T’s LⅠFE -5ページ目

『シンデレラマン』


わかっていても泣いてしまう。


号泣するといったタイプの映画ではないが、


瞳がじわっとくる。


ザックリと観れば、ほとんど『ロッキー』である。


とは言え、


単なるボクシングものに留まらず


世界恐慌当時のアメリカ社会をじっくりと描きあげたあたりは


歴史物の風格を感じさせもする。


かつては“チャンピオン”も狙えるほどの名選手だった


ブラドック(ラッセル・クロウ)は度重なる怪我と大不景気の煽りを受け


ライセンスを剥奪、強制的な引退を余儀なくされてしまう。


資格も無い、仕事も無い、お金も無い。


しかし、家族を守りたい彼は


遂にはプライドさえも捨て、物乞いのような事までせざるを得なくなる。


そんな苦境のどん底の彼に差し込んだ一筋の光。


それは、かませイヌとしてではあるが、


もう一度リングに戻るチャンスを与えるというものであった。


ここから始まる奇跡のサクセス・ストーリー


大恐慌下で困窮にあえぐ人々は、


自分達の希望を彼に見出し、彼を“シンデレラ・マン”と呼んだ。



負けないのはわかってる。


ハッピー・エンドはわかってる。


だが、やはり最後は感動してしまう。


アカデミー賞最有力!!は正直、疑問符だが


良い映画ではあると思う。



特に、


『メジャーリーグ』『グラディエイター』で泣けるという人であれば


まず観て間違いないのではないかなぁ・・・



では、また次回。










“国風派”とはなんぞや?

このブログでは結構、お馴染のWBS(ワールドビジネスサテライト)


本日の特集の一つに、“国風派・台頭!?”なるものがあった。


その響きに僕は、(なんや、なんや~ナショナリズムきたか~?)と思っていたが


実はそうではなく、


若者の趣味・嗜好の分野で和風の消費が増えている


こういう言うとまだややナショナリズムぽいかも知れないので


更に言い方を変えると


あまりに欧米風の文化に染まり過ぎてちょっと和風だと返って新鮮


となっているらしい


所詮、そのレベルである。


結婚式を和風にする若者は


「ドレスは皆やってるから、和服だと変わってていい。」


とかその程度の発言だし、(←それは国風派なのか?)


より進化した(?)着物生地でしつらえられたネオジャパネスクドレスなどは


和洋折衷などという生易しいものではなく、


品のかけらも無い、ただド派手でけばけばしいものであった。


こんなものが文化か!?


まぁ、成り立っているから文化と言えば文化かもしれないが


個人的に言わしてもらえれば、酷い。


ふと、僕は歴史の教科書で習った“鹿鳴館時代”なるものを思い出した。




不平等条約の解消を目指し、欧米水準の近代化を目指す日本。


そのごく初期の段階で井上馨は鹿鳴館外交なるものを展開し、


とりあえず見た目だけ、建物だけ、服装だけ洋風化を進めた。


その文化の背景を全く知らない浅はかさは


ビゴーに以下のような風刺画を書かしめた。




僕は、本日紹介されたようなこの若者の嗜好状況を


“逆・鹿鳴館現象”と名付けたい。


同番組の調査で、若者の寺院・仏閣への関心が増えているとも言っていたし


随分と前から京都ブーム、京都検定なるものが話題にされてきた。


だが、それはあくまで表層の知識形骸化した雰囲気


楽しんでいるだけのものではないのか?


重要なのは、スピリットではないか??


