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知らない街道(みち)を歩いてみたい

旧街道ウォーキングにハマった40代のオッサンの備忘録です。
速度とか移動距離とか、極力データ重視(寄り道など含む)!
写真はその日の気分次第でフィルムだったりデジカメだったりします。

宇都宮~今市 28.83km 6時間16分 平均速度4.6km/h

 

 前回、ゴール地点となった宇都宮の裁判所近くの交差点に戻ってきた。さすがに宇都宮市内にはあまり古い建物などは残っていないのだが、歩きだしてすぐに一里塚の跡だという看板に出会った。

 

残念ながら看板ぐらいしか残っていないが、ここが日本橋から27里目の一里塚だったという。

 

これまではだいたい宿場町2つ分、4里ぐらい歩いてきたこの度だが、今回はいつもより多めに歩かなければならなさそうだ。

 

宇都宮から2里半ぐらいで徳次郎宿。そこから2里あまりで大沢宿。さらに2里で今市宿。合計6里半ぐらいはあるということになる。まあ、なんとかなるだろうと思ってあるき始めた。

 

よく見慣れた宇都宮の風景を眺めながら歩く。この、日光街道と宮環(宇都宮環状道路)の交差点も、何度となく通ったところだ。宇都宮にいた頃は、フラッと思い立ってはよく日光に行ったなあと懐かしく思い出す。

 

宮環を渡ると、道路脇が土手状になっていて、その上に歩道がつけられているのだが、道沿いにある住居や施設の入り口部分ではクルマが出入りできるように低くなり、その後はまた高くなるという構造になっているので、自然、何度となく上り下りを繰り返すことになる。これが後々効いてくるのだったが、このあたりはまだ元気なので「見晴らしいいな、これは!」と喜びながらあるき続けた。写真の高野林の一里塚までもあっという間で、休む間も惜しんで先を急いだ。

 

レンガ造りのこの建物は「第六接合井」というものだ。きょう目指す今市の浄水場からの水を、標高差240mを下った戸祭配水場に送る際、水圧を調整するために作られたものだそうだ。「第六」というからには1~5もあるということで、標高差30mごとに1つずつ作られたらしい。ということは、次の接合井にたどり着いたら、30m登ったということになるわけだ。残念ながらこの接合井は昭和24年の地震で大半が倒壊してしまったらしいが、この第六接合井だけは建造当時のまま残っているということで、土木遺産と登録有形文化財の指定を受けている。

 

徳次郎宿に入った。今回歩いて初めて読み方が「とくじら」だということを知った。日本橋から歩いてきてすでに10日目になるが、これまでの9日間より長く歩かなくてはならないのは、この宇都宮~今市間は街道と鉄道が別々のルートになっているからだ。日光街道は、前半は東武線、後半はJR線と並走していて、宿場町の多くには今は鉄道の駅があるのだが、この徳次郎宿と次の大沢宿は少し鉄道から離れていて利用しづらい。ある意味では日光街道最大の難所と言えるかもしれない。

 

徳次郎宿も、何度となく自動車で通ったはずなのだが、いままで全然気づいていなかったこんな風景に出会った。

 

宿場町の鎮守・智賀都神社の入り口に立つ夫婦ケヤキ。樹齢700年だという。自動車を運転していると全然気づかなかったのだが、こんな巨木がここに並んで立っていたとは。

あまりに素晴らしい風景だったので、ゆっくり時間をかけてお参りしてきた。

 

さて、少し歩いたところには石那田の一里塚があった。南側は土手に作り直されてしまっているが、北側はしっかり塚の形が残っている。

 

「六本木の一里塚」とも呼ばれているそうだ。ここが日本橋からちょうど30里目。ゴールの日光まで、あといくつ一里塚があるだろうか。

 

この一里塚の南側の塚が埋もれてしまった土手の上を通って今市方面を目指す。道沿いの民家の庭の延長のようになっていて、住民の方が植えられたのか、いろいろな樹木があって見た目にも美しい。日光街道全線の中でも、この区間が一番美しい道だったと今でも思う。

 

こんな樹木のトンネルのような風景になっていたり

落葉で道が真っ赤に彩られていたり、歩いていても全く飽きない。

 

