知らない街道(みち)を歩いてみたい -4ページ目

知らない街道(みち)を歩いてみたい

旧街道ウォーキングにハマった40代のオッサンの備忘録です。
速度とか移動距離とか、極力データ重視(寄り道など含む)!
写真はその日の気分次第でフィルムだったりデジカメだったりします。

小山~石橋 17.92km 3時間286分418秒 平均速度5.2km/h

 

 小山は新幹線の駅がある街だ。周囲には製造業の工場が多数あり、新幹線や宇都宮線、国道4号線など関東地方と東北方面を結ぶ交通と、両毛線や国道50号線など茨城や群馬方面と結ぶ交通が交わる交通の要衝でもある。東京方面で働く人も多く、駅周辺はマンションが多い。宿場町の痕跡など殆ど残っていないのだろうと思っていたのだが。

 

古い商家を改築した観光案内所のような施設が高い建物の間に立っていた。

 

小山といえば「小山評定」の地。上杉景勝を討つため東北に向かっていた徳川家康の軍勢がこの地に差し掛かったところで石田三成挙兵の知らせを受け、評定を行ったまさにその場所がこの小山だ。このあと、関ケ原で西軍を打ち破った徳川の世が始まる契機となった場所とも言えるのでは。今回、ゴールの日光で待っているのはまさにその徳川家康だ。電柱に表示された「小山評定跡」の文字を読んで、私の旅にとっても重大な場所だと思った。

 

この古い建物は「御菓子司 蛸屋総本店」。ここが本店なのか。ここの看板銘菓「みかもの月」は、おそらく佐野の方にある三毳山(みかもやま)にちなんでいるものだと思うので、勝手に佐野のお店なのだと思っていた。三毳山は万葉集にも歌われた歴史のある山だし、このあたりはいろいろ歴史に名を残す土地が多い。

 

小山の宿場町を抜けて歩きだすと、両毛線を渡る踏切があった。「奥州街道」の名前がついている。

 

小山にはさまざまな工場が立地している。周辺の宇都宮や群馬県方面にも大きな工場が多いし、東京方面も近いので便利なのだろう。

 

 

暫く歩くと、Y字路にぶつかった。「男体山」と書いてある碑が経っている。右が奥州街道、左は「日光」とあるが、壬生道につながっているそうだ。壬生道は宇都宮近郊の楡木で日光例幣使街道に合流するという。日光道中の各宿場町では「御宿場印」というものを販売しているのだが、ここから壬生・楡木・鹿沼方面の宿場町も参加しているので、いずれあちら側にも歩いていかなくては・・・と思う。今回は宇都宮方面に向かう。

 

Y字路の先は、大きな道を外れて細い生活道路のようなところを歩く。暫く行くと「喜沢の一里塚」があった。そうと言われないとわからないぐらい、雑木林の中でひっそりとたたずむ一里塚だ。

 

都心が近い頃に比べて、いい状態で残っている一里塚も多くなってきた。給水しながら少し休んで、またあるき出す。

 

小山から一里半ぐらいあるいたところで、新田宿にさしかかった。日光街道でも小さい宿場町だったというが、自治体でこういう形の整備をされている。

 

 

本陣の跡には立派な門が立っていた。

 

新田宿は日光の眺望が良いことで有名だったらしい現代は建物が多くなっているので、日光を望めるのはもう少し先の旅程になるだろうか。

 

さて、JR宇都宮線直通の路線ユーザーに悪名高い「小金井」にやってきた。終電間際で「小金井行き」に乗り、うっかり寝過ごしてしまうと大変なことになるというネットニュースを読んだことがある。それはそうだろう。小金井は住宅街なので、近くに宿泊施設などはほとんどない。きょう、歩いてみてわかったのは、宿が見つかりそうな最寄り駅の小山までは歩いて2時間弱かかるということだ。

 

そして、小金井には完全な形で残っている希少な一里塚がある。「小金井の一里塚」だ。

現在の国道4号線は古い街道のすぐ脇を通っているのだが、一里塚のある一体は公園として整備されている。これまでも片側だけ残っているところはいくつも見てきたが、やはり両方の塚が残っている眺めは素晴らしい。大きな木陰ではたくさんの旅人が休息できそうだ。周りは完全に宅地として開発されているので、ここを残すのは大変なことだっただろう。地元のみなさんの努力に頭が下がる。

 

小金井は宿場町でもある。本陣の門もしっかり残っていた。

 

古い建物があったのだが、だいぶ傷んでいて倒壊しそうになっていた。保全にはおそらく相当な金額がかかるであろうし、古きよき景観を守っていくというのは本当に難しい問題だ。

 

小金井宿をすぎると、一気に視界がひらけた。遥か彼方には男体山をはじめとする日光の山々が見えた。いよいよゴールが見えてきたのだ。

 

下野市役所付近で分岐した道は、かつての日光道中そのものの道に入った。このあたりは昔、樹木が茂って天然のアーケードのようになっていたそうだが、今はすっかり開けて田畑の中を歩く形になっている。

この区間は、日光道中全線の中でも五本の指に入るぐらい気持ちのいい道だった。また歩いてみたいと思う風景だ。

 

街道は企業の敷地にぶつかっているので、脇道を歩くことになる。この先に「下石橋の一里塚」があるそうで、看板も立っていたのだが、結局見つけられないままだった。

 

少し歩いたところに観音様が立っていたので、なんのお寺かと思ったら、丸大食品の工場だった。

 

さて、いよいよきょうのゴール・石橋宿が見えてきた。宇都宮に住んでいた頃、都内に出る際によく石橋駅を利用していたので馴染み深い町だ。ここは駅に隣接して大きな駐車場があるので便利だったのだ。

 

 

石橋はグリム童話にちなんだ街づくりを一所懸命しているせいか、宿場町というよりはメルヘンな建物が多く、本陣跡さえも、なんだかメルヘンな感じのアパートになっているのだった。

 

元・宇都宮市民としては、完全に生活圏内にやってきた。次はいよいよ宇都宮を目指すことになる。