2011年9月24日(土)

久し振りにチョーいい天気にもなり、休日にもかかわらず朝の6時半起きをして、バスに飛び乗る。今日のスタートは、前回終点の宮の馬場(写真上)だ。
交差点のすぐ先に赤郷八幡宮がある他は特に見所も無く、田圃の畦道には曼珠沙華が咲き誇る田舎道が、淡々と続く。末原公会堂を過ぎて少し登り坂になり、山中峠を越えて山中地区に入る。木間入口と書かれたバス停の先は、再度小さな峠になっていて、ここを越えると、もう長門市(旧大津郡三隅町)に入り(写真下)、道は下り坂になる。

写真の境界標識には、長門市のシールが貼ってあるのだが、市標までは間に合わなかったみたいで、旧三隅町の町標がそのまま残っているという、面白い眺めになっている。

この峠を下った辺りは、昔ながらの田圃の風景が拡がっていて(写真下)、稲刈りの済んだ稲穂が綺麗に並べて乾燥されている。…これは「はぜ掛け」って言うんでしたっけ?

今はほとんどの農家が、稲刈り・脱穀・藁裁断までをコンバインで一気にやってしまうようなので、このような天日干しの風景そのものが余り見られなくなってしまった。農家の方々のご苦労は昔より減ったのだろうとは思うが、オイラのように農作業のことを直接には知らない輩から見ると、どうしても幼い頃の原風景を勝手に懐かしんでしまう。
そう、天日干しの後の脱穀が終わると、残った藁を積み上げて「としゃく」ができあがり、子どもの頃はこれに登ったり藁を抜いて中に潜りこんだりして、よく叱られていたのを思い出す。聞けば、このとしゃくの中に渋柿を入れておくと、不思議なことに渋味が消えて食べられるようになるそうで、昔の人の知恵ってすごいなぁと改めて感心する。

落志畑のバス停を過ぎて滝坂地区に入ると、案内板も何も無い「六地蔵」が街道を見下ろしている(写真下)。今朝供えられたと思しき可憐な花に囲まれている六体のお地蔵様が、辺りの景色に溶け込んで何とも微笑ましい。

このすぐ先の一ノ瀬地区にもやはり別の姿の六地蔵があったので、ひょっとするとこの辺りの地区では六地蔵が流行っているのかも知れない…ンナコッタァナィカ

やがて街道は中畑を過ぎて宗頭に出、ここで赤間関街道と合流する。ここから長門市駅までは、赤間関街道を踏破した際に既に歩いた道程だが、ついでにどこまで行けるかそのまま長門市駅方向へ歩き出した。
ところが湯免温泉のすぐ手前、国道191号の右手に、何だか妙な案内看板が建っているのを見つけた(写真下)。

本来なら、「町立 香月泰男美術館」「KAZUKI Yasuo Museum of art」と書かれていたであろうと推測される看板が、どういう訳か、「町立 香男美術館」「KAZUsuo Museum of art」になっているのは、一体どういう訳なんだろう?
ここを訪れる人にとって不親切なことは当然だが、香月泰男さんに対しても大変失礼なことではないかと思うのだがネ?…

で、結局そのまま国道191号を西進して、長門市駅まで歩いてしまった。ちょうど5時間半の歩行で、37,360歩だった。これにて、舟木街道・瀬戸崎街道を完全踏破したぞぉ~
お彼岸とは言えまだまだ日射しは強くて、歩く時間と方角の関係で首の左側だけが妙に日焼けしてしまった…ぉ~、ヒリヒリ。

2011年9月17日(土)

前回、この街道を歩いたのは7月9日だから、かれこれ2ヶ月以上も間があいてしまった。今年の夏は、休日の度に何やかやと予定が入ってしまい、なかなかゆっくりとウォーキングに出かける時間が取れなかったが、ようやく涼しくもなってきたので、また再開だぁ。

前回からの続きで、新山口駅前からバスに乗って十文字まで行き、ここからまずは綾木方面へ歩き始めた。すぐに田代台病院入り口と、小郡萩道路の十文字IC入口交差点にさしかかる(写真上)。この辺りは、小郡萩道路が一部開通してから、車の交通量や景観がかなり変わったのだろうか。

