2014年2月25日(火)

仕事で室積(光市)に行き、昼食は、早長八幡宮近くの「宮本」で「海商煮込みうどん」を美味しくいただいた後、午後一の仕事(講演)を済ませて、次の周南市の仕事までに少し時間があいてしまった。室積に立ち寄ったのは、かれこれ30年振りだし、往時を思い出しながら辺りをちょいと散策してみた。

早長八幡宮から普賢寺までの昔ながらの通りは、今では「海商通り」との名称で知られるようになったみたいで、途中の綺麗な公園には、「みたらい燈籠堂」なる平成3年に復元された元禄時代の灯台が鎮座している(タイトル写真)。
この公園には、山頭火が室積に立ち寄った際に作ったと言われる自然石の句碑があり、「わがまゝな旅の 雨にぬれてゆく」と刻んである。気楽な一人旅なれば、雨に濡れながら歩く室積の風景もまた一興なのであったろうと想う。

海商通りを南下すると、突き当りのすぐ右手に臨済宗の名刹「峨嵋山普賢寺」の山門に出る(写真下)。

山門内の両脇には、3メートル位ありそうな雄大な木彫りの仁王像が睨みをきかせており、また楼上には国宝級らしい「十六羅漢像」が安置されているそうな。近くに寄って見ても、また少し離れて見ても惚れ惚れするような、威風堂々たる山門ではある。
 

山門を潜って、正面に見えるのが普賢堂で、ここに普賢菩薩が鎮座しておられる。
縁起によれば、一条天皇の時代って言うから今からほぼ千年前のこと、播磨の書写山の「性空上人」が生身の普賢菩薩を見たいと祈願したところ夢のお告げがあり、摂津の江口の里に行って普賢菩薩の化身である遊女の長者に出会った。
その遊女から、「周防なる 室積の中なる みたらいに 風は吹かねども ささら波立つ」の謡を聞き、周防の室積の里に行った。
そこで漁人が海中から網で引き上げた普賢菩薩に対面し、この地にお堂を建てて本尊として祀ったとのことらしい。因みにこの本尊は、海上守護仏、知恵仏、無病安全仏として広く信仰を集めていて、50年に一度しか開帳されないそうな。
 

また、ここの境内には「平判官康頼の碑」が建っている。治承元年(1177)に後白河法皇が起こした平清盛への反乱(鹿ヶ谷の変)に連座して、平康頼・藤原成親・僧俊寛が捕われ、九州の南端鬼界ヶ島へ流されることとなった。
一行が瀬戸内海を船で下る途中、室積の浦に立ち寄った際にこの地で出家し、その時に詠んだ一首が碑に刻んである。
 「終(つい)にかく 背(そむ)きはてけむ 世の中を とく捨(すて)ざりし ことぞかなしき」
能の「俊寛」或いは「鬼界ヶ島」で有名なエピソードの一端に、こんなところでお目にかかるとは思っていなかった。
 

普賢堂から普賢寺本堂へ周り、そのまま山口大学付属中学校を左に見ながら半島突端の象鼻ヶ岬まで足を伸ばし、帰りは途中から左側山手の自然遊歩道へ入って、高台にある護国神社へも立ち寄ってみた(写真下)。

ここは当初、維新の志士として知られる来島又兵衛やその他の神霊を祀っていたが、元治元年(1864年)の下関砲撃事件の戦死者や、同年7月の「蛤御門の変」の戦死者なども合祀されたと書いてある。
瀬戸内海の島々を一望に見渡せる絶景の地で、英霊安らかにと懇ろに手を合わせたが、何せ周囲の木々が生い茂っていて境内からはこの絶景は見通せないのが残念っ。

更に自然遊歩道を北上して途中から山大附属中学校横に出、再び海商通りを戻って帰路に着く。
で、もう一度、海商通りをゆっくりと歩いてみた(写真下)。

落ち着いた街並みはとてもいいのだが、平日の午後だからか、何せ人が通らない。写真にも見えるように、路傍の所々に四角い敷石のようなものが並べてあるのに気がついた。
数も七つだったり三つだったりと色々なようだが、結局通りがかる地元の人に会えないままにここを後にしたので、どんな意味合いがあるのか分からずじまいになってしまった。
どなたか知っている方がいれば、教えてください。

