日本地震前兆現象観測ネットワーク 1193 '09 9/26
①『昨日号の⑥地震前兆(体感)関連を2・3新規&再掲』
②『ヒロシゲコード』
旧号で紹介済みだが、86ページに「江戸を襲った大地震の衝撃」がある。
江戸湾の荒川河口付近を震源とするM7前後の直下型地震が発生したのは夜の帳(トバリ)も落ちた四つ刻だった。
直下型のすさまじさい横揺れで江戸市中の建物は殆ど倒壊し、30数箇所で火災が発生。
本所、深川、築地、浅草、等の下町一帯は全焼し、吉原の遊郭では客と遊女合わせて、約4500名が焼け死んだ。沿岸の埋立地では液状化現象が起こり、地面の裂け目から大量の水が噴出した…
③『この地震の死者』
推定Mは6.9と言われている。死者数も推定だが正確に出ており、4741名とある。
全死者数から上記の4500名を引いてみると衝撃的な事実が浮かび上がる。
殆ど、吉原の遊郭だけ死んだ事になるのだ。
これ以外の死者は大江戸全町でたった241名という計算になる。
やはり、この時もクルワに男が集まっていた訳である。
地震であれ、戦争であれ、男の体感前兆の正確さが分かる。
洋の東西を問わず過去、どの軍もいわゆる「慰安所」を必要としたのはよく分かる。
米軍は戦争が終わっても女を必要とした。政府が作った公的な慰安所、生きんが為、家族を養う為のパンパン、こんな悲劇は又とあろうか…
④『私のブログの一つを見ると検索語彙集も急増した』
関東大地震吉原遊女の悲劇 26%
1923年9/1を記録した地獄絵図 2%
ja7hoq 2%
⑤『再掲。。あの、9月1日が近づいている』
色々、聞かれたので追加した。
今でも検索で出るのには驚いた。
「だからいったじゃないの」ではないが、世紀のスクープ写真なので購入をお勧めした筈である。直ぐ、売り切れた‥
「有料ダウンロード」に付いては、詳しくは分からない。
●関東大震災「吉原遊女」の悲劇-1923年9月1日記録した地獄絵図 ...
週刊ポスト、2006年09月08日号の見出し。 ... ニュース トップ > 雑誌ヘッドライン > 週刊ポスト 見出し一覧 > 8月28日発売 > 詳細 ... 関東大震災「吉原遊女」の悲劇-1923年9月1日記録した地獄絵図. 誌名 : ...
News/magazine/MAG8/20060828/63
●【雑誌ネット】週刊ポスト 09/08日号
週刊ポスト09/08日号の表紙・目次画像・目次テキスト・中吊り広告・略。。. 関東大震災「吉原遊女」の悲劇. 鉄腕王子の秘 ... 略。。 ポストパズル 法律相談 ...
mag_index.php?id=51&issue=10270
●吉原遊女 震災 写真 週刊ポスト(世紀のスクープと題して発売されるや否や、その反響は大きかったようである。拒絶反応が強かったのかも知れない。それだけ悲惨な光景を写し撮った鮮明な写真だった。良くもこのスクープを発掘したものである。拡大コピしても殆ど解像度は落ちない。
着衣は着物や寝間着ばかりで洋服姿は見えない。
モノクロ写真だが、襦袢や腰巻のあでやかな色が目に浮かぶ。
髷の簪だろうか、白く輝いて写っているのは哀れだ。大事な商売道具だったのだろう。
溺死体特有のふくれた腹や腫れ上がった大きな口がはっきり見て取れる。
こちらは時代も場所、規模が異なるが、スマトラ大地震の津波の死者は非常に多かった。
この溺死体の写真はI.ネットでも見る事が出来たが腹が膨れ、顔は膨張し、舌が飛び出し、口は極端に突出、拡大し、人相は全く見分けられない別人に変貌していた。
いずれも溺死特有の特徴であり、身震いが出る。
⑥『これも再掲』
同誌のタイトルを改めて再掲すると「関東大震災、吉原遊女の悲劇」。
1923年9/1に発生した 略。 死者等約105000人ともいわれる甚大な被害の陰に知られざる事実があった。
江戸時代以降、東京の遊郭として知られた吉原の弁天池で430人以上の遊女達が最後を迎えた‥。
そんな地獄絵図を記録した1枚の写真が見付かった。
持ち主は「この写真はたまたま、弁天池を訪れた祖父が持っていたが、余りに衝撃的な光景の為、厳重に保管されていたが、今、その状況を知って貰う事が意義あると思い公開を決めました‥」
略。
浅草でも多くの場所から火の手が上がったが吉原では2000人居たとされる遊女達の”足抜け”を防ぐ為、入り口が閉鎖された。
逃げ場を失った遊女達は遊郭の中にある公園に殺到した。 略。
広くない池がある。体を焼く焦熱と恐怖から逃れる為に次々と遊女達が池の中に飛び込む、ところが中央の深さは約4m。泳げずに溺れそうになっている遊女の上に又、遊女が飛び込みその上に又、‥いつの間にか地獄の池と化していた~」
⑦『NO617の再掲』
9月1日が近づいた。あれから84年目が過ぎる。
吉村昭氏の「関東大震災」浅草区吉原公園・娼婦達の死より 。
火に追われた彼女達は吉原公園に押しかけた。一人残らず寝巻姿、素足のままの者が多かった。逃げ惑う娼婦達の衣類に火がつき髪油の塗られた頭髪に火がついて転倒する者も多くなった。
初めの内は岸辺に取り縋っていたが、池に入る者が多くなるにつれて池の中心部へ押し出されて行く。
~死の苦痛から逃れようと娼婦達は必死に争った。溺死した者の上に死者が重なり、池は人の体で埋まった。
~水は既に湯のようになっていた。その間にも火災は、絶え間なく池の表面を薙いでいた。
~死者は490名で男52名、女435名、性不詳3名‥‥
目撃の男 曰く。
「~寝巻の色が華やかであるだけに陰惨な感じでした~それから2日後にもう一度行って見ました。ひどい腐敗で立っていられませんでした」
救いは丁寧に埋葬された事である。
⑧『ラドン』
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