山間の長閑な道(…っつっても国道490号だが…)を北上すると、遠くから歓声や太鼓の音が微かに聞こえてくる。近付いてみるとそこは綾木小学校で、運動会の真っ最中だった(写真下)。子どもたちの打ち鳴らす太鼓に合わせて、保護者や近所の方達が輪になって踊っている姿は、なかなか微笑ましいものだ。


綾木小学校先の「柿の木原」交差点で右から来る県道28号に突き当たるので、これを左折する。この辺りからすぐ先の植竹交差点までは肥中街道と重なっており、ちょうど一年前に歩いた道だ。
植竹交差点の先は、左手に大田川が緩やかに流れ、やがて、見事な枝振りの大田往還道松が見えてくる(写真下)。県下でも最大の街道松だそうだが、他の街道松と同じくマツクイムシに蝕まれないように、関係者のご努力もひとかたではないだろうと推測する。


旧美東町中心部の大田地区に入ったところでスコールのような土砂降りにあい、ひとまず「道の駅みとう」で雨宿りがてら小休止する。いくらか小やみになった頃合いを見て、傘をさして再度歩き始めたが、それから30分位は小雨が降り続くありさまで、足下がかなり濡れてしまった。
長登銅山入口で左折して国道490号から離れ、絵堂へ続く旧道を往く。昨年5月に大田から明木への道を歩いた時にもここを通ったのだが、この時の記事を見ていただくと分かるように、この付近の石灰岩の岩盤を削岩機でガリガリと崩した結果できたのが、この小郡萩道路なのだ(写真下)。
新聞報道によれば470億円かけて造った道らしいのだが、何とこの写真のように、走行する車を被写体の中に入れようとすると、暫くの間シャッターチャンスを待たなければいけないほど、車が通らないっ!!!
果たして本当に、この時期にこの道路をこのルートで造る必要があったのか、疑問を抱いているのは多分オイラだけではないと思う。どう贔屓目に見ても、この道路が無いと渋滞で難儀をして物流が滞るとは思えないし、逆に、国体を口実にして不要不急な道路を造ってしまったのではないかとさえ勘ぐられても仕方のない、そんな道路のような気がするのだが…。


この道路の峠付近で、左からの赤間関街道中道筋と合流し(写真下)、ここまでの舟木街道もここから先は瀬戸崎街道になる。

道はやがて下りになり、絵堂の旧街並み(…と言うほどの街並みでもないが…)、に入る。

絵堂交差点をそのまま直進して雲雀峠へ向かうのが赤間関街道中道筋だが、瀬戸崎街道はこの絵堂交差点を左折する。美東ごぼうの産地と言われる赤郷地区を抜けると、道の右手に用水池が見えてきて、その先が今日の目標地点の「宮の馬場」だ(写真下)。
街道はこのまま直進するのだが今日の歩行はここまでとして、交差点を左折して500m程のところにあるサファリランドへ向かい、一休みした。


サファリランドへ到着してからも相変わらず断続的にスコールに出会い、お陰で足下が乾く暇もないほど。約2ヶ月振りのウォーキングだったが、ちょうど5時間の歩行でいくらかの疲労を足に感じたので、大人しくさっさと帰宅することにした。

瀬戸崎街道(宮の馬場⇒長門市駅)へ続く

2011年8月7日(日)

楽しみにしていた野田神社能楽堂での観能に、奥様と出かけてきた。野田神社すぐ側の菜香亭駐車場が、今夜は臨時の駐車場になっていて、午後6時前に到着したのだが既に半分以上が埋まっていた。
そして午後6時半からいよいよ開演だが、いい席のチケットを取ってもらったので前から2列目というほぼかぶりつき状態。演目は次の通り。
 舞囃子「忠度」 粟谷明生
 仕舞「羽衣」 粟谷幸雄
 仕舞「融」 友枝昭世
  -火入れ式-
 狂言「磁石」野村萬斎、野村遼太、深田博治
 能「船弁慶」粟谷能夫、森常好、野村萬斎