てな訳で、仕事の合間を縫った、二時間半余り1万6千歩のプチウォーキングでありました。

2014年2月15日(土)

ノートパソコンを新調して、流行りの「ウルトラブック」とやらに替えたのはいいのだが、「HP Mini-5101」なる、OSがXPのネットブックが使い道がなくなってしまった。
今更非力なAtomネットブックのためにWindows7や8を購入するほど財力も豊かではないし、かと言って捨てるのも何となく癪だなぁと思っていたところ、Linux系のフリーOSを入れてみることを思いついた。
色々とネットで調べてみると、Ubuntuベースの「Zorin OS 8」なるOSが、WindowsライクなUIで違和感なく使えそうなことが分かったので、早速とりかかった。

ネットからISOファイルをD/LしてDVDに焼き、これからブートアップしてインストールは難なく完了した・・・・・・と思ったら、インストール作業の一番最後になって、「ゴメン、インストールがクラッシュしたよ!!!」なんてぇメッセージが出てしまい、そこから先に進めない。
色々と環境を変えながら、結局三回チャレンジしたものの、ことごとく失敗。

ひょっとして、日本語環境のインストールを省略したらいいのかと思ってもう一度試しにやってみたら、これがすんなりと成功。つまり英語環境ならば、問題なくインストールできるということだ。
と言うことで、日本語環境のインストール最中に何かが引っ掛かっていることはわかったので、更に調べてみると、やはり同じような状況に陥った人は結構いるもので、ネット上の皆様の書き込みで無事にここの部分も解決した。
但し、ターミナルからそこそこのコマンドを打ち込む必要があるので、面倒臭がりの方には向かないと思っていただきたい。

UIもXP風と7風に切り替えることができ、Windowsユーザーなら特に迷うことなく使えそうだし、オフィス互換アプリや各種メディア系アプリも充分に入ってしまうので、Chromeブラウザと相まって、通常の使用には特に困ることは無さそうだ(タイトル写真)。

当たり前だが、Chromeブラウザでは、カレンダーやGoogleメールやFacebookも普通に表示される(写真下・スナップショット)


このような素晴らしいOSをフリーで提供していただいていることは非常にありがたいことで、作者に深く感謝するとともに敬意を払って使わせていただこうと思います。

ただ、「ISOファイルって、何?」とか、「ターミナルから打ち込むって、何?」ってぇ方は、止めといたほうが身のためで、この辺りに詳しい方にやって貰った方が賢明です。

2013年12月4日(水)

今日は平日の休みをもらったので、予てから念願の「五百羅漢図」展に行ってきた。休日のとんでもない大混雑は既に聞いていたのでこの日を選んだのだが、山口県立美術館の入り口(タイトル写真)から既に、只者ではない雰囲気を感じるのがまたいい。

幕末の江戸で絵師として活躍した狩野一信が、三十代の終わりから没するまでの約10年の歳月を、ただひたすらこの羅漢図の制作に費やしたというのだから、まぁ、鬼気を感じるのも当然だろうか。
縦172㎝・横85 ㎝という大きな画面に、一枚あたり五人の羅漢のいろいろな営みを精緻に描き、それを百幅(100枚)仕上げて五百羅漢とする、とんでもなく壮大かつ前代未聞の構想だ。

それにしても、この羅漢たちによって繰り広げられる、桁外れで常識はずれのスペクタクルはどうだろう。現在の映画やアニメでさえ到底敵わない、奇想天外な超能力の数々にはただただ圧倒されるしかない。
かと思えば、羅漢たちのとても人間味あふれる日常生活や、羅漢らしく多くの人々を救済する様子には、心から納得したりすることもできるのがまた嬉しい。
とは言え、幕末という世情が穏やかならぬ時代にありながらも、こんなに自由奔放なイメージを作品にする芸術家がいたことにあらためて驚愕するのは、私だけではないと思う。

五百羅漢図そのものは、東京タワーのすぐ側にある港区芝の増上寺で秘蔵されてきたものだが、今回それと共に展示されたのが、千葉成田山新勝寺の旧本堂壁画であった4×5メートルという大迫力の「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」で、これもまた素晴らしい。
説明書きには墨と金泥だけで描かれているとあるが、なのにこの大迫力と絢爛豪華さには、しばし茫然とするしかないのだ。

