大学2年の夏。
わたしは「旅の会」という、活動はほぼ名の通り(?!)のサークルに入っていました🍺🤭
このサークルでは3年生が数グループに分かれて夏合宿の企画を春先にたて、1年生(新入生)と2年生を募って、グループ毎に夏合宿の準備も含めて様々な活動をしていく、という、至って健全な運営がなされていました(笑)
それまで行き先はすべて国内で、わたしは1年生のときは小笠原へ⛴️🌴
時代は1980年代後半〜
学生だけの海外旅行はまだ危険もあり、このサークルでは海外合宿は暗黙ルールで禁止されていたのです、、、しかし、わたしたちのひとつ上の先輩方がいよいよ海外を企てたんですね〜😊
もちろん、わたしはひとつ返事で海外グループに入りました😁
目的地はなんと、中国の桂林(爆)🇨🇳
桂林までは2週間くらいかけて、グループ全員(なんと10人くらい!)で辿り着き、以降は各自で日本へ帰るという、とても旅サークルらしい夏合宿になりました〜
当時、中国に行くには、まず香港まで安い航空券で行き、鉄路で中国へ入国するのがバックパッカーの主流でした。私たちもまずは香港へ。
この旅についてはまたいつか記録も兼ねて書いてみたいのですが、今回は啓徳空港を懐かしんでの記事になります✈️
なんでいきなり啓徳空港なのか、なんですが、少し前に「乗り物ニュース」さんにこんな記事が❣️
あのIGSRW13アプローチの目印になっていたチェッカーボードが復活しているらしいです🏁
最近、香港は中国化してしまって、魅力を感じなくなっていたのですが、しばらくぶりに行ってみたくなりました〜✈️🌏✨✨✨
啓徳空港関連のインスタ記事は最後に貼っておきますので、ご覧くださいませ🙇♀️
↓乗り物ニュースさんの記事
↓IGSRW13アプローチ(FS用チャートから転載)