こんな風景を一歩一歩踏みしめながら歩いていくと、ついに日光街道最後の自治体である日光市に入った。

日光市は広いので、まだまだ先の道程は長いのだが、これまで歩いてきたさまざまな町の名前を思い返すと、いよいよあとは日光市を残すだけだとしみじみ思う。

 

日光連山の主峰・男体山もこんなに近くに見えるようになってきた。野木あたりから見ていた頃はあんなに遠くに見えていたのになあ。本当にゴールが近くなってきたと思いながらあるき続けると、ついにこの風景が視界に入ってきた。

 

日光杉並木。まさに日光街道を象徴するあの杉並木がここから始まった。

並木の入り口には「並木寄進碑」が立っていた。相模・玉縄藩主の松平正綱が1625年から24年もの年月をかけて植樹したのがこの日光杉並木だという。完成後の1648年にこの碑が立てられ、ここが日光神領の境界になっているのだそうだ。

 

いままで、杉並木が始まるのは今市あたりからなのかと思っていたのだが、自分が今いる位置は今市の1つ手前にある大沢宿の入口あたりだ。つまり、ここから宿場2つぶん、4里ぐらいは並木が続いていることになる。松平正綱が東照宮造営に際して杉並木を寄進すると言ったとき、諸大名が「杉並木とはなんとケチくさいことよ」と陰口を叩いたそうだが、当の本人は「末をご覧あれよ」と言い返したという。いまや世界に誇る宝となった杉並木の規模感を改めて知り、心のなかで「いやはや恐れ入りました」と思うしかなかった。

 

杉並木に入ってまもなく、大沢宿についた。

大沢宿には源頼朝を祀る王子神社という神社があった。私はかねてより源頼朝ファンで、熱田神宮のすぐ隣りにある生誕の地から、鎌倉にある墓所まで訪ねているので、ここもお参りしないという選択肢はない。境内もきれいに手入れされていて、いかにも地域で大事にされている神社、という佇まいだった。

 

大沢宿を出ると、あとは断続的に杉並木の中を歩くことになる。

最近は倒木なども増えてきているので、並木保護のため並行して車道が整備されているところも多く、徒歩旅をする者にとってはありがたい。車道にも杉の枝がたくさん落ちていた。私はひどい花粉症なので、春先には絶対に歩けない道だ。

 

並木の中に一里塚があった。「水無の一里塚」だ。ここから先の一里塚は並木と一体になっているのでよく保存されている。もっとも、周りにも草木がたくさん生えているので、注意していないと見落としてしまいそうになる。

 

実は、このあたりでかなり疲労を感じるようになっていた。それもそのはずで、ここまでの9日間とくらべて今日は倍近い距離を歩いている。おまけに高低差もすごい。手元のSUUNTOの時計によると、スタート地点の宇都宮は標高140mだったが、このあたりでは350mを超えている。しかも、きょうの歩きはじめぐらいにあった歩道の高低差を何度も上り下りした影響が腰にも出てきた。どうにも痛くてたまらない。杉並木を眺めて気分は最高なのに、足が上がらない・・・。

 

並木には、ウォーキングを楽しむ人も大勢いた。クルマから降りて散歩していたおじいさんが登山のような格好で歩いている私を見て「どこから歩いてるんですか?」と聞いてきたので「宇都宮です」と答えると驚いていた。

 

しかし、なんとか今市までたどり着かねば帰るに帰れない・・・。いつもよりかなりペースを落としながら並木をあるき続けると、次の一里塚が見えてきた。「七本桜の一里塚」は、別名「並木ホテル」。北側の塚の木には、根本に空洞があって、なんならここで世を明かすこともできそうなのでそう呼ばれているらしい。

 

 

この並木ホテル近くには第一接合井もある。つまり、第六接合井から標高差150mを登ってきたということか。

 

そんなわけで、なんとか今市にたどり着いた。とうとうここまでやって来た。今までの中で一番キツい道だったけれども、達成感も一番だ。何より杉並木の中を歩いてこられたので最高に気分が良い。

 

ゴールの日光神橋がある鉢石宿まではあと2里。次回はゆっくり、噛み締めながら最後の区間を歩くことにしよう。