美術館の出口には、「○○○○な人 Best3」なる展示(写真下)もあって、鑑賞し終わった後には、これもまた余韻を楽しむいい材料ではあった。

2013年11月23日(土) 前記事からの続き

肥中街道ゴールの肥中に着いたのはまだ昼過ぎだったので、そのまま北上して角島を目指してみた。恩徳寺を出て、北浦街道からすぐに左折し、海側の県道275号を辿る。
神田小学校を左に見て更に歩を進め、西長門リゾート入り口を過ぎるとすぐに、角島大橋が見えてくる(タイトル写真)。

優美なカーブを描く角島大橋とその中程に見える鳩島、そして海士ケ瀬戸の向こうに嫋やかに広がる角島とその先の雄大な日本海。何度訪れても絵になるいい景色ではあります。
で、この際だから、角島大橋を歩いて渡ってみようと思い、橋の袂まで行ってみたのはいいのだが、どう探しても歩道が見当たらない。車道部分の幅は、車がすれ違えば歩行者ははねられてしまう程しか無いし、ひょっとして車道の下にでも歩道があるのかと探してみたが、これも見当たらない。
仕方がないので、入り口近くにある売店のおばちゃんに聞いてみた。
 『この橋ぁ、歩いちゃぁ渡れんのじゃろうかぃ?』
 『ぅんにゃ、歩いて渡ってもええんじゃけどノ、今日は危ないけぇ止めちょった方がえぇデ』。
つまり、平日なら観光客も少ないから車の通行量も少ないので気をつけて渡ればまぁいいけど、休日はご覧の通り観光客の車がわんさと通行するし、観光客の車は景色を眺めながら走るので危ないことこのうえないらしい。
自転車で集団を組んで橋を気持ち良さそうに走っている光景をこの日も多く目にしたのだが、現に、自転車が車にハネられる小さな事故はよく起こるらしい。

あぁ~、折角角島住民の為に作ったこの橋なのだが、歩行者・自転車のことは全く考えていなかったという、いつものお粗末。橋は県道だから山口県道路建設課の所管と思うが、もう少し何とかならなかったもんかねぇ。

・・・と、大いに落胆したところで、気を取り直して県道の山側にある小高い道路へ登り、上から見下ろすようにもう一度撮ってみた(写真下)。

左手の展望台と右手の怪しげなモニュメント、そして橋を行き交う車と角島とが全て見渡せる絶好なポイントなのです。

これで今日の行程は終わりとなるのだが、さて帰路はどうしようと地図を確認すると山陰本線の阿川駅が一番近いようなので、県道をそのまま北上して島戸地区まで行き、そこから右折して峠越えで北浦街道へ出ることにした。
結局、肥中からは延べ2時間半余り歩いて阿川駅に到着し、山陰本線で二駅先の滝部まで行って、駅前に止めたマイカーに乗って帰宅した。これで、二回目の肥中街道ウォーキングは無事に完了したのであったぁ~。

2013年11月23日(土)

今回は最終日なのだが、朝の出発時間が少し遅くなったこともあって、自宅から車で滝部駅へ直行して駅前に車を置いてから、前回の続きを歩き始めた。
滝部の街中を見下ろすように建つ旧滝部小学校本館(タイトル写真)は、前回訪れた時はまだ改修中だったのが綺麗に修復され、開校当時と思われるモダンな佇まいで出迎えてくれる。
ドイツ人技師によって設計され、地元の宮大工によって造営されたルネサンス様式の大正建築物は、これも地元出身の国会議員が私財を投じて当時の滝部村に寄贈したものらしい。
明治・大正の人たちは、自分が功成り名遂げると、こうやって必ず地元の発展や子どもたちのために私財を投じることを当然と考えていたのだろうか。近頃の一部の政治家や有名人のように、自分の私腹を肥やすことばかりを考えている輩とは、根本から大きな違いがあるのだなぁ(・・・あ、見え見えの怪しい借用書のことで大汗を掻きながら苦しい言い訳している、どっかの知事のことを言ってるのでは、ない・・・と思う)

豊北総合運動公園を右手に見ながら、そして山陰本線を左手に見ながら、国道435号をしばらくは登って行く。道の右手には、風力発電の風車がどんどん間近に見えて来て(写真下)、おいらはとっても圧迫感というか脅迫感を感じるのだが、ここに住んでいる方達はどんな思いで生活をしているのだろうかネ。