喜多流習いのオイラとしてはもちろんだが、当世随一の文句なしに最高のキャストである。
特に、友枝昭世師の仕舞を久し振りにそして間近に拝めたのがなによりで、これだけでもS席1万円の価値があったと思うほど。優雅さと力強さ、静謐さの中の唐突、言わば静と動を混沌かつシームレスに演じ切れる能楽師として、友枝師はやはり大きく抜きん出ていると思う。ま、単にオイラの好みなのかも知れないがネ。

多くの観客の目当てである、狂言「磁石」と能「船弁慶」のアイを演じる野村萬斎師は、野田神社境内の隅々まで届かんばかりの、相変わらず通りの良い朗々たる美声である。萬斎師の甥にあたる野村遼太も精一杯の演技で、叔父と比べられると少し辛いが、それでもこれからが楽しみな若手だと思う。

能「船弁慶」のシテを演じる粟谷能夫師はオイラと同年代だが、何だか既に老獪の雰囲気をも漂わせる程に安心して見ていられるのがご同慶の至り。前シテの静御前での優美な「中ノ舞」は、烏帽子を被った悲しい別れの舞いの所作にぐいぐいと引き込まれていく内に、そこで舞っているのが実はオジサンであることを完全に忘れてしまう程だ。
ワキの森常好師は、いつもよりも「語り」の調子が大きくうねっていたように聞こえたが、これも実はオイラの好みだから、聞いていてとても心地良かった。
三王清師の大鼓(おおつづみ)は、屋外だからかそれとも少し湿気が残っていたからか、大鼓特有の「カァ~ン」という響を今日は聞くことができなかった。それでも、船弁慶の見せ場の一つでもある描写的な囃子はやはり楽しく、神社の闇をつんざく能管の響が、蝉や蜩までも聴衆にしてしまったようだ。

と、いいところばかりを挙げたが、実は唯一残念だったのがPA(拡声設備)のクォリティがお粗末であったことだ。本来、能楽にPAは不要なのだが、屋外の公演なので、多分後ろの席では聞こえにくいなどからの配慮だとは思う。
しかし、マイクを本舞台や橋掛りの上に直に置くという愚行の為に、舞いの際の裾捌きが突如聞こえたり、大鼓・小鼓方の床几を置く音がカツンと大きく響いたり、はたまた、船弁慶の後半には風切り音がビュービュー聞こえたりで、本来は聞こえない(聞きたくない)音が盛大に聞こえてしまう有様。
更に一番最悪なのは、演者の立ち位置とは関係なく、左右のスピーカーから均一な声が聞こえてしまうことで、PAとしてはそれでいいのかも知れないが、「能楽という芸術を楽しむ観点」からは完全に外れている。演者の立ち位置に応じた拡声ができないのであれば、PAそのものを止めていただいた方が、例え後の席で聞こえにくかったとしても観能に没頭できる。
また、電源自体の品質も悪かったようで、何かのスイッチ入切によると思われるプチノイズが、途中何度も聞こえてしまい、これも興醒めさせられた。
次回は是非、PAについて再考願いたいものだ。

2011年7月30日(土)

山口宇部空港と山口市内中心部を結ぶ「山口宇部道路」が漸く全線開通することを記念して、開通日(7月31日)の前日に、記念のウォーキングが催されたので、これに参加してきた。
事前の参加申込みが必要で、事務局から送られてきたオイラの参加受付証は「受付番号:150番」だったが、当日スタート地点の朝田ICに集まったのは、上の写真のように300人以上だろうか。写真では分かりにくいが7~8割方は60歳代以上と思われ、元気な高齢者の姿が異様に目に付く………って、オイラもその内カイ?

9:50から開会行事が始まり、挨拶や注意事項の説明などがあった(みたいだ)が、マイクの音量が小さくて、後の方ではほとんど聞こえなかったので、話の中身は知ぃ~らない。そして簡単な準備体操の後に、いよいよ10時からウォーキングのスタートだ。
時折、強烈な日射しが差す真夏らしい天候で、日焼けと熱中症に気をつけながらのウォーキングとなるが、すぐに、高場山トンネル(写真下)に入り、短いながらも日陰でほっとする。

しかし、後を歩く二人のおばさんのリュックの重たそうなこと。たかだか2・3時間の歩行ごときで、何でこれだけの荷物が必要なのかが、意味不明ぇ~。今夜はどっかで野宿でもするつもりだろうかネ?