伝統だけあっても本当にギャングスターになってしまった輩もいる。


肝心なのはモラル、内面、魂である。


なりはEDWINのブルージーンズを穿いていてもいい。


金髪でクルクル巻きでもいい。


帝国主義軍人や佐幕派武士とまでは勿論いかなくてもいいが


誰か、


心の奥底にホンモノの“武士道”を秘めた文化・思想の伝道師はいないものか。


中庸という意味でも、敢えてこの時代に“武士道”を広めて欲しいと願う。


よくわからなくなってきたが、


兎に角、私は日本の文化・思想のあまりの陳腐化に危機感を抱いた。


それを言いたかっただけである。それ以上でもそれ以下でもない。


み~し~ま~。



では、また次回。




























『さよなら、さよならハリウッド』



ウディ・アレン


そのかなりの確率で主演・脚本・監督を務める


“自分大好き”ぶりは自らの映画製作と被る所も多く


マスターTの好きな映画監督・外国編では堂々(?)の第2位を誇る名監督である。


(ちなみに第1位はマーティン・スコセッシ監督であります。)


あれは、確か高校時代だったか


初めて『アニー・ホール』を観た時には


あまりのインテリ臭さにひどく衝撃を受け、


しばらく『マンハッタン』『地球は女で回っている』など


ウディ・アレンワールドにどっぷり漬かっていた記憶がある。


しかし、それも随分昔の話で(実際それらの映画が撮られたのはもっと昔。)


本作品『さよなら、さよならハリウッド』は、彼の約3年ぶりの新作であるらしい。


内容は、まさに彼の近況を表しているかのような物語


[10年前にはオスカーも獲ったが、今はヒット作に恵まれずホームレス寸前の


チョー変人監督が、


元妻で今はプロデューサーの女性から


依頼された超大作の映画のメガホンを獲ることで巨匠へと返り咲きを狙う]


という大筋で繰り広げられるお得意のドタバタ・コメディである。



ま、結局3年ぶりだろうと何だろうと相変わらずの作風であるわけだが


彼のファンなら、それはワン・パターンと感じるのではなく


大晦日に年越しそばを食べるような厳かな感慨を持って観ることが出来る。



「あぁ、お変わりなく元気でやっていらっしゃる。」


僕などはそう思いながら観賞していた。のすたるじー。



狭い世界観洒脱な映像、そしてウィットと皮肉に満ち溢れた台詞回し


「そうそう、この味を忘れていたよ。」


一部の熱烈マニアの期待を裏切らない。



そして、ラスト逆説的


彼のハリウッドとN.Y.に対する愛情(執着?)


見せつけてくれる。



ウディ・アレン


彼にはこの歌が良く似合う


“NO.1にならなくてもいい、もともと特別なオンリー1~♪♪”



では、また次回。







































プレミア☆試写会


ふぅ。本日、行ってきました。


会社の健康診断自主映画『違法人/I・HO・JIN』の試写会(?)


健康診断は、健康診断で実は気になる事を言われたのですが、


多分大丈夫なので、それはまた後日ご報告しましょう。



さて、肝心の『違法人/I・HO・JIN』の試写の結果は、と謂いますと


約20%~30%のお世辞はあると考えても、


まずまずの評価であると考えてもよく、


「中村屋!!」のネタのパクリを中心とする


(若干、恒例の)監督インタビューも無事撮り終える事が出来


結構、満足しております。



という訳で、興味のある人は


①メディアラボに「Tさんの映画が観たいです!!」と言いに行く


②DVD化を待って、僕もしくはにゃら氏に観せてもらう


いずれかの方法で、御覧になって下さい。(あまり、期待しないように)


なお、映画に関するご意見・ご質問の類いは


全く使われていないmy BBSにお書き込みお願いします。



・・・「さぁ、研究室旅行に本腰入れるかぁ。」



では、また次回。













変革の時は今。

僕と誕生日が10日違いの堀江氏が逮捕された。


確かに法に触れる事をしてはいけない。


だが、このマスコミの激烈過剰なネガティブ・キャンペーンは


いかがなものか??