こんなにも巨大な風車を、どうしてこれほど民家に近い距離に建設する必要があるのか、どう考えても納得がいかない。
GoogleEarthなどでこの付近の航空写真を見てみると分かるのだが、この風力発電基地を造る為に、この辺りの山々を建設・保守用の道路でズタズタにしていることに、とっても吃驚する。
クリーンな自然エネルギーと言いながらも、豊かな自然の生態系を根本から破壊していることとの大きな矛盾を、一体誰がどのように地元の方々に説明したのだろうかネ。
このような設備にしても、或いはゴルフ場や大規模住宅団地や杉・檜の植林などで、日本の豊かな自然の源である雑木林の山々をぶち壊してしまうことに、日本人はどうも鈍感なような気がする。一見するとカネにならない雑木林の山々こそが、清流を産み、そして豊かな海へと繋がることに、もうそろそろ気がつくべきだと思う。少なくとも、昔の人はそれをきちんと理解していた筈だ。
大水害などの災害も異常気象だけで片付けるのではなく、日本の山々を衰えさせてしまった大きな原因が、これらの鈍感さにあるように思うのだがネェ・・・。

とまぁ、まるで巨大風車に挑むドン・キホーテのような気持ちになりながらも、小さな峠を越えて滝部地区から神田地区へ入る。
特牛の少し手前から街道は右手に折れていき(写真下)、愈々、特牛の街中へ入っていく。


古びた町並みをゆくと、やがて特牛の中心部で北浦街道(赤間関街道北浦道筋)に突き当たる。これを右折して北上すると肥中はもう目の前なので、特牛漁港で湾を眺めながら一休みする。
街中には、「手づくり和洋菓子」「特牛まんじゅう」と看板に書かれた菓子店があり(写真下)、栗万十や抹茶タルトなどの貼り紙にゴックンと涎を感じながらも、そのまま素通りした。


街道からはすぐに国道191号に合流し、海沿いから離れて少し山側へ入って行くと、すぐに「肥中石畳」なる標識が右手に見えてくるので、国道を離れて山道を往く。
この標識も以前は無かったので最近建てられたのだと思うが、この道に入ってすぐにも分かれ道があり、ここには何の標識もないので、初めてこの街道を歩く人は多分ここで迷うだろうと思う。
地元の方々が標識を建てていただくこと自体は大変ありがたいことなのだが、初めて来た人を確実に導いてくれるような標識を建てていただくような細かな配慮をしていただくと、更に嬉しく思うのです。

小さな峠を越えて下りになると、やがて細いながらも石畳が見えてくる(写真下)。

民家の向こうに見えるのは、もう肥中の港だ。

前回と同様に恩徳寺に参詣し、見事な「いぶき」(写真下)をしばし鑑賞しつつ一休みする。


滝部からここまでは僅か二時間余りで、このまま帰宅するのは少し物足りない気がしたので、そのまま角島方面へ足を伸ばしてみることにした。

続きはCM2の後で・・・

2013年10月20日(日)

例年の通り、今年も「湯原農園」のもちつき祭りに出かけてきた。
シーズン最後の梨狩りもそこそこに、チョー美味しい阿東米の五目おにぎり、醤油たれのつきたて餅、紫芋入り餅のぜんざいなどなど、もぉ~こんな贅沢させてもらって、ェエのんかぁ~ぃ・・・・・って感じでござりまする。


目の前で、ペッタンコペッタンコという心地よい音を響かせて、どんどんと餅ができあがっていく様を、小さな子供たちまでもが嬉しそうに眺めているのは、見ているこちらもとても気持ちのいいもんだ。

出来上がった餅はすぐにその場で、大人の真似をしながら子供たちも一緒にコロコロと丸め、中には、すぐにその場でアングリとほうばる子がいるのもまた微笑ましいし、本当の餅の美味しさを体中で精一杯味わったことだろう。

毎年のことながら、湯原農園と関係者の方々の心からのおもてなしには、本当に頭が下がる思いだ。心から「ありがとうございまぁす」と言いたい。

2013年10月5日(土)

山陽本線とサンデン交通バスを乗り継いて西市に到着し、ここから前回の続きを始める。
国道435号を西市小学校を左に見ながら進むと、直ぐに右側に登る細い道が見えるので、国道から分かれてこちらを登っていく(写真上)。

