昨日、テレビで無縁社会の日本についての討論がNHKで行われているのをみました。この番組は日本でもつい最近に放映されたものでした。
それで私は自分自身について考えてみました。
我が家では夫婦ふたりだけなので一人が他界すると残されたのは一人暮らしの老人となるのです。
私の姉も札幌でひとりで暮らしています。
日本とここでは確かに事情、行政等に違いはありますが、人間として寂しい思いをするのは同じでしょう。
彼が釣りや狩りで1週間程を留守にするのは昔からですが、年齢を重ねるとその1週間の寂しさが変わってきています。
ですから、その年代に寄ってひとり暮らしの感覚は変わっていくものと思うのです。
現在は毎日出かけていても、これが家に居るようになったらどうなるか。
でも私の性格からしてそんな事はないでしょう。
でも彼の方は?彼の心配なんかしていられない。その時私はあの世。
「おせっかい」をする、と言う意見がこの番組の中で言われていました。
日本の昔のその風習が嫌で国を飛び出した私は「おせっかい」大反対。
家族や友人だからこその心配や心づけは受けますし、又与えもします。
でも知人や他人は嫌。
「人の世話になりたくない」のではなく人の口に載りたくない。
昔から職場では職場の付き合いだけをして来た私。会社で行われるピクニック、クリスマスパーテイ、それらには家族で出かけるのが仕事と思って行きました。
でも週末に職場の人と映画や買い物は控えます。
「公的な助け」すなわち行政でやっているのには大きな顔をして助けて貰います。
それだけの税金を納めてきたのですから。
私のやっている教室にもたくさんの独り者が居て、YMCAにくるだけが他人との付き合いの人も結構いるのです。
その人達は旅行に出かける時は「来週来ないけども心配しないで」と言っていきます。常連さんが来ないと確かに私は心配します。それを口に出して教室の中で「誰々さんを最近みないけど、病気かしら」と言うだけです。
そうすると必ずそれを聞いた人の中には「おせっかい」さんがいて、翌日には情報を持ってきてくれるのです。
確かにそのような「おせっかい」さんは必要ですが、私はいらない。絶対に嫌。