(ここしかほぼ観ていないからかも知れないが)


特に、テレビ○日は朝から晩まで


あたかもホリエモンがシリアル・キラーであるかのような


大報道ぶりである。


僕個人的な考えでは、どー考えても


耐震強度を偽造した輩の方がよほど極悪非道だと思うし


えもんバッシングの一貫として流された堀江語録


逆に、(名言ばっかりじゃないか!!)とも感じる。


「起業家は、現代の貴族階級」などとは中々言えないよ。


いつしか、武○幹事長を始めとする自民党や


ライブドアを経済界の雄と認めた経団連への関係性も


吹っ飛び始め、ホリエ=ライブドア=IT&新興企業→悪、胡散臭いみたいな


流れになってきている。


この旧世代のメディア(新聞、TV)のヒステリーぶりに


僕は、ふと幕末の日本を連想した。


一連のライブドアのやり過ぎ感は、差し詰め長州藩という所か


しかし、歴史の事実を見れば寺田屋事件を始めとする長州叩きが





結果として新勢力の引締めと団結を招き


倒幕は成されたわけでもある。


折りしも、当時と同じく外国(=外資)の脅威に曝されているともされている現在、


このライブドア・ショックはITバブルの崩壊を表すのではなく


新興企業、ベンチャーがその力を一層強め、


本当に日本を変えるターニング・ポイントになるのではないか。



・・・そう、あって欲しい。


“変革の時は今。”旧世代の老人達などさっさと追い出して


新たなJAPANを創造してもらいたい。


Welcome to カオス!!



では、また次回。













誰かに、捧ぐ・・・

以下に述べる事は当たっているかも知れないし、全く的を得ていないかもしれない。


しかし、ふと途轍もなく語りたくなったので語る。


まぁ睦月の夜空に舞い散る粉雪が書かせた戯言と思ってもらって差し支えない・・・




とある男がいた。


この男、優秀か愚鈍かと問われれば間違いなく優秀な部類に入る。


しかし僕の個人的な嗜好では(何か、偏狭な奴だ。)と感じていた。


無論、僕がこの人物の全てを知るわけではなく


また知る事も不可能なわけだが


高校生の価値観に毛が生えた程度の価値観で生きているような人物だと


(僕には、)思われた。


だが、ここ最近の彼の言動を見ていると


何が原因かはわからないが劇的な変化が訪れている。


その変化とは何か??


それは、安住の大地を捨て教養の大海原へ


自分哲学(=信念)という見果てぬ財宝を探すべく旅を始めたという事である。


目先の受験勉強や大学の研究の必要に迫られてではなく


自らの手で、能動的にもっと大きなもの


自分の人生の意義であり、自分の誇れる武器を見つけ出すための


針路の無き大航海に彼はいよいよ乗り出した。


全ての知識は非常に複雑に絡み合いリンクしている。


映画、本、音楽、演劇、そして美術。(もちろん、他にももっとある)


その海は時に優しく、時に厳しい


(読まなあかん本、もしくは、観なあかん映画どんだけあんねん!!)


と何度も衝撃と共に押し寄せる高波に呑み込まれそうになるに違いない。


しかし、きっと好奇心という永久機関がその波を切り裂き


更なる知の高みへ自分を導いてくれるだろう。


そして、教養の海の途中にはまだ見ぬ香辛料がたくさんあるだろう。


だが、そのスパイスを見つけても使うべき用途、意味を持ち合わせていなければ


ただのマニア、オタクである。


その香辛料を最大限に活かす方法もまた見つけなくてはいけない。


これまた勿論、自らの手で。


いいよ。実にいい。海は楽しいぞ~~。



因みに、私はという面から言えばジャンルを問わず

                     (ここが肝要、意識的にするのが大切)


例えば、本なら年間少なくて100冊、多くて300冊は本を読んでいる。


そもそも、これは話せばやや長くなるのでまたの機会に詳しく述べるが、


僕が美術史を選んだ理由は、


逆説的に“美術に一番興味が無かったから”である。


敢えて無関心分野、不得意分野に臨む事


そう、新大陸を発見すべく船を進める事、


これこそが一番の収穫を手に出来ることなのだ。


(しかし、多分僕は未だに美術についてが一番詳しくない・・・)



・・・話はlongなったが、


これからの永遠とも思しき大航海を


是非とも頑張ってくれ給え!!


