを心配する間に、自分のことをきちんとしなさいというやつです。
誰かに悪いところを指摘されると嫌かもしれないけれど、指摘されなければ気づかなかったりして、よりよく生きる時間を削ってしまう。
単なる意地悪か、意義のある指摘なのかは自分で判断するとして、頑張っていこうと思います。
指摘しやすい人柄は、嫌がらなければ、改善も早い。
また、気が向いたら更新するかもしれないので、無駄な記事になるかもですが、月平均20アクセスほどだけど、楽しみに見てくださった皆様に感謝。
よく成長したよね(自画自賛)。
変な天候なので、体調を崩さないように気をつけてお過ごしください。
さて、頑張りますか。
付き合う以前の問題が山積み。
ブログネタ:付き合う前に相手の性格を知るのは不可能? 参加中私は不可能派
現在は、不可能に近いように思います。
気に入られたい、自分を一番に思ってほしいという、愛情不足から起こる狂気的な独占欲から、自分を作ってしまうから。
嫌われたくない、好かれたい思いが、人を成長させるものですが、あまりにも感情的すぎて過剰な反応のあまり、心を開けることができない環境も、自分をつくらずにはいられない原因の一つだと思います。
裏の性格占いにもあるように、素直にいれば叩かれて痛いので、人に気を遣うことで気に入ってもらえる自分をつくりだす。いいなと思う人の真似をする。自分を守る方法として仕方がないというか。
感じのいい人になるためには、恐ろしいまでの鍛練が積み重なっていて、失敗はしないけど、わざと失敗して困らせるぐらいの技量があるらしく、私には到底できない。
失敗は感じ悪いけれど、嫌な人に感じ悪いことになっても全然構わないという精神で生きていないから。
周りの人に敏感になっていたら、周りに合わせる自分が精一杯で、本当の自分がわからなくなってしまう。
付き合う前に性格がわかるほど、自分に集中して生きている人でない限り、わかることはないと思う。
他人の評価や判断が正しくても、違うことがあったり、そもそも他人の評価や判断が全くの嘘っぱちであることもザラにある。
自分をよく見せたい、勝ち組に入りたい人たちが組んで織り成す人間関係は、優しくも残忍な人を操るような歪んだ世界。
「こいのうた」という題名の、GO!GO!7188というグループが歌った歌があります。
中身を分からずに、普通の感覚で歌っていたけれど、現在の若者の心理とのギャップは、大きな歪みに思う。
♪生きてゆく力が
この手にあるうちは
笑わせてて
いつも いつも
歌っていてほしいよ
私は、嫌われたくないけれど、優しくない自分に嫌気がさし、だからといって、何も改善できない自分に絶望していたときがありました。
自分が他人にどう思われてしまうのか、怖くて動けないときがありました。
みんなと仲良くするということに、疑問を抱いたこともあります。
仲良くできない人たちとは、仲良くできない。
それでも、仲良くできない人たちもこの世界に許容され、仲良くできない私も許容されている。
それが普通のことと思えたときから、ムリをするのを止めてから、人に振り回されることが少なくなって、楽になりました。
気に入られたい、自分を一番に思ってほしいという感情は、普通に生活している中で起きないもので、そう思うのは特別なことだと思う。
えこひいきで傷つけられた心が、えこひいきで天狗になったことが、普段にはあり得ない、自分を一番に思ってほしいという甘えや、自分を大切にしてほしいという怒りから歪みを引き起こすのだろう。
恋人同士でしていただきたいものです。
世界は愛で満ちていると言っても、実感のない言葉でしかないかもしれないので、意味がないなら、他人よりも自分を精一杯生きることに集中して生きることを勧めたい。
どんな人生も辛いけど、生きるだけ生きたら、未練はないと思う。
生きるというのは、生きる覚悟が必要。
付き合う前に、相手のことがわかるなんて、自分が長く相手を見ていない限り、不可能に近い。
ただ、直感的に、生理的に好き嫌いは、どうしようもない気がする。
再生までの下り坂。
人間模様。
職場で見られる虐めは、家庭でも当然のように見られ、虐め自体、何なのか把握できていないような、不思議な感覚があって、やっぱり浮いてしまう自分がいます。
「お母さんより、いい」とスーパーで見かけた小学生に上がってないくらいの男の子がお母さんにそう言って、私に媚を売っていました。
しらーっと放置して買い物をしていると、男の子はお母さんに嫌な思いをさせてまで、私についたのに酷い裏切りだと、舌打ちするような苛立った顔をして、去っていきました。
男の子のお母さんからすると、自分の子どもを私にとられたと憤慨され、悲しませる出来事だったのかもしれませんが、実にそういう躾が男の子にしっかりなされていると感じました。
「この親にして、この子あり」と、子どもを見ればどんな親なのかがわかるほど、子どもは親を見て育ちます。
自分が努力して実力をつけるよりも、お金持ちや人脈のある人、自分の利益に繋がる人についていれば、簡単に欲しいものが手に入るという教育。
お母さんが男の子に対して、いつも自分についていればいいことがあると、教えていうことを利かせる様が見えるようです。
ペット扱いだから、主人を選んで動く子どもに育つのです。
自分に有利なご主人様につくことが、自分の幸せだと勘違いするのです。
ペットでいることの最大の利点は、いうことを聞く代わりに、責任をとらなくていいので、何も考えなくてもいいし、生きる努力もいらないこと。
人のペット化は、無責任な社会と道徳観念の破壊を促すものです。
お互いがご主人様でペットの関係という、感じのよい人たちには、きっとなれない気がします。
誰々がいったから、そうした。自分は悪くない。
それが、正しいときもあります。
でも、間違うこともあります。それは、仕方のないことです。