トンネルを抜けるとそこは流通センターICで、左手には山口流通センターが見える。その先を暫く行くと中国自動車道の上を通過するのだが、そのすぐ手前の辺り、この道路の左右に何となく余裕があるのは、ここから中国自動車道にも繋がる予定があるからだろうか。
更に、小郡上郷の「光が丘団地」を左に見て進む頃(写真下)には、集団の列もかなり長く伸びて、各自それぞれのペースになる。


小郡・三隅線の県道28号を下に、そして小郡円座の巨大な団地と運動公園の間を抜けると、まもなく全長1,915mの小郡トンネルに入る(写真下)。トンネルの手前側前半は、漏水なのか打ち水なのかはよく分からないが、路面が濡れていたのでとても涼しく、秋芳洞にでも入ったかのごとく爽快であった。


そしてトンネルを抜けるとそこはもう長谷ICで、今日のコースの終点だ(写真下)。このクッソ暑いのに、「ちょるる」までがお出迎えとは、ご苦労さんどすぅ。

ここのゴールで無料のかき氷を美味しくいただいて一服したが、スタート地点の朝田ICからは8km余り、まだ1時間半しか歩いていないことに気付く。
本大会の参加者向けスケジュールでは、朝田ICから長谷ICまで歩いた人はシャトルバスで朝田ICまで戻ることになっているが、オイラにとってはそれは理不尽なことなので、ついでにこのまま直進して残りの嘉川ICまでを歩いてみることにした。

嘉川ICまでは5km程度だから、小1時間ほどで歩けると踏んで、東本郷や幸之江川などの、高架橋からの長閑な景色を楽しみながら、嘉川ICに到着(写真下)。

ここは長谷ICから嘉川ICに向けて歩くコースの折り返し点で、朝田ICほどの参加者はいなかったと見えて、比較的小規模でのんびりと対応していた。
オイラはそのままここを通り過ぎて下の一般道へ出ようとしたら、写真左のお兄さんに呼び止められ、『この先は既開通部分の自動車専用道路で歩道が無く危ないので、私が一般道まで車で送ります』と言われ、写真に見える軽トラで送ってくれた。何ともありがたいそして臨機応変な配慮に、心から感心すると共に感謝。山口市役所の職員と思われるが、暑い中、本当にありがとう。

てな訳で、開通記念ウォーキングは3時間足らずで終了し、その後約1時間かけて、のんびりと散策がてら帰宅したのであった。

2011年7月10日(日)

景清洞トロン温泉での目覚めは、早朝からの小さな子どもたちの歓声だった。9時にチェックアウトして、別に急ぐ旅でもないので、久し振りに景清洞に入ってみることにした。まだ入場客も居なくて、係のお姉さんもゆるりと入口付近の掃除をしていたが、オイラの顔を見て『入ってもいいですよぉ~』と言うので、つい『は・は・は・入りまぁ~す』と答えてしまい、千円也を払って本日一番目の客として入洞(写真上)した。

以前よりも、洞内の道幅が広くて綺麗になったように思うが、幻想的で非日常の洞内(写真下)は、余計なことを考えずに頭を真っ白にすることができる。


奥に行くにしたがって暗さにも慣れ、何万年以上にも渡って自然が作り上げた見事な造形に目を奪われる(写真下)。人間世界のくだらない争いや営みなど、この鍾乳石の僅か1ミリの期間にも満たないのだなぁなどと考えると、自分自身のちっぽけさと阿保さ加減が身に染みるワィ。


景清洞を出てからリフレッシュパークに別れを告げ、サファリランドの方へ歩を進めて行くと、途中で大正洞方面の案内板が山中を示していた(写真下)ので、この道を辿ってみた。

山道を40分位歩くと大正洞の横にひょっこりと出て、そこには「秋吉台縦走線歩道」と書かれた案内板が建っていた。それによれば、景清洞~大正洞~帰り水~長者ヶ森~妙見原(展望台)を結んだ歩道のようで、山道の約8kmだからほぼ3時間程度の道程か。今回はあきらめて、次の機会にはこの道にもチャレンジしてみよう。