良ければ、僕の行き着いている所までの水先案内人ぐらいにはなろう。


うむぅ。


友人から親友へ、そんな出会いが生まれそうな気がした土曜日。



では、また次回。





































『家族ゲーム』


1983年(僕の生まれた翌年)の映画賞を総ナメにしたらしい本作品は、


どこにでもありそうでなさそうでありそうな中流の家庭を描いた映画である。


物語は、その一家の次男で高校受験を控えた中学3年生と


彼の成績を上げるように依頼された風変わりな二流大学の家庭教師の関わりを


軸に展開していく。


まず、冒頭で家庭教師の吉本(松田優作)はなぜか船に乗ってやって来る。


(そんな家庭教師はいないだろ、しかも別に舞台が離島ってわけじゃないんだからさぁ。)


と思うわけだが、よくよく考えると


俳優・松田優作の代表シリーズいわゆる『~遊戯』三部作


彼は、(確か2作目だったかなぁ)船に乗って登場する。


映画のタイトルも『家族ゲーム=遊戯』であるわけだし、


恐らく、このあたりのパロディも踏まえて演出しているのであろう。


そして、その家庭教師・松田優作の視点で物語を観た場合、


完璧に甘えてぐだぐだの生徒を時には鉄拳制裁を加えつつ


「甘えてんじゃねぇ!自分の人生は自分で決めろぉ!!」


次第に心開かせ成績を上げていく様子に


僕は、自身の今までの塾講師としての経験から


(そうそう、それそれ、いっぺんドツいたったらええねん。)


などと20年前のストーリーであるにも関らず共感しながら観ているわけであるが、


もう一方で、中学3年生の立場に立ってこの映画を観ると


友人、恋愛、両親、担任、授業etc...


(あぁ、あんな事もあったなぁ・・・)とか


(あんな奴、おったおった!!)とか


思ってしまう場面もしばしば見受けられ


やはり、描かれた時代は20年前であるのに


自らの思春期を思い出しながら観てしまうノスタルジーも持ち合わせている。



・・・だからといって、


「この作品が映画賞を総ナメにする程の名作か?」と謂われれば


僕は「それ程ではない・・・かなぁ・・・。」と答えるだろう。


第一に、家庭教師が僕の敬愛して止まない松田優作で無ければ


僕はこの映画をおそらく観ていない。


内容もよくよく考えれば、普通の出来事を描いているだけで


実に落ち着いて坦々としており(それが持ち味でもあるわけだが)


キネマとしての盛り上がりには欠ける。


そして、最後の場面も意味わからなそうでわかりそうでやっぱりわからない。



でも、決して1度観ている間は飽きるという事もないので


少しでも興味があるならば、鑑賞して損は無い作品であると言えるだろう。



では、また次回。




ライブドア・ショック

朝起きて、バナナを食べていると


「あんた、ホリエモンと誕生日一緒らしいで!!」


最近、夢中でライブドア問題を見ているmyおかん(←株券1枚もなし


T「うそやん!?ヤッター!!これからネタで使えるやん!

 『ホリエモンと同じ誕生日のTです。』って。」


と喜んでいたのですが、よく考えると


(・・・ほんまか?聞いたことないぞ!)


と思ったのでにゃら氏直伝のwikipediaの助で調査をした所、


堀江貴文/10月29日生まれ


とありました。



(・・・惜しい!!おかん、俺10月19日生まれやねん!!

 そろそろ自分がお腹痛めた日ぐらい覚えといて~~。)


なわけで、残念ながら自己紹介のツカミにしようとした


『ホリエモンと同じ誕生日のTです。』は見事に消滅しました。




・・・いや、偽装するか・・・・


「僕、誕生日10月29日です。」って(ニヤリ)


いや、イカンイカン、“何事もルールの範囲内でやらねば”


