3本目の腕 | 逆手のじゃっくばうあー

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逆手で投げるダーツ成長記
 ブログというか、要はダーツの成長過程で感じたことを思い出すための『俺様メモ』なわけです



 利き手、逆手とやってきて、
 もしも、俺に三本目の腕があったなら

 三ヶ月でAAになれると思う
 思ってみた



ダーツのAフラは、何度も言うようだけれども簡単
上達に苦労をする必要のないレベル

AAから始まるその先は、ちょっとした工夫と努力が必要だ
もっと先のレベルについては、現状、俺は語ることができない
他の経験などから、その域についてのアレコレ参考になることはあれど、
やはり、ダーツという世界ではまた違った何かが必要になってくるのだろう


ダーツの不思議といえば、
日頃俺がよく言う、日常生活が出来れば、
ダーツを投げることなどすぐに覚えられる
そして、投げ方を覚えたダーツを的に入れるだけだ
的に入る入らないの部分は成長具合にもよるだろう

 これから先に書かれることは、
 そのレベルの方々を批判・中傷をする意味ではないので注意


例えば、
CCとか、BBとか、その辺のレベルの段階はよくわからないのだけれども、
そのレベルで長く居続けてしまう方というのはなんだろうか?

ダーツを始める、この状態から、目的とするレベルに到達をするまでに、
そのCCやBBなどの段階を通過することはあっても、
そこに留まる理由がわからない

もちろん、望んでそこに居る方も居るのだろう
ホームに居るCCの男性が、週3~4、多くて週5くらいで来店
結構真面目に投げているなと感じて、声を掛けてみた
その時、「目標みたいなのあるの?」と聞いてみた

すると彼は、
「わからない」

俺は質問を変えた
「上手くなるためにダーツを頑張るつもりはあるのか」
「強くなるために、ストイックに練習が出来るのか」
   or
「今が楽しければいいのか」
「ダーツを楽しみたいだけなのか」


彼の答えは即答で後者だった


そして昨日、ホームのAAが、その彼にダーツのアドバイスをしていた
そのCCの彼自身が自らアドバイスを求めることは無いので、
AAである常連の方からアドバイスを仕掛けたのは容易に想像が出来た

CCであるその彼は、AAの方のアドバイスを聞いていた
しかし、CCの彼の目は完全に泳いでる状態であった

そのアドバイスの様子が目に入った俺は、
そのAAに一言申した

「○○は、今のダーツで楽しいんだってよ」
「アレコレと難しい話はいらないんだってさ」
「邪魔してやるなよ

 と

それを聞いたAAの彼は、無言になった
少し間を置いてから笑いながら席を外した

今登場をした俺を含めた三人は常連同士仲良くやっていて、
このやり取りで特別空気が悪くなったりはしていない
仮に悪態であってもコミュニケーションの一部で終わる話である



ダーツ
Aフラになるのは簡単である
AAもそれほど難しくはない


しかしこれは、それを望む気持ちがあって始めてそう言えるのであって、
なんとなく投げたり、遊んだりをしていても成れるわけではない
顔だけ真面目、格好だけそれっぽい、上手くなりたいと口ではよく言う
では、何かを行動に移しているのか?
それに向かうための何かをしているのだろうか?

そう尋ねられると無言になってしまう


逆手のブログで再三書き続けて来た事だけれども、
CCやBBなどのレベルに一ヶ月、長くても三ヶ月以上の期間、
そこに居続けるのは、ダーツ上達に於いて、致命的な欠陥がある
これは言い切っても間違いではないと俺は感じている

大事な部分は、上達を望む者この部分だ

上達での目的レベルは各々にあっても良い
それが、AAであってプロであっても

また、
ダーツというものを、
“競技”とするか“遊び”とするかは本人が決めることである
それについて、自分はこうであると決めたのであれば、
その結果にストレスを感じないことが大事である

遊びであるなら、上達をしないことは当然の結果であり、
他と差がついてしまうことは必然だ
オマケや生まれ持ったセンスの部分である程度の上達は望めても、
それは努力の結果ではないということ
(俺がダーツを始めてからの数値が高目だったこともこれに当たる)