大正洞前から、そのまま秋吉台道路を東進してサファリランドにも久し振りに立ち寄ってみた。駐車場からみる空は、もうすっかり夏雲に覆われていて(写真下)、強烈な夏の日射しが眩しい。


サファリランドで軽く昼食を摂った後は、絵堂から長登を経て大田まで歩き、ここからバスで帰宅することにした。昨日の疲れが多少残っていたこともあり、今日は余り無理をせずに約4時間の歩行で打ち止めとした。昨日と今日の二日間で、約9時間歩行の6万2千歩だった。

舟木街道(十文字⇒長登)へ続く

2011年7月9日(土)

秋芳洞バスセンターから乗った東萩行きのバスは、秋吉台展望台近くのバス停を通って秋吉台道路をゆったりと進む。乗用車からの眺めと違って、バスの乗客としてゆっくりと秋吉台の眺めを満喫できるのは、視点が高いことも相まって、これはまたいいものだ(写真上)。
秋吉台パノラマビューを約20分楽しんだ後、バスは大正洞入口に到着しここで下車。ここから約30分歩いて景清洞へ向かう。

サファリランド入口の少し手前を左折すると、秋吉台リフレッシュパークの大きな入口看板が見えてくる(写真下)。


ここのエントランス道路を始め、この辺りの路傍には紫陽花が沢山植えてあって、季節的にももう盛りは過ぎた筈なのに、とても優しい表情で来場者を迎えてくれるのは、嬉しいことだ(写真下)。


以前に景清洞へは来たことがあったが、ここの施設全体がどんなものであったかの記憶が曖昧だったので、今回はゆっくりと施設内をも見てみることにした。どうやら、全体の名称が「秋吉台リフレッシュパーク」で、その中に、①景清洞、②景清洞トロン温泉、③秋吉台オートキャンプ場の三つがある、という理解で良さそうだ。
土曜日のせいか、キャンプ場もそこそこの賑わいで、小さい子どもたちの歓声がこだまする中で、若いお父さんが必死の形相でテントを設営し、それをお母さんが不安そうに見つめている姿は、なんとなく微笑ましい。

景清洞トロン温泉(写真下)は「素泊まり」が3,500円と格安で、部屋はホントに素っ気ない値段相応だが、入浴料の600円も込みなので、頗る安上がりではある。写真建物の二階部分が、休憩用の大広間と宿泊室になっている。


トロン温泉は天然温泉と違って、トロン浴素なるものを泉源としているとのことで、イオンの活性化作用で天然温泉と同様の効果がある……と効能書きには書いてある。屋内浴槽が3種類、露天が2種類、サウナが2種類と、そこそこに楽しめる造りになっていて、約1時間かけてゆっくりと浸かることができた。
特に、背中部分から強烈な泡が出るジェットバスはお気に入りで、背中だけでなくて、足裏の土踏まずや脹ら脛、それに太股なども入念にこのジェットでマッサージをしておいた。しかし、いつものお楽しみの「タマブクロ転がし」は、流石に止めておいた(理由:ジェットの水圧が強すぎて、快感どころではなかったので………ってぇことは、試してみたのカィ)

一階にはレストランがあって、ご当地自慢の「ごぼううどん定食」なるもの(写真下)をいただいてみた。味はまぁ普通で、ごぼうは「天ぷら」もいいけど、やはり「煮しめ」や「きんぴら」の方がオイラの口には合うなぁ。鮮度が良ければ「サラダ」でもいいけど。


ということで、約一ヶ月ぶりのウォーキングだからか、多少の疲労を足に覚えながら景清洞の夜は更けていくのであった。

「おまけその2」へ続く

2011年7月9日(土)

前回(6月4日)の続きで、山陽本線で宇部へ行き、宇部駅前から船鉄バスに乗って終点の船木で下車し、ここから街道を歩き始める。前回も立ち寄った「楠こもれびの郷」を右に見て、万倉集落を抜けて県道30号を北上する。
漸次、道は次第に山中に入っていくのだが、歩道が無くなってしまって歩きにくいことこのうえない(写真上)。途中で、「森の駅 楠」入口と書かれた看板があったが、一体何があるのだろうか。入口からの距離も、どんな施設かも書いてなかったし、おまけに、看板の先は更に細い山道に通じていたので、寄り道をするのをつい躊躇ってしまった。