“想定の範囲内”ではダメのようだから・・・



では、また次回。






『マルタの鷹』



ハンフリー・ボガート


演技が本当に上手いのかどうかもわからない。


実は、それほど二枚目でもない。


しかし、間違いなく《古き良き時代のダンディズムのイコン》である。


・・・と僕は思う。


その声、仕種、表情全てがハードボイルドである。



さて、そのボギーがやっぱり私立探偵を演じる本作品は、


表題にある中世のマルタ島騎士団がつくったという財宝“マルタの鷹”巡って


怪しげな男女がその争奪戦を繰り広げる秀逸なミステリーであるが


やはり、ただひたすらボギーのみがカッコイイ


あとの輩は結局、皆ボギーの手の内で踊らされていたに過ぎないのである。



更に、極めつけは劇中のラストで語る


“男は仲間を殺されたら、黙っちゃいられない生き物なんだ”から始まる長台詞、


ハードボイルドという名のが満開に咲き乱れます。シビれます。



ちなみに、この映画を貫くテーマは“思い込み”


やはり、白黒映画は名作多し!



では、また次回。







監督といふモノ

昨夜、無事に自主制作短編映画(と言う程、大したものでは無いかも知れませんが)


『違法人/I・HO・JIN』の撮影がクランク・アウト致しました。パチパチ。


(それに引き続いての論文お疲れ会

今年の抱負“飲んでも飲まれるな”をほぼ達成出来たと考えます。パチパチ。)



しかし、映画に関らず、モノツクリ芸術においては全ての事で言えることでしょうが


やはり“ただ批評するだけと実際やってみるのでは大いに違う”


ま、評論実践のどちらが高等でどちらが下等かという事を言いたいわけでは無いので


(僕個人的には同等の価値があると考えていますし・・・)


正確に申しますと“実践してみると全く新たな気付き=学びがある”


一方的に映画や本を見ているだけでは感じれないことを


自らの手で脚本を書き、ビデオカメラを回していますとたくさん感じることが出来ます。


例えば、(勝手な解釈かもしれませんが)


映画監督 北野武 について


以前までは映画の製作スタイルに関しての


彼の意見を聴いていると


「結構、現場で脚本とか演出とか変えちゃうんだよね~。」とか


「役者が下手ならこっち(=カメラ)でそれにあわせて撮ればいい。」とか


「リハーサル、俺嫌いなんだ。」などなど


黒澤明監督完璧主義


(あらかじめ考えに考え抜いた絵コンテと脚本を基に、

リハーサルを何度も繰り返し、役者が完璧な演技が出来るまで何度も撮り直す。)


に傾倒していた、これこそが真の映画道だと考えていた私にとっては


「たけしの映画なんて邪道だぁ!!」と思っていましたが


実際に、僕が撮ってみますと


“現場で変化もアリ”と言う事がわかってきます。


そもそも映画の撮影などは無論、たった一人=監督だけで出来るはずもなく


役者や脚本家、カメラマンなど様々な人たちの思惑もそこに入り込んできます。


僕の友人達でさえ、突然オファーを受けてわけもわかってないくせに


ただ僕の指示通りに演技して帰ろうとするのではなく


現場に来たその瞬間から、


“俳優であり、脚本家であり、カメラマンであろう”とします。


もう、それはあれやこれやと五月蝿いぐらい色々なアイデアを出してくる。


そこで、自分の理想だけを追い求めて「うるせぇ、口だすんじゃねぇ!」と言うのも


芸術家には大切な事かもしれませんが


僕は実際やってみると“非常に柔軟派”でした。


「おっ、いいじゃない。ソレ。」


「じゃあ、そうしよっかぁ。」


「OK!OK!いっとけ!いっとけ!」


勿論、何でもかんでも他人の意見を受け入れていては


纏まった作品にはなり得ません。


しかし、より良いアイデアが出た


あるいは


スタッフに気分良く100%の力で働いてもらうために


“柔軟な変化”も素晴らしい監督になるには必要な資質の一つではないか


そう思うようになりました。


とすれば、北野武監督の映画制作のスタイルも邪道なんかではなく


“高いコミュニケーション能力を活かした”一つの優れた監督技術であると


考えたくもなります。





・・・・話が長くなりましたが


結局言いたかったのは“批評するためにも、実際やってみよう”と言う事。


やはり、評論実践には相互関係が無いとね。


さて、第3弾はどんなのにしようかなぁ・・・・



では、また次回。