先月(2023年11月)約1年ぶりに下地島を訪れました。そのときの下地島17エンドでの撮影シーンは一番最後にインスタの投稿を載せますね😊
さて今回はあらためて「わたしのANOTHER SKY♡下地島」を振り返りたいと思います。
はじめて下地島の地を踏んだのは2011年5月〜
でも、下地島空港の存在を知ったのは1980年代前半〜昭和の時代でした。
月刊エアラインか月刊翼で、航空写真家の青木勝先生の作品を拝見したのがきっかけだったはず。
しかし、なかなか訪れる機会がありませんでした。
ご存知の方も多いと思いますが、ここで下地島空港の歴史もあわせて振り返ってみましょう🤞
【1979年】
民間航空の訓練ができる空港として開港。しばらくしてJAL、ANAなどの実機訓練が開始されました。
【1980年】
南西航空(現JTA)が那覇線を開設しました。
(YS11で1日1便)
↓南西航空 YS11 1986年9月 宮古空港にて
たぶんわたしがはじめて下地島を上空からみたのは1988年、成田から香港に飛ぶキャセイのB747-300の2階席からだったはず。
おーっ、写真でみていたとおり、空港の島だぁ✈️🏝️
的な印象でしたが😁
↓イメージ
【1994年】
南西航空の那覇線は利用者が少なく1994年に運航を終えることに、、、
当時は伊良部島大橋なんてなかったので、以降、下地島空港に行くためには平良港からフェリーに乗らなければ行けない地になりました⛴️😢
【1990年代〜2000年代前半】
1990年に社会人になってからは職業柄、ヒコーキには常に縁がありましたが、さすがに下地島に行く機会はありませんでした。
プライベートの旅行でも、当時はUAのマイレージプラスにハマっていて、海外ばかり行ってました🌎✈️
おそらくこの時代に下地島に通っていたマニアの方は相当な筋金入りの方々だったはずです(笑)
【2000年代後半】
2000年代に入り、JAL、ANAもマイレージに力を入れるようになりました。わたしも那覇通い(笑)がはじまり2009年にSFC、2011年にJGCの資格を得ることに🤭
離島を含め沖縄が身近な地になりました😊🏝️
ちょうどそんな時期、伝説となった2009年7月にJALクラシックジャンボの退役ツアーが下地島で催され、一躍脚光を浴びることに。
【2010年代前半】
リーマンショック等の影響もあり、航空業界は厳しい時代に。シミュレーターの精度もどんどん高くなり、下地島での実機訓練が少なくなった時期。
JALは2010年、ANAは2014年で下地島での訓練を終了することに。
これは訓練しているうちに下地島に一度撮影にいかないとっ、ということで訪れたのが2011年5月だったわけですね〜🤭
↓まずは5/4に前泊地の那覇から宮古空港へ。そしてレンタカーを借り、翌朝(5/5)平良港から伊良部島へ⛴️
↓はるばる下地島に着いてみたらR/W35使用😂
ボンちゃんが訓練中✈️
↓宿泊はANAの訓練生も使用していたさしばの里。
↓お部屋は団地みたいなかんじ(笑)
↓訓練生と同じ食堂で夕食🍴
↓翌日5/6。少し青空がみえ、R/Wは17ユース。
B767が到着し、すぐに訓練開始✈️
↓訓練生頑張ってます👍
思いっきり膨らんじゃってます🌀
↓なんとか滑走路中心線にあわせて、、、✈️💦
↓こんな光景が約5分おきに繰り返されます🌀
↓この日はB737も加わり3機が代わる代わるタッチアンドゴーを繰り返してくれました✈️ ✈️✈️
↓建設中の伊良部大橋
この2011年5月のあとはANAが訓練を終えるまでに、2013年6月にももう一度訪れました。
↑この頃は17エンドまで車で行けたのですが🚙
【2010年代後半】
伊良部大橋が開通したのは2015年。
でもわたしはしばらく下地島を忘れている時期が続きました🤭
そしていよいよ2019年3月の新ターミナルオープン、ジェットスター就航から新時代に😊✈️🏝️✨✨✨
ここからはまた別の機会に振り返えらせていただければと思います🙇♀️
↓先月(2023年11月)の様子