吉部地区の少し手前、芦河内集落の入口三叉路に、立派な石碑が二つ建っていた(写真下)。実際は夏草が茫々と生えていて、石碑の上四分の一程がやっと見える状態だったので、手前の草を少し掻き分けて撮ったのがこの写真だ。

元陸軍大将の井上幾太郎氏は知らなかったが、元日本石油会長の栗田淳一氏は多少知っていて、自身の小児麻痺にも負けずに、その根っからの実直さと誠実さでトップに就いたと聞いている。このお二人が、この辺りか又はここから更に山奥に入った芦河内集落の出身ということなのだろう。

街道は、県道から時々離れたり合流したりしながら小さな峠を越えると、漸く吉部地区に入る。真っ先に目に入るのは、吉部八幡宮の鳥居と、その先に続く長くて立派な参道だ(写真下)。

八幡宮の由緒によれば鎌倉時代(弘長元年)の創建で、大内氏・毛利氏と社領を安堵された後、三田尻・小郡・高泊(小野田)の開作地の工事成就祈願を行ったとある。吉部の集落は、車で県道を通り過ぎると全く分からないのだが、一つ奥まった街道沿いを歩いてみると、赤瓦のどっしりとした大屋根の旧家が何軒が残っていて、往時の繁栄を偲ばせる。

東吉部の荒滝山入口を過ぎて更に北上すると、「耳観音」と書かれた案内板が目に付いたので、左折してみた。「観音」と言う程のものではなくて、穴の開いた大きな岩がご神体なのだが、参詣時に穴の開いたものを持ち合わせていない人のために、入口には、穴の開いた硬貨のようなものがご丁寧に自転車かごに入れてあった(写真下)。有り難くこれを一枚拝借し、奉納させていただいた。


この辺りの右手を流れているのは厚東川で、川の水はやがて小野湖を満たし、更に厚東川ダムを経て宇部湾に注ぐのだが、逆に上流は、秋芳洞や景清洞それに別府弁天池などから流れてきているのだナ。
街道は小さな峠を越えると宇部市に別れを告げ、いよいよ美祢市(旧美祢郡美東町)に入る。中国自動車道の高架下を潜るとすぐに、十文字の交差点(写真下)が見えてくる。


今日はここまででちょうど5時間を経過したので、ここから帰宅するかそれともどこかに宿をとるかの選択をすることにし、幸いにして、「景清洞トロン温泉」で素泊まりができることになったので、十文字からバスに乗ってまずは秋芳洞へ行き、更に東萩行きに乗り換えて宿に向かうことにした。

「おまけ」に続く

2011年6月21日(火)

五日目の朝は6時過ぎに起床し、新大阪駅で朝食を買い求めてから「ひかりレールスター545号」に乗る。博多まで、8号車の4人用個室を奥様と二人で占有できるのも、フルムーンパスのいいところだ。
博多で「つばめ341号」に乗り換えて、6つ目の熊本までは「つばめ」は各駅停車だ。途中、「筑後船小屋」なんぞという、何となく「政治駅」を連想させる怪しい(?)名前の駅もあったが、駅の場所や駅名の決定にあたっては、いろいろと政治家も陰で暗躍したことでしょうなぁ。
で、お昼前にはもう熊本駅に降り立ったのであった(写真上)。しかしウン十年振りに熊本駅に来てみたが、新幹線が開通したせいか、まぁ小綺麗になったこと。

相変わらず市内電車は健在で、可愛い「チキンラーメン」号も走っていた(写真下)。でもなんで、熊本でチキンラーメンなんだろう?と考えてしまったが、別に熊本に限った訳ではなくて、日本全国の市電やバスで結構チキンラーメン号は走っているみたいだ。

チキンラーメンに誘われた訳ではないが、今回の旅を締めくくるのは、やはり何つっても熊本ラーメンだろう………えっ、聞いてないって?
そもそも旅のきっかけが、奥様との日常の会話の中で、『ここしばらく、熊本ラーメン喰ってないねぇ』から始まって、『そう言えば、九州新幹線も開業したよなぁ』となって、『じゃぁ、ついでに旅に出てみるか』となった訳だから(多分、そうだったと思う…)、締めに熊本ラーメンてのは、ごく当たり前の結論ではあるナ。
ポピュラーかつ有名どころの「こむらさき」や「こだいこ」もいいのだが、熊本駅に近いという理由で「大雅ラーメン」でいただくことにした。

