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知らない街道(みち)を歩いてみたい

旧街道ウォーキングにハマった40代のオッサンの備忘録です。
速度とか移動距離とか、極力データ重視(寄り道など含む)!
写真はその日の気分次第でフィルムだったりデジカメだったりします。

石橋~宇都宮 15.12km 2時間53分 平均速度5.2km/h

 

 10年ほど前、宇都宮に住んでいた。自分で住んでみるまで群馬と栃木の位置関係もよくわかっていなかったのだが、住んでみると実に良い街で、今ではすっかり宇都宮ファン、栃木ファンになった。毎年の初詣は必ず市内中心部にある二荒山神社に行くことにしているし、その他にも特に用事がなくてもフラッと宇都宮に行く機会が多い。最近、都道府県の魅力度ランキングで栃木県最下位近くになったと毎年のように報じられるが、正直どの基準で計ったら順位が低くなるのか教えて欲しい。海はないが、山のものはいくらでも旨いものがあるし、観光地は日光か那須だけでも都道府県別ランキングで上位になれるだけの力がある(もちろん、他にも素晴らしい土地がたくさんある)。そもそも人がいい。特にオッサンたちの人がいい。私も仕事で失敗するたび、やさしいオッサンたちに「大事だよ~(栃木弁で「大丈夫」の意味)」と声をかけられて、毎回救われたと今でも恩義を感じているほどだ。

 

 そんな宇都宮近郊を歩くこれからの旅路は、勝手知ったる自分の地元を歩くような感覚の道が続く。これまでの道のり以上にワクワクしながら、早朝の宇都宮線・石橋駅に降り立った。

 

 前回、石橋駅にたどり着いたときも思ったことだが、駅前が突然メルヘン調になっているので若干面食らう。このメルヘンタウンのあたりが昔は宿場町だったらしいのだが。

 

 かと思うとまた立派な建物が現れたりするので不思議な気分。

 

 道端に残っている古い仏様が街道の雰囲気を伝えている。お花が供えられて、今でも大事にされている様子だった。

 

 宇都宮が近づくと、大谷石の建物や塀が増えてきた。大谷石は宇都宮近郊で産出するので、宇都宮らしい風景と言えると思う。大谷石の塀をくり抜いて信号機の押し釦が設置されていた。

 

 

 普段はクルマで通っていた道なので、道沿いにある古い建物には全然気づいていなかったのを改めて思い知る。この鞘堂地蔵尊は14世紀の合戦で、村人が戦死者の鞘を集めて埋葬したのが始まりだという。関東地方と奥州方面を結ぶこのあたりは、昔から大きな戦の舞台になっていたようだが、住んでいる人たちも戦になると農作業が滞ってさぞ迷惑を被ったことだろう・・・。

 

 北関東道の巨大な高架をくぐり、いよいよ宇都宮市内に入った。この店に来たなあとか、こっちの道で迷ったなあとか、住んでいた頃のことを思い出す。

 

 国道4号はこのあたりで東京・日本橋の起点から99キロ。4号線とは違う道も歩いて来たので自分が歩いた距離とは一致しないが、よく歩いたな・・・。

 

 街道は雀宮宿に入った。この宿場町跡にできたJR雀宮駅は、自分が宇都宮に住んでいた頃の最寄り駅。しかし、しばらく来ないうちに道が広くなって風景がだいぶ変わっている。週末に通りかかるといつも渋滞に巻き込まれた道だが、道路拡幅のせいか、単に朝早かったせいなのか、道はガラガラだった。

 

 国道(街道)から駅へ入る交差点のあたりに、以前は高い木塀がめぐらされている一角があったのだが、久々に行くと中が見えるようになっていた。ここが宿場の脇本陣だったそうで、復元された建物が建っていた。

 

 JR雀宮駅もすっかりきれいになっていた。

 

 JR宇都宮線には「宮」がつく駅がいくつかある。大宮が氷川神社、宇都宮が二荒山神社を指すように、雀宮という駅名の「宮」はこの雀宮神社に由来している。神社にある由緒書によると、八幡太郎義家が創建した神社で、東山天皇(在位1687年~1709年)が下賜した勅額があったので、幕府の将軍以下、諸大名が参拝した由緒正しい神社であるということだ。自分の住んでいた近くの神社が立派な歴史を持っているのがなんとなく誇らしい気分になる。

