アカシックレコード | 詭弁書蔵 三ツ目亭

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世の中を見ながら思った事を書いていきます。
とんでも占星術やら隠謀論やらオカルト等
真理探求に終わりはないようですな。

今回は趣向を変えてアカシックレコードに言及していって見ようかね。

 
なんだか東洋占星術の記事ばかり書いている気もするからね。
別に東洋占星術に傾倒している訳ではないのですよ。
現時点、研究対象として着目しているだけで。
 
そこに辿り着くまでに幾ばくかの考察の道を辿っている訳だ。
 
そんな訳で、今回は前世と宇宙の全てが記されていると噂のアカシックレコードの話。
 
魚座と乙女座を知っていく上で重要なファクターになってくるから占星術好きは読んでおく事をおすすめする。

といって、いきなり東洋思想の話になっちゃうんだけど、これもまた仕方ない。
 
アカシックレコードってなぁ、インドのアーカーシャっていう無の概念をリバイバルして取り入れたわりかし新しい概念だ。
 
平べったく言っちゃえば輪廻転生のアメリカ版みたいなね。
 
厳密には違うんだけど、輪廻転生の螺旋を一本の帯としてイメージしてみた時に記録されている物は同じであると言えるんだ。
まぁ、ここら辺は日本人ならそんなイメージを持ちやすいかと思って挙げたに過ぎない。
 
それに加えて、時間の非連続性の仮説と記憶について言及して行こうか。
 
時間って顕在的には連続した一方通行の客観的事実としての認識が強い。
というかそれしか認知出来ないのが我々、人間だ。
 
普通に、昨日があって、今日があって、明日がある。
 
その認識に間違いはないよ。
それは体感における何よりの事実だ。
 
それを基準に生きていかないと学校や会社に遅刻してしまうからね。
 
 
ところが、だ。
 
時間の把握って結局「記憶」からくるものじゃない?
 
認識している「現在」ってのも結局認知してしまったら0.01秒にしろ過去になる訳で。
 
だから大前提で時間軸において立証されうる事って「過去」のみになっちゃうんですけども。
 
んでまぁ全ての認識は記憶媒体が鍵となるんだけど。
我々が人生をかけて最大に重要な「意識」ってもん。
 
ちょっと語弊とか出てくるかもわかんないけどイメージ重視したいからわかりやすく行くね。
 
これも結局、刺激を受けたら電気信号が五感というセンサーを通って、脳の作業場に届く。
その前に機械反応的に脊椎で判断、対応するシステムもあるんだけど、カッケとか、瞬きとか、
あとはまぁ人間の意識を通さないで起こる体の活動、心臓や内蔵、生殖器なんかもそうかもしれない。
それとは別に、自分に備わっている情報を記憶という引き出し(海馬)から色々とりだして処理するのが思考だ。
 
だから同じ刺激を受けても出力は各々人によって違ってくる。
脳の中で行われる思考処理はそれぞれに違いますからね。
 
その思考中の自分が「意識」なんだけどイメージつかめた?
 
「意識=思考」

 

感情や快感、不快感とかいう動物的な反応も結局は、体のセンサーが取り入れた刺激と本能という根本プログラムが「記憶」されている引き出し(海馬)から出力されるものなんだけど、話進まないから違う記事で説明しましょう。
 
ちなみに言っておくと生命維持活動において上で話した「思考」を司る大脳がなくてもメカニズムだけ考えると活動可能という話。人間を人間たらしめているのは思考あってのものという事ね。
しっかり話をしちゃうともちろん複雑に絡み合って機能しているものなんだけどさ。
 
んで、
 
時計が針を進めている。と君が見たとしましょうよ。
五分経ってまた時計を見たとしましょうよ。
 
時計の針を見て、初めて時間の正確な経過を認知する事になるんだけど
 
こと意識上で時間というものはゴムのように伸び縮みする話が出てんのね。
どういうことかというと、
楽しい時間は早く、退屈な時間は長く、実際に変動している。
 
って話ね。
 
んなアホなって感じかもしれないけど、これ簡単な逆説で話を進めさせてもらうと
 
「観測できない以上、正確な時間経過は設定できない」って事が言えるんですよ。
 
詳しく説明すると字数半端なくなっちゃうし、あくまで仮説として置いておいてもらって進めると、
 
意識という主観の産物から逃れられない以上、それを証明できないんだな。って事なのね。
 
だって誰も自分の意識外から体外を認知出来ないんだもの。
どんな機械や器具を使用したとして「情報」を処理するのはあくまで意識。
 
他者との共有の伴わない事実は定義として置けないのね。
 
お化けがいるという事実はないけど
お化けがいるという仮説は立つ
 
今「時間」に関してはそんな状況。
 
意識を使わずに出した結論でないと時間は証明できないってこと。
 
なんか全体的に台無しの説ですよね。
 
 
まぁ我々は意識に対して絶対的に観測者側には立てない。
という一つの現段階状の絶対条件がある。ってことだけわかって頂ければ幸い。
 
そしてそれはこんなに身近な物から、物体の原点、電子にも言えることなんだな。
 
物理的運動の結果は実際に観測するまで決定しない。らしいんですよ。
 
この記事やっぱ無茶あったかな?
結論を急くばかりに説明がアバウトも良いところですな。
申し訳ない。
 
 
んで!本筋の話!
 
両者を並べてしまった時に
時間の連続性を証明する要素、基軸が使用不可能となる。
 
そこで現れるのが、時間の非連続性の可能性なんだけど。
 
意識が認知した記憶の組み合わせで時間の経過を体感している。
という仮説だ。
 
どういう事かと言うと、
現在記憶という記憶の前の記憶はその度に作られている。
ということね。
そりゃもう魔法のようにブワーッと。
 
んな訳ないですよね。
 
ただ「思い出す」という行為を今、やってみて欲しい。
そしたら分かる事だと思うんだけど、
 
映像記憶を時系列として引き出すことは「言葉」なくしては無理だということが。
 
思い浮かべた言葉を映像の種にしてそれを連想的に「想像」していって映像記憶は形成されていく
 
その時間軸の移動は「思い浮かべた言葉」を基準にして未来へと「再生」されている。
時間が進んでいっている。
訳ね。
 
その感覚は妄想に近い感覚を覚える筈だと思うんだけどこれもまた
 
認知出来ないから確かめようがない訳ですよ。
 
 
んで、この仮説が残っている以上そこから派生する仮説が浮かび上がる訳。
 
ここで初めて自論を交えたアカシックレコードに触れられる The詭弁タイムが始められるんだけど
 
それが人間の意識は過去の記憶はもちろん、今よりも後の、つまり未来の記憶も有している。
という事ね。
 
つまり、時間は存在しない。
あるのは可能性のコマ漫画が無数のコマを有して隣り合っている。
パラレルワールドなんて一昔前のSF漫画で流行ったけども、「可能性のありうる限り」そのパラレルワールドは存在し、広がっていると言いたいのね。
 
この全体像を見ることがアカシックレコードを見ることであり。
このコマ漫画の移動を連続した意識を有したまま移動することがタイムリープだと言えると思うのね。
 
小ネタとして載せようと思ったけれどもこりゃ一回じゃ無理な記事だと判断しましたので
 
次回!あります!
 
とりあえず続く!