以前から気になっていた Richard Rorty (リチャード・ローティ)。

宮台真司が度々引用するアメリカの哲学者。

トランプのような人物が政権を担う展開を予言していた、という文脈で語られる。

 

そのローティの代表作である「 Contingency, Irony, and Solidarity (偶然性・アイロニー・連帯)」を取り上げてくれていた。

原著は1989年出版なので、すでに35年も前の著作である。

ただ、とても現代的な主張が展開されていると感じた。

 

「バザールとクラブ」という言葉を使って、公私の区別こそが民主主義の基盤となると主張する。

私的な仲間内である「クラブ」では、自分の主義主張に近い人々と交流できる。

しかし一歩外へ出れば、自分とは全く違う考えを持つ人々と交わる「バザール」が広がる。

そこでは、公共的な規範やマナー(礼節)に従う必要があると説明する。

 「バザール」と「クラブ」、両者は必ずしも明確に切り離せるものではないかもしれない。

しかし、さまざまな場面に直面した際、その場にふさわしい「言葉」を選べるよう自制すべきだ、

というのが本書の要旨である。

 

たとえば、1994年のルワンダにおける民族浄化の際、

敵対する部族を「ゴキブリ」や「蛇」と呼称した事例が挙げられている。

その言葉が独り歩きし、凄惨な事態に拍車をかけた。

言葉によって、自分の「クラブ」の外にいる人々への認識が、残酷な形で固定化されてしまったのである。

ローティはこうした言葉の使い方に警鐘を鳴らす。

 

ネットの普及とともに、対話や議論が成立しない場面が増えつつある現代。

どうすれば相互理解のために会話を途絶えさせず振る舞えるか、改めて気づかされる。 

現在のアメリカで両政党の溝が深まっている状況を見ても、彼はこうした未来を予見していたと言えるだろう。

 

そして何より、自分自身も仕事で接する「誰か」に対して、

こうした不寛容な態度をとってしまうことがある。

言葉を大切にし、粘り強く対話を続けることの重要性を再認識した。