だからこそ、自分がしっかり判断して間違いの起こらないようにしなければなりません。
結局のところ、自分がいうことを聞くと判断して行動したことは、よくも悪くも自分の結果として返ってきます。
自分の責任なのです。
責任転嫁して責められなかったとしても、人はあなたの行動を見ています。
「悪口を言わないと愛想してくれないと聞いたから」
修学旅行に来た学生さんか、地元の学生さんかわからないけれど、通りすがりのケンカ別れの後に、後ろで聞こえた学生の弁明には、本当に聞いたまま、自分が傷つかないのならいいかと安易に行動する稚拙さに、途方に暮れます。
仕事で忙しく、子どもの相手をろくにしていない親御さんが増えるほど、自分はなぜ産まれてきたのか恨み、苦しみ、悲しみ、絶望にのまれる子どもが増えます。
お金持ちでも、貧乏でも関係はありません。
誰もが自分を大切に扱ってくれる人が好きだし、大切に思ってくれる人が好きなことは、わかりきったことです。
それが、ご主人様とペットの関係ではなく、一人の人として成り立つことが平等であり、福沢諭吉が説く「人の上に、人をつくらず。人の下に、人をつくらず」という、人の生き方です。
人のいうことを聞くのも、自分のためになるのは、ペットでいるときではありません。
自分で常にどういうことであるのか考えている、自分で責任を持っている状態でなければ、自分のためになることはないのです。
恩を売ったから、返してもらうという関係は、恩を売る自分が相手を見極め損ねるから起こることで、もともと恩を売って相手から奪うつもりだったのなら、そもそも、自分の怠け根性が招いた悪事であることを自覚する必要があります。
人を愛することを忘れると、人を大切にすることを忘れ、自分を大切にしろと力関係が育ち、犯罪が犯罪と認識されなくなり、やがて自然に還ることになるようです。
人間の繁栄と衰退は、自然界の厳しさをいつまでも忘れずに、自分を律し、人を愛せなければ、忘れたころに脆く崩れ去るものなのかもしれない。
職場で見られる虐めは、家庭でも当然のように見られ、虐め自体、何なのか把握できていないような、不思議な感覚があって、やっぱり浮いてしまう自分がいます。
「お母さんより、いい」とスーパーで見かけた小学生に上がってないくらいの男の子がお母さんにそう言って、私に媚を売っていました。
しらーっと放置して買い物をしていると、男の子はお母さんに嫌な思いをさせてまで、私についたのに酷い裏切りだと、舌打ちするような苛立った顔をして、去っていきました。
男の子のお母さんからすると、自分の子どもを私にとられたと憤慨され、悲しませる出来事だったのかもしれませんが、実にそういう躾が男の子にしっかりなされていると感じました。
「この親にして、この子あり」と、子どもを見ればどんな親なのかがわかるほど、子どもは親を見て育ちます。
自分が努力して実力をつけるよりも、お金持ちや人脈のある人、自分の利益に繋がる人についていれば、簡単に欲しいものが手に入るという教育。
お母さんが男の子に対して、いつも自分についていればいいことがあると、教えていうことを利かせる様が見えるようです。
ペット扱いだから、主人を選んで動く子どもに育つのです。
自分に有利なご主人様につくことが、自分の幸せだと勘違いするのです。
ペットでいることの最大の利点は、いうことを聞く代わりに、責任をとらなくていいので、何も考えなくてもいいし、生きる努力もいらないこと。
人のペット化は、無責任な社会と道徳観念の破壊を促すものです。
お互いがご主人様でペットの関係という、感じのよい人たちには、きっとなれない気がします。
誰々がいったから、そうした。自分は悪くない。
それが、正しいときもあります。
でも、間違うこともあります。それは、仕方のないことです。
だからこそ、自分がしっかり判断して間違いの起こらないようにしなければなりません。
結局のところ、自分がいうことを聞くと判断して行動したことは、よくも悪くも自分の結果として返ってきます。
自分の責任なのです。
責任転嫁して責められなかったとしても、人はあなたの行動を見ています。
「悪口を言わないと愛想してくれないと聞いたから」
修学旅行に来た学生さんか、地元の学生さんかわからないけれど、通りすがりのケンカ別れの後に、後ろで聞こえた学生の弁明には、本当に聞いたまま、自分が傷つかないのならいいかと安易に行動する稚拙さに、途方に暮れます。
仕事で忙しく、子どもの相手をろくにしていない親御さんが増えるほど、自分はなぜ産まれてきたのか恨み、苦しみ、悲しみ、絶望にのまれる子どもが増えます。
お金持ちでも、貧乏でも関係はありません。
誰もが自分を大切に扱ってくれる人が好きだし、大切に思ってくれる人が好きなことは、わかりきったことです。
それが、ご主人様とペットの関係ではなく、一人の人として成り立つことが平等であり、福沢諭吉が説く「人の上に、人をつくらず。人の下に、人をつくらず」という、人の生き方です。
人のいうことを聞くのも、自分のためになるのは、ペットでいるときではありません。
自分で常にどういうことであるのか考えている、自分で責任を持っている状態でなければ、自分のためになることはないのです。
恩を売ったから、返してもらうという関係は、恩を売る自分が相手を見極め損ねるから起こることで、もともと恩を売って相手から奪うつもりだったのなら、そもそも、自分の怠け根性が招いた悪事であることを自覚する必要があります。
人を愛することを忘れると、人を大切にすることを忘れ、自分を大切にしろと力関係が育ち、犯罪が犯罪と認識されなくなり、やがて自然に還ることになるようです。
人間の繁栄と衰退は、自然界の厳しさをいつまでも忘れずに、自分を律し、人を愛せなければ、忘れたころに脆く崩れ去るものなのかもしれない。