で、続いて熊本と言えばやはりここは外せない。そう、熊本城だぁ。この堂々たる面構え…いや、城構えは、石垣の流麗さとも相まって見事の一言に尽きる。約40年前の若かりし頃には、熊本城と水前寺公園、それに立田山や江津湖を縄張り(?)としていたオイラにとって、この城の眺めは想い出が一杯詰まった場所でもある。


40年前当時も、天守閣にはもちろん登れたが、その他の城廓は入れなかったりしてあまり見所も無かったのだが、現在は宇土櫓(うとやぐら)や数寄屋丸二階御広間その他も補修されて観覧が可能になっており、ゆっくりと見るためには1日がかりとなりそうな程だ。
宇土櫓の急な階段では、江戸時代の大工がふるった釿(ちょうな)の今でも生々しい斧跡を、ごく間近で直接触れることができる(写真下)。


また、その階段も、武者たちが何度となく駆け上り降りたであろう有様が、階段板の磨り減り具合に現れているのも、これまた面白い(写真下)。西南戦争でも焼失を逃れた宇土櫓は、このように見るべきところが随所にある。


また、昔との大きな違いが、本丸御殿の復元などに見られる大規模な復元整備工事だ。なかでも格式の高さを感じられる「昭君之間」(写真下)は圧巻で、所謂、書院造りと言われるものだと思うが、床の間や違い棚などの煌びやかさには溜息さえ出てしまう。前漢の時代に、匈奴に嫁がされた悲劇の美女である「王昭君」の物語が描かれていることから、この名がつけられたらしい。

更に、2つの石垣を跨ぐように本丸御殿が建てられたために、地下通路があるのだが、これが本丸御殿への正式な入口だそうで、 「闇り通路」と呼ばれていて(写真下)、これも忠実に再現されている。こういった地下通路を持つ御殿建築は、日本中の城でもあまり例がないらしく、この荘厳な空間も40年前には無かったものだ。

いやはや、この壮大な復元整備工事には恐れ入ったとしか言いようがないが、聞けば、熊本市民・県民を始め全国からの有志による「一口城主制度」の募金額が、既に4億円を突破しているそうで、官民一体となった歴史的な復元整備工事がどうか無事に成功することを蔭ながらお祈りするばかりだ。

後は、九州・山陽新幹線の「さくら」に乗って、僅か1時間と17分で一気に新山口まで帰ってきたのだ。これで、五日間に渡る旅も無事に終了ぉ~
しかし思い返してみると、札幌JRタワー、函館山ロープウェイ、湯沢高原ロープウェイ、富山市役所展望塔、熊本城天守閣と、何だか高いところばかり行っていたような気がするが、ひょっとすると、奥様の今回の旅のテーマは『高いところ』だったのかもネ?
次回はいつになるやら、どこになるやらは分からねども、乞うご期待!!!

2011年6月20日(月)

朝は6時半頃に起き出して、すかさず朝風呂に向かう。早くも先客が結構いるがあくまでマイペースで、のぉ~んびりとお湯に浸かる。和風旅館に泊まる楽しみと言えば、食事もそうだが、やはりこの朝風呂が一番の贅沢のような気がするなぁ。
そしてようやく和朝食(写真上)をいただくのだが、朝からでもたっぷりの量を摂ることができるのは、朝風呂のせいかも知れない。

旅館でいただいた「越後もち豚」がとても美味しかったこともあって、越後湯沢駅で、その豚肉の弁当(写真下)を先に買い求めた。例の、ヒモを引いて暫く待つと、暖かくなるタイプの弁当だ。
越後湯沢から再度上越新幹線に乗って長岡へ行き、ここで信越本線・北陸本線の特急「北越」に乗り換える。越後湯沢から直江津までなら、北越急行ほくほく線の特急「はくたか」の方が早くて便数も多いのだが、この路線は第3セクターなのでJR以外となってフルムーンパスでは乗車できず、最高速度160kmと言われる「はくたか」乗車は次の楽しみに置いておく。


