今市~鉢石 10.19km 2時間14分 平均速度4.5km/h
毎回、始発電車で前回の目的地まで行き、宿場町2つ分ぐらいを歩いては戻る、というのを繰り返してきた日光街道の旅も、ついに11日目を迎えた。今回の出発地・今市から最後の日光鉢石宿まではわずか10km。これで終わりだと思うと名残惜しい気持ちもある。ゆっくり楽しんで歩いて行こう。
駅からは男体山がきれいに見えた。記念すべき最後の行程にふさわしく、きょうは天気も最高だ。
左が今まで歩いてきた日光道中。右側は日光例幣使街道だ。ついにここで例幣使街道も合流して、日光を目指すことになる。
今市の街には、雰囲気のいい建物が多く残っている。2006年に日光市と合併するまでは今市市の中心街だったのだろう。
写真右側に入っていく道路は会津西街道だそうだ。今は東武列車が今市から会津まで走っているが、列車が通る前はこの道を通って旅人が多く行き来していたのだろう。今市の宿場も旅人たちで賑わっていたに違いない。
道は再び杉並木になった。以前、宇都宮に住んでいた頃はよくこの今市にある駐車場までクルマでやって来て、杉並木の間を散歩して帰っていたものだ。
1月の風が冷たく、心地よい。ふと見上げると、杉の枝先では花粉が飛散の準備を着々と整えていた。もうしばらくすると、花粉症歴30年のわたしはこの道を歩くどころか近づくことさえもできなくなってしまうシーズンがやってくるだろう。
例によって、杉並木の中の一里塚は保存状態が良い。「瀬川の一里塚」があった。
歩いても、歩いても杉並木の中。この旅は、わりと郊外の国道の歩道を歩くルートも多かったが、杉並木の中を歩く気分は格別だ。
今は平和な杉並木の風景も、戊辰戦争の頃は日光に立てこもる幕府軍と、そこに攻め込もうとする新政府軍とが対峙した場所でもある。日光山が戦火に包まれるのを防ごうと、日光山の僧侶が新政府軍の陣地を訪ね、停戦にこぎつけたのだとか。その時の新政府軍の司令官はあの板垣退助だった。
もっとも、停戦に至るまでには戦闘も行われていて、杉並木の中には「砲弾打込杉」と呼ばれている木がある。幹には砲弾が炸裂した穴が今でも空いている。
日光の社寺や杉並木が戦火に包まれることなく現代に受け継がれたことに改めて感謝しながら先を目指した。
このあたりは杉並木あり、石畳あり、苔むした地面ありで、道もさまざまな表情を見せてくれる。
途中で「異人石」というものに出会った。明治の頃、この杉並木の風景が好きな外国人が石工に椅子を彫ってもらい、毎日ここで並木を眺めて楽しんだのだという。
私も座って眺めてみた。当時も電線があったのかどうかよくわからないが、たしかにここから見る並木は美しい。今まで歩いてきたところも良かったけれど、座って眺めるのであればここから見るのが良いと思ったのもうなずけるというものだ。
そうこうしているうちに、街が見えてきた。いよいよ最後の宿場・鉢石宿。今は東武とJRの日光駅から日光の社寺まで続く市街地になっている。
やっとここまでたどり着いた。ゴールは神橋。日光に行くとき毎回見ている風景だけれど、自分の足で完歩したことを思うと格別だ。しばらくここから神橋を眺めて、これまでの11日間の旅路を思い返した。