競技として、自らの成長としてダーツに取り組むのであれば、
それは、試練の道、茨の道であることが初めからわかっている
だとすれば、その道を歩むことでの楽しみを自ら感じることが大切になる
それを苦痛と取るか、楽しみと取るかは、その人間次第となる


話を戻して、“三本目の腕”

俺には三本目の腕が無い
だから、ダーツに関して、新たなる上達の証明は出来ない

身を持って証明をすることが、何よりの結果だと思っている
今、三本目の腕をこの手に出来たのならば、
今日の今の時点からダーツを始めて、三ヶ月後にはAAになれると信じている
それは、俺を知る人間の誰もが“不可能”と感じないとも思う
「こいつならやってしまいそうだな」
恐らくそう思うのではないのかと自負する

それほどにダーツは難しいことを必要としないのだ

楽に投げられる自分自身のスローを組み立てる
投げられるようになれば、自分の投げたダーツがどこへ飛ぶのかわかるようになる
入れたいターゲットに向かってみる
それが幾度と入るようであれば、精度を上げる
入らないのであれば、その原因を自分のダーツに聞いてみる


 自分の目で見ているダーツ
 自分の身体から放たれるダーツ
 そこには何も障害は無いのだ

CCやBBのレベルに今居る自分をよく考えてみる
決定的な何かの欠如
ダーツ上達云々以前の何かが足りないのだ


そこを通過した者であればある程度の要因が思いつくはず
ダーツで未だ通過が出来ず、その要因がわからないのであれば、
日常にも目を向ける


子供が居る親であれば、
自分の子供が上手く箸を使えずご飯を毎度こぼす
その時、どんなことを子供に伝えるのか

子供が居ないくてもよい
弟、妹、近所の子供、
何にでも応用は利く

勉強が出来ない、九九が覚えられないと泣く子が居るとする
一生懸命に頑張って出来ないのであれば仕方なしだ
他の手立てを一緒に考えてやれば良い

しかし、勉強が出来ない、九九が覚えられないと泣き散らす子が、
実はテレビゲームばかりをやっていたら、どう思い、どう感じるだろうか

それは、当然の結果であり同情の余地はないだろう
実はこれが正にダーツの上達にも関係をしてくる

結果を出すために、
やらなければならないことをやっていない場合がほとんどなのだ
やった者からすると、
“やってもいないのに、
 そんな都合良く上手くなるはずがないだろ”

これが正直なとこではないか


では、そのやるべきこととはなんだろうか?

一日に何時間もダーツを投げる?
必要なプラクティスを集めてそれをこなす?
月に何万円も使ってダーツバーに通う?
強い人と対戦をする?
ブログにメモを残す?

んなもん必要はない
必要とする時が来るとすれば、もう少し先の話である

先ずは、
箸でご飯を上手に食べられるようになれという話だ
誰が見ても、ご飯の食べ方が汚いねと言われないレベル

つまりは、
ダーツを楽に飛ばせるようになれということ
楽にダーツを飛ばせないやつがどうして的を射止められるのか

そこに気づかない時点で、
また、そこに気づいていながらそれをやらない時点で、
その人の居るべきレベル(CCやらBB)が、
定位置と自ら決定付けてしまっているのだ


腕のアタッチメント化
これが出来る世の中になれば、
3本目以上の腕が可能になる
そうなると、俺はこれで商売が出来る


いや、違うのだ
腕という物体は上達に於いて端役でしかない
最も重要となるファクターは“心”

腕の交換では何も証明が出来ない

脳の交換か?心臓の移植か?
CPU?メモリ?HDD?

もはやその本人ですらなくなっている
やはり本人がどうであるかが重要になるのだ
 
 そして、ストイックに上達の道を歩んだからといって、
 苦痛や苦悩ばかりではない
 成長をする自分が楽しみであり、
 もっと上、今自分が居るレベルより上にはもっと楽しいことがあると
 そう感じていることが楽しい
 上達を望むということは、楽しみを自ら掴むということなのだ