国道435号が今のルートに整備される前は多分こちらが国道だったと思われるが、比較的車の通行量もすくないこの山道を暫く行くとやがて小さな峠に差し掛かり、ここの分岐点で、この街道で初めての「肥中街道」なる標識にお目にかかれる(写真下)。

この辺りの旧豊田町ではまだまだ肥中街道を知る人は少なく、このような標識もごく僅かしか無いうえに道が分かり難い。従って、地元の人に出会えば大抵確認するのだが、ほとんどの人が『さぁ~』っと言って、そして、『知らんのぉ~』で終わってしまうのは、何とも寂しいことだ。
年寄りがそうなのだから、当然、若い人が知る由もない・・・っつっても、この旧道で若い人に会うことは、まず無いがネ・・・ハハハ。

明教寺を右に見て上八道(かみやじ)で一旦国道435号を横切り、刳貫堤(くりぬきつつみ)の横を抜けた後に再度国道に合流し、しばらくは国道を往く。
鷹子(たかのこ)集落入口を過ぎると、国道左手に「右たきべ道」「左くるそん山」と彫られた石柱標識が見えてくるが、この標識は明治時代に作られたもので、そのまま国道を往く右方向ではなく、左方向へ往くのが肥中街道だ。
更に街道を進むと、やがて国道491号に突き当たるのでこれを左折し、直ぐに右方向の山側に細い道が見えてくるので、これを登って往く。やがて、「みのりの丘」という名の農業公園の敷地内に入る(写真下)。ちょうど梨狩のシーズンでもあり、多くの観光客で賑わっていたので、オイラも売店で梨を買い求めた。歩きながら梨を丸かじりするのも、また乙なもんだナ。


小さな峠を超えて下っていくと、県道269号に突き当たるところに「浮石義民直訴の地」なる立派な石碑があり、その横には経緯が書かれた真新しい案内板が建っていた。前回訪れた時には案内板は無かったので最近建てられたと思われるが、三百年前の地元の方々の命を賭けた戦いにしばし思いを巡らせてみた。

ここから出合地区の手前で国道435号に合流するまでの約3km位の道程は、のんびりとした旧道の趣があって、車もほとんど通らないので道の真中を大きな顔をして(・・・生まれつきだが)歩くことができる。
と思っていたら、「肥中街道 七曲り」なる案内板がいきなり目に入り(写真下)、左手の山中方向の道へ矢印が誘うではないかっ!

この案内板も前回は無かったものだが、誘われるままに山中に分け入ってみた。そのほとんどが獣道みたいなもので、下草刈りから余り日が経ってしまうと、ちょいと歩き難くなってしまうだろう。こうやって地元の方々が案内板を整備していただくのは、大変ありがたいものなのだが、継続して道を整備する必要があることを考えると、逆に申し訳ない気もする。
この辺りから確か旧豊北町と思われるが、このような案内板を最近新たに建てたところをみると、肥中街道を町興しの一環に捉えているのかも知れない。ま、それはそれでいいことだとは思う。

出合の三叉路を更に直進し、田耕(たすき)地区で国道を一旦左に逸れて旧道を抜け、再度国道に合流して暫く往くと、左手に「肥中街道 端山尻」と書かれた案内板が見えてきたのでこれを辿ってみた。「端山尻」の読み方は分からない。折角の案内板なのだが、ふりがなをふっておいていただくと有り難いのだがネ。ただ、これもまた結構な獣道で、時折藪をかき分けながら進む道もまぁそれなりに楽しい。
そして漸く、本日ゴールの滝部に到着した。滝部まで来たからには、滝部温泉に入らなくては失礼なので(・・・ンなこたぁないが)、ちょうど客がいない時間帯なのもあって、ほぼ貸し切り状態で小一時間ほど、のぉ~んびりとお湯に浸かることができたのはラッキー。
約6時間の4万3千歩だったが、疲れをほぼ癒やすことができたのであぁる。

帰路は、すぐ側の滝部駅から山陰線に乗って帰ることにしたが、湯玉から小串にかけての右手車窓から眺める夕陽の、まぁなんと綺麗なこと(写真下)。お陰で、疲れもぜぇ~んぶ吹っ飛びましたゾナ。


四日目に続く

2013年9月24日(火)