 「雀宮」という可愛らしい名前の由来も前から気になっていたのだが、いろいろ調べると、歌人の藤原実方が陸奥守に任じられたとき、妻が後を追う途中、この地で亡くなってしまったという。その後、実方がこの地を訪れて神社を創建し、その後自身が亡くなったあとは雀に宿ってここにやって来たという伝説が元になっているという。境内にしばらく滞在して、ゆっくり参拝してまた宇都宮を目指した。

 

 ついにここまでやって来た。私は国道4号の終点である青森市にも住んでいたことがあるので4号線という路線がずっと馴染み深いのだが、こんなにキリのいい数字が自分の家の近くにあるので、このキロポストは幾度となく目にしてきた。ついにここまでの100kmの道のりを自分の足でたどり着くことができた。意気揚々と先を目指した。

 

 宇都宮時代の勤務先近くにある「一里」という交差点の名前も、当時はなんのことなのかよくわかっていなかったが、今はよく分かる。この交差点近くには江曽島の一里塚があったという。江曽島という地名も実によく耳に馴染んだもので、それだけで元気づけられた気分になってくる。

 

 

 昔の勤務先近くには大榎があるのだが、これも街道の名残だという。道はここから国道4号と分かれてまっすぐ北に向かう。

 

 

 SUBARU宇都宮製作所。宇都宮に住んでいた頃の職場だ。SUBARUというと自動車メーカーのイメージだが、もともとは中島飛行機という航空機メーカーで、宇都宮製作所はその系譜を受け継ぐ航空事業の拠点である。現在は防衛向けのヘリコプターやボーイングなどの旅客機の一部を製造している。

 

 また、以前は鉄道車両や塵芥収集車(いわゆるゴミ収集車)などの車両も製造していた。JR北海道のキハ281系はここで製造された。私が高校生の頃に新しく走り始めた281系「スーパー北斗」は、函館から札幌までをなんと2時間59分で結び、道民を驚かせた。私も何度も乗ったことがあるが、振り子のように車体を傾斜させるので、乗車中に本でも読もうものならひどい車酔いになったのを覚えている。その後、火災事故などがあったため現在は速度を抑えて運転しているが、ついに今年の秋で引退することになったと聞いた。

 

 「東京街道」本当に東京につながってたよ・・・。

 

 SUBARUを過ぎてさらに北に行ったところで道は複雑な変形交差点にぶつかる。「不動前」という名前から、どこかにお不動さんがいるのかと思ってはいたが、実際に立ち寄るのは初めてだ。

 

 江戸時代になる以前の宇都宮の領主・宇都宮氏は二荒山神社の神職の家系だったそうだが、その領主が作ったのがこの不動堂なのだという。宇都宮宿の南側の入口付近に立っていたので、旅人はここで参拝して宿場に入っていったのだろうか。私もこれまでの不義理をお詫びしながら参拝する。

 

 宇都宮宿の目印といえば忘れてはいけないのがこの「新町のけやき」。古巣の職場からもよく見えるほど大きな木だったが、2013年に大風が吹いて倒れてしまい、伐採されてしまったそうだ。

 

 宇都宮の宿場町は、いまではすっかり住宅街になっている。すぐ近くには「サクレレモン」でおなじみのフタバ食品の本社もある。戊辰戦争や太平洋戦争で焼け尽くされてしまったこともあり、ほとんど当時の建物は残っていないようだが、街道の跡は今歩いている道としてしっかり残っている。

 

 そして、ついに今日のゴールにたどり着いた。この写真の左奥が日光街道、右手に進むと二荒山神社や東武宇都宮駅、JR宇都宮駅がある方向で、そちらは奥州街道だ。つまり、ここまで日光・奥州街道の重複した道を歩いてきたが、ここからは日光街道だけの道のりになる。

 

 高低差を見ても、宇都宮市で標高約100m。海に近い日本橋からだいぶ登ってきたとは思うが、ゴールの日光東照宮の鳥居の前には東京スカイツリーと同じ標高634mの看板が立っている。ここからは厳しい上りが待っている。次からはペースも落ちることも覚悟しなくてはいけないかもしれない。

 

 帰りに二荒山神社にお参りをした。日本橋から歩いて二荒山神社までやって来たことが素直に嬉しい。次回からの旅の安全を祈って宇都宮駅に向かった。