引き続き
地元から避難してきた従兄弟との話の中で北茨城の大津という港町界隈もダメージを受けたことを聞きました。
そこはアンコウで有名な地区でよくテレビで民宿が紹介されている地区です。
3年前まで地元で働いていた仕事でここの幾つかの民宿や漁師さんたちには大変にお世話になったことがありました。
モロ海の近くの人たちもいたのでおそらく被害には遭われたかと思いますが、場所は分かるもののもう名前も覚えておらずどうしようもありません。
無事を祈るだけです。
そんな中で私がその時にしていた仕事の同業で下請けをしてくれていた会社があり、そこの営業担当の人が私をとても気に入ってくれていろいろと特別に扱ってくれて本当に良くしてくれました。
年は離れていましたがよくプライベートでも連絡を取り合って自宅に行ったりしていて。
その人の家が大津にあったので話を聞いてすぐに連絡をしてみました。
するとすぐに電話に出て元気そうで。
自宅は崩壊しなかったものの1階は水に飲まれてしまったらしく、現在はやはり避難所生活をしているそうです。
でも家族も無事で何よりでした。
これで概ね私の知り合いの安否は確認はでき、とりあえずは安心しています。
今後はそれぞれにマメに電話なりメールなりをして心のケアではありませんが少しでも精神面で支えてあげられればと思っています。
強く心を持っていればどんな不安があっても前向きになれる、その強い心を保って欲しいですからね。
それが募金はしない私に出来ることですし、すべきことですから。
温室の花は枯れてしまえばそのままですが、タンポポは踏まれても踏まれてもまた何度でも立ち上がって美しく黄色い花を咲かせるものですからね。
・°・(ノД`)・°・
今回の震災で石巻にいた私の友人が消息不明だったことはこのブログでご存知の通りです。
毎日時間を見つけてはマメに何度も電話をしていたのですが繋がらないかもしくは電源が切れているか電波の届かないところにいるといったアナウンスが流れて全くの音信不通で。
そんな状態で既に一週間が経過し、事態は一向に変わらない現状から半ば諦めていました。
ところがつい先ほどまた電話をしてみたら繋がりまして彼と連絡が取れました!
今は自宅近くの避難所で生活をしているそうですが冗談を交わすほどとても元気でした。
声を聞いたときは心底ほっとしましたし思わず涙ぐんでしまって。。。。
本当に心配していただけにとても嬉しいでした。
話を聞くと地震当日、仕事をしていたのですがあの地震の後に会社に戻り車に乗って移動したそうです。
途中、自宅の母のことが気になり家に向かおうとしたのですがすごい渋滞で向かうことが出来なかったのでとりあえずは山の方へ逃げたそうです。
もし、このときにその判断をせずに自宅に戻っていたら確実に津波に飲まれて死んでいたそうで。
母親は地震後にすぐに避難したらしく無事とのことで。
なんという強運な親子なのでしょう。
家、いや町内は完全崩壊してしまい何もなくなってしまったそうです。
でも命が助かって何よりだって話をしたのですが命あってのモノダネですからね。
ホッとし過ぎて気がすっかり抜けてしまいました・・・
とにかく良かった!
無事で本当に良かった!
しばらくは会えないですけどまた一緒に色々と楽しめたらと思っています。
ちなみに本日、地元の友人2家庭が会津の方へそれぞれ逃げたとの連絡がありました。
今度は死の灰、見えない恐怖との戦いになりますね。
私も周囲が落ち着いたら援助に向かうからそれまで諦めずに元気に!