越後もち豚でお腹を満腹にした頃には、富山駅に到着。駅前から「セントラム」という愛称の市内環状線(写真中央の黒っぽい電車)に乗り、富山市内を遊覧しつつ国際会議場前で降車し、富山城址公園を訪れる。


公園を散策後に、奥様のリクェストで市役所の展望塔(写真下の塔)に上がってみることにした。市内の中心部にあって、なおかつ、すぐ近くには高いビルが無いので、富山市内とその周辺や遙か遠くには富山湾や立山連峰など360度の視界で見渡せる、とても素敵なところだ。
おまけに、展望塔に上がるエレベータは無料で乗れるってのがまたいいし、全国の市役所の建物がこんなことになっているといいなぁ。


富山市内観光を終えると、次は特急「サンダーバード」(写真下)に乗って新大阪へ向かう。この写真のアングルだと「THUNDERBIRD」としっかり描いてあるのでいいのだが、先頭車に行ってみてもノッペラボウで列車プレート無し、ならばと最後尾にも走って行ってみたがこちらも同じくノッペラボウ。何とも愛想無しだなぁ、JR西日本さん。ただ、グリーン車座席は2席・1席並びでゆったりしていて、とても居心地のいい列車だった。


そして3時のお八つには、越後湯沢で買い求めておいた「笹だんご」と「温泉まんじゅう」(写真下)を車内でゆっくりと頬張る。笹だんごは、笹の葉に包まれた餡入りのよもぎ団子が、チョー美味!。そして温泉まんじゅうも、上品かつ素朴な黒糖の味わいが、心を和ませる。


今夜は新大阪駅近くのビジネスホテルに泊まり、明日はいよいよ熊本に向かうのだぁ~。

五日目に続く

2011年6月19日(日)

三日目の朝は栃木県に入った辺りで目覚め、車内販売の弁当で朝飯を済ませる。大宮で上越新幹線に乗り換え、一路、新潟へ向かう。
大宮から新潟までは約300kmの距離だが、10時前に大宮を発車した「maxとき315号」は11時半過ぎにはもう新潟に到着という速さだ。東京(周辺)と新潟が、こんなに近くなっていたとは知らなかった。グリーン車は、二階建て車両の二階部分にあって眺めもなかなかよく、新潟駅の少し手前に拡がる一面の田圃風景は、米どころであることを十二分に感じさせてくれる。

昼飯を、新潟駅近くの寿司屋でプチ贅沢に済ませ、再び上越新幹線に乗って、今日の宿泊地である越後湯沢へ向かう。新潟から四つ目の駅が越後湯沢だが、途中の各駅に停車しても僅か50分で、もう越後湯沢駅へ到着する。チェックインには少し早めの時間ではあったが先に旅館に向かい、荷物を降ろしてから近場の観光に出かけた。
奥様のリクェストで、ロープウェイに乗って湯沢高原スキー場にあるパノラマステーションへ上ることにする。世界最大級の定員166名という大型のロープウェイは、標高差500mを7分で一気に登り、眼下の越後湯沢を遙かに見下ろして(写真上)、標高約1000mの展望台へ到着。

パノラマステーションで降りたち、更に無料の送迎バスでもう一段高い場所へ移動すると、そこは「アルプの里」という高山植物園だ(写真下)。


高山植物を、素人が簡単に見に行ける場所としても有名なところだそうで、何やら高価そうなカメラを幾つも抱えたマニアらしきオッサンも、随所に見られるのだ。
そんなオッサンの一人が、(聞いてもいないのに)教えてくれたのが、キキョウ科の「悪魔の爪」で(写真下)、ヨーロッパでもアルプス南部にしか自生しないとかで、日本ではなかなかお目にかかれない…そうな。


奥様はこの後、「雲の上の足湯」にしっかり浸かり(写真下)、妙高高原や小千谷方面の雄大な景色を眺めながら、旅の疲れを癒したのであった。


そして宿(白銀閣・華の宵)にもどり、まずはたっぷり1時間かけて温泉を満喫。そして豪華な夕食へ…。

四日目に続く