今年ももう初秋となり、通勤途上の田園地帯でも豊かな実りを実感できる(タイトル写真)頃となってきました。
五穀豊穣と言うけれども、五穀の中でもとりわけ稲は、古来からの日本人の生活や文化の基盤となってきたものですヨネ。近付いて見ても(写真下)、まさに「たわわに実る」という表現がピッタリで、雨・陽射し・風などの自然の恩恵をたっぷりと吸い込んだその姿は、神々しくさえも思える。

本居宣長は、日本の国が古来から米(水稲)に恵まれていたことが、食生活だけに限らず素晴らしい文化を生んだ源であったと断言しているらしい。
文献によれば、僅か24粒の籾種を蒔くと24本の苗が芽吹き、それを3本ずつ8株に分けて水田に植えると、秋には稲8株が実り、それから13、860粒が収穫される。そして、その籾殻を取り精米すると、大人一日分の白米二合五勺になるらしい。
今の時代の成人男子の一日分としてはちょっと大目だが、今のようにパン食が普及する以前の、農業従事者を含む肉体労働者では平均的な一日分の量だったと思われる。日本人が自らの国を「瑞穂の国」と呼称したように、稲作の重要さと共に農耕民族であることをもっと誇りとしていいと思う。

ちょうど朝の通勤時間帯だと、稲穂の先に朝露が降りてキラキラと光っている(写真下)。

写真だとちょっとその美しさは伝えきれないが、皆さんも是非、朝の時間帯に田園地帯をぶらりと散歩してみることをお薦めします。

2013年9月14日(土)

去る7月末に、県北部に壊滅的打撃を与えた未曾有の集中豪雨だが、毎年のように家族揃って伺っている湯原農園から、『今年も美味しい梨がたわわに実りました。豪雨の被害は特にありませんので是非おいでください』との案内葉書きが来たので、奥様と共に出かけてきた。
入り口(タイトル写真)は特に変わりはなかったものの、今年は晴天が続き過ぎたうえの豪雨という例年に無い天候不順もあって、実の付き方がいつもより少し小さめだそうな。とは言えその美味しさは全くいつもの通りだ。

写真の、少し黄色っぽいというかゴールドっぽいのが「ゴールド二十世紀」だ。
今年はこの品種も味わうことができたのだが、従来の二十世紀と食べ比べてみると、その円やかさとほの甘さも絶品で、こらぁ、ますます梨が好きになりそおぉ~~~

2013年8月14日(水)

Facebookのauからのお知らせで、KDDIパラボラ館が本日21時までライトアップとあったので、湯田温泉セントコアでひとっ風呂浴びた後で、出かけてきた。
誠に恥ずかしながら、元関係者であり、かつ山口市民でありながら、これまでここには一度も行ったことがなかったのだ。

通常の施設見学では、見学専用の施設である「パラボラ館」までしか入場できないのだが、今夜は特別に敷地の奥まで車のまま入ることができて、太平洋上の衛星を睨む直径34mの巨大パラボラアンテナを間近に見ることができる(タイトル写真)。因みに、このパラボラアンテナは、衛星通信用としては日本一の大きさらしい。
君のお陰で、ヤンキース黒田選手の活躍も見ることができるョ、ありがとさん・・・と、ナデナデしておいた。

一旦、車で正門横の仁保小学校駐車場へ戻り、車を降りてパラボラ館をひと通り見学した後、そこから中庭へ出て、今度は直径32mの電波望遠鏡の方へ行ってみる。
その手前には、ちょっと変わった形の何となく「できそこない」風のアンテナが見える(写真下)

TV伝送受信用とのことだが、その形といい中途半端な傾き加減といい、よく見慣れたアンテナとは一味違う風体に、『頑張ってるナァ、きみぃ』と思わず声を掛けたくなる・・・(ンナ人ハ、イナイカ)

そして最後に、KDDIからNAO(国立天文台)に譲渡された直径32mの電波望遠鏡の真下にやって参りました(写真下)

因みにこの電波望遠鏡は、野辺山の直径45mに次ぐ大きさだそうで、西日本唯一のものらしく、地元の山口大学と共同で宇宙電波観測に使われているとのことだ。

同行した奥様もここは初めて訪れたようで、夫婦揃って真夏の夜のひと時を感動させていただきました。お近くの皆様もぜひ一度おいでくださいませぃ~