
2013年7月20日(土)
前回ここを歩いたのが4月27日だったから、それからだいぶ日が経ってしまったが、ようやく時間が取れたので、今日は新山口駅から防長バスに乗って、前回のゴールである(旧美東町)御坊まで行き、ここからゆるゆると歩き始めた。
街道はほぼ県道240号を西進するが、ところどころ県道を逸れては又交わる旧道を探しながら歩くのもまた楽しい(タイトル写真)。写真のようなこんなに狭い道でも、カーブミラーが黄色く塗られているところを見ると、以前はこの狭い道が県道240号であったことが分かるのだ。
御坊からすぐ先の旧道沿いに「追拳公会堂」と書かれた集会所があったので、通りがかりのおばあさんに『この地名は何て読むんです?』と聞いてみたら、『おこぼしじゃぁ、他所の人にゃぁ読めんじゃろうのぉ~、ハハッ』と軽くあしらわれてしまった。
勝手に察するに、読み辛い地名であることから他所から来る人に聞かれ慣れているのか、はたまた、この地名に甚く誇りを持っているのかのどちらかだろう。追拳だから普通に読めば「おうこぶし」くらいだろうが、いつのまにか「おこぼし」になってしまった訳だナ。地名って、面白い!
下郷小学校、岩永郵便局前を通りすぎて、山露交差点で国道435号に突き当たる。これを左折して直ぐの三叉路で今度は右折すると再び県道240号になり、やがて右手に広大な県畜産試験場が見えてくる。そのすぐ手前の目立たない小さな三叉路は、右から来る赤間関街道との合流点で、従って、ここから美祢市内までは肥中街道と赤間関街道(中道筋)は同じ道筋となる。
梶岡牧場入口を過ぎて、ごくたまにしか車も通らない長閑な県道をそのまま西進すると、前方に美祢市河原集落が見えてくる(写真下)。

県道を右に逸れて河原集落に入り、専正寺の直ぐ先左手に、「諸隊の宿陣跡」と書かれた案内板が目に入る(写真下)。幕末に、長府の功山寺で挙兵した高杉晋作率いる奇兵隊が、赤間関街道を東進して萩を目指す途中、ここに滞陣したのだナ。

そして、翌年にこの先にある絵堂の地で、萩政府軍との決戦となった「大田・絵堂の戦い」が勃発し、この戦いに奇兵隊軍が圧勝したことから長州の藩論が一気に倒幕に向かうこととなる訳だ。全部合わせても僅か数百人と言われた奇兵隊諸隊が、この時点で日本の歴史を大きく変えたことに想いをはせると、なかなか感慨深いものがある。
その先の小さな峠を超えた途端に、宇部興産伊佐セメント工場の広大な敷地が目に飛び込んでくる。それまで、山々の豊かな緑づくしだった光景から、いきなり石灰岩の採石場(・・・と思う)の一面真っ白な景色に変わるのは、目に痛い程だ。
工場の敷地が切れた辺りの左側に旧道があり、青嶺高校の北側で国道316号を横切り、更に美祢線も横切る。赤間関街道はここで南下して美祢市内の大嶺地区に入るのだが、肥中街道はそのまま直進して再度県道240号に合流し、来福台団地の南側と美祢ダム池との間を進む。
常森集落を抜けて小さな峠を下ると、県道38号に突き当たり、これを右折して旧美祢線大嶺駅方向へ向かう。大嶺郵便局手前の奥分に小さな交差点があり(写真下)、これを豊田方面に左折して上り坂を登って行く。

直ぐに「山頭火の道」なる標識が見えてくるので、県道から逸れて右手の旧道を登って行く。坂のほぼ頂上近くに小さな平原集落があり、三叉路にある旧酒場跡の向かいに、山頭火の句碑が経っている(写真下)。

往時には旅籠があったであろう跡地に、「よい宿で、どちらも山で、前は酒屋で」と、いかにも山頭火らしい句がでぇ~んと威張っているように見えるのが、何とも微笑ましい。
ここの三叉路を右に折れて又少し坂を登って行き、溜池を右手に見て過ぎると桃ノ木集落に出る。急な小川沿いの坂に寄せ合うように家が繋がる桃ノ木集落を抜けると、桃木小学校の側へ出て、ここで国道435号と合流する。
ここから暫くは国道を往くしかないが、小さな峠を越えるとすぐに豊田前麻生の町並みが見えてくる。下り坂の途中から左手に旧道が残っていて、今はほとんど人通りも無い静かな通りを往く。
麻生郵便局近くのバス停は「御注連」という名前だったが、これは一体何と読むのだろう?。「注連」は「しめ」と読むのが普通だから、「ごしめ」「おしめ」「みしめ」のどれかではないかと思う。誰か知っていたら、教えてくらはぁ~ぃ!
その先、豊田前郵便局のある麻生銀座(?)を過ぎるとまた少し上り坂になり、峠を超えた先の下り途中に、右手にまた旧道が見えてくる(写真下)。どうやらここで美祢市から下関市に入るようで、この旧道の入り口には写真のようにしっかりと車止めがされている。ということは、車が通らない訳だから安心して歩くことができるってぇ訳だぁな。

この旧道が終わった辺りで国道435号を横切り、国道左手の川沿いの旧道を暫く往く。この当たりが殿敷地区で、中世周防の国の豪族であった豊田氏の向山館があった所らしい。殿敷なる地名は「殿様の屋敷」から来ていると思われるが、こんな片田舎であっても、館の内には蹴鞠を楽しんだ庭があり、諏訪神社を奉り、水車まであったそうで、広大な敷地での殿様の暮らしを忍んでみる。
で、ようやく本日のゴールである西市へ到着した(写真下)。

西市からは、バスに乗って山陽本線小月駅まで行きJRで帰宅したが、久し振りのウォーキングだったこともあって、少々疲れた・・・みたいだぁ。
三日目へ続く



































