2010年1月30日(土)
雨と雪の日以外は毎日チャリで通勤しているが、通勤途上で気になってもついつい通り過ぎてしまい、なかなかゆっくりと立ち寄れない場所って、誰でもあるんではないかと思う。今日はそんなところをチャリで巡ってみた。

最初は、秋穂二島惣在所の朝日山(観音山)中腹にある真言宗御室派の名刹「朝日山真照寺」だ。朝日山は標高約70mほどの小山だが、鉄筋コンクリートの本堂では、ご本尊の千手観音が優しく迎えてくれる。
ここは秋穂八十八ケ所巡りの中心霊場としても有名だが、山内には第五十八番札所の他にも第五十四番・第六十九番(奥之院)もあり、春や秋のお大師様巡りシーズンには、参詣者が列をなしてお参りするそうな。
また、本堂裏山一帯には西国三十三番の観音様が三十三体奉祠されていて、これらをぐるりと巡るだけでも楽しいもんだ。
奥之院手前から更に登っていくと山上には朝日神社があり、ここからは360度の大パノラマが眺望できる。見通しのいい日には周防灘は勿論、遠く九州四国までが一望でき、ここから眺める陶ヶ岳(写真①)は裾野までの稜線がとても綺麗だ。

続いて南部海岸道路に出て、そのまま大海峠を越えて「道の駅あいお」まで足を延ばしてみた。
干し海老をはじめとする海産物や秋穂の特産品がずらりと並べられていたが、それらには目もくれずに、饅頭と煎餅を買ってしまったのは、我ながら情けないコッテ。
ここからは踵(ハンドル)を返して、正八幡宮方向へ向かう。
途中では、早くも菜の花が咲き始めていて(写真②)、暫しの間、近づく春の息吹に浸ったのであった。毎年のことながら、この季節に菜の花を見ると、『日本に生まれて、ヨカッタァ~~~ッ』と叫びたくなるのは、オイラだけかい?

正八幡宮は、平安時代前期の弘仁五年(西暦814年)に、宇佐から二島に勧請したのが始まりとされていて、当初はその名も「八幡二島宮」であったらしい。
その後、室町時代後期大内義興公の時代に現在の地に移転し、更に江戸時代に毛利氏によって現在の社殿が造営された時に、「正八幡宮」と称するようになったそうな。
正八幡宮の本殿・拝殿・楼門・そして庁屋は、国の重要文化財建造物に指定されているが、広くて長い参道(写真③)をゆっくりと進むだけでも神妙な気分になるから不思議なもんだ。
隣接して、秋穂八十八カ所霊場の第一番札所大師寺、そして最終の第八十八番札所宮の旦大師堂もすぐ近くにあり、まさに霊場巡りのメッカと言えそうだナ。

その後は、旧秋穂街道沿いに仁光寺・梅ノ木峠と辿り、勤務先を横目に見ながら陶地区に出て帰路についたのであった。たっぷりと寄り道をしながらの約4時間、35km余りのサイクリングであった。

2010年1月24日(日)

長女のPCが不調になってしまい、調べてみたらSAMSUNG製ハードディスクが時々異音を発生していて、これが足を引っ張っていることが分かった。再起不能になるかも知れないのを承知で、二・三回本気で衝撃を与えてみると、ナント!!!異音が収まり、普通に動作し始めた
とは言え、そんなにいつまでも正常に動く保証もないので、ご機嫌のいい間にデータを他のハードディスクに移行し、こいつはお払い箱にすることとした

今の時代では考えられないが、たかだか20MB(“GB”ではなくて、“MB”だ)なのに2万円以上もした遥か昔から、多分30台以上のハードディスクと付き合ってきたが、動作不良などのトラブルに出会ったのはこれで都合4台目で、どういう訳か海外ブランドのものばかりだ。
今回のSAMSUNGと、MAXTOR(米国)、WesternDigital(米国)、IBM(米国)がそれだ。国産ブランドの東芝や日立・富士通もそれぞれ複数台使っていて、Made in MalaysiaとかThailandなどと書いてあるから純粋日本製ではないにしても、これは未だに一台も壊れていない。不思議だなぁ‥
『ヤッパ、日本製がエエワィ』なんて言うのは一寸安易すぎるかも知れないが、そう言いたくなるような確率ではあるナ。

で、このままゴミに出すのも忍びない(?)ので、懇ろに合掌した後に分解してみたのが写真だ。この写真を撮った後にヘッド部分も分解して、ディスクそのもの(二枚)を取り出してみた。流石、「ハード」ディスクと言うだけあって確かにカンカンに硬く、指先で弾くと『カィ~~ン』と心地良い響きが聞こえる。一見金属円盤のようだが、ネットで調べてみるとその多くはガラス盤に磁性体を蒸着塗布したもので、これは「HOYA」の発明らしい‥‥‥ヘェ~、HOぉYAったんかぃ(‥って長州人しか分からんギャグ‥スンマッソン)

先端に磁気ヘッドがついている「アクセスアーム」(細長いヤツ)は、回転軸を挟んだ反対側の根元にコイルが巻いてあって、それを強力な磁石(左下の1/6円形のヤツ)が覆っている。‥‥と聞いて「フレミングの左手の法則」を想起した人はエライっ!!!
モーターやスピーカーの原理そのもので、このままではモーターにはならないけれど、アクセスアームの先っちょに紙コップでもいいから振動版を取り付ければ、そのままスピーカーになるってぇ訳だ、コノヤロメ。
‥と思っていたら、ナント実際に加工している人もいるとネットに出ていた。
 http://blog.livedoor.jp/geek/archives/50977383.html
いやはや、ご苦労なこって。その内オイラも、トライしてみよっかナ?


2010年1月10日(日)
新年になって、ウォーキングに出かけるチャンスがなかなか無いのだが、今日は多少寒さも和らいだので、徒歩ではなくチャリで、近場を回ってみることにした。
自宅から、以前歩いた旧山陽道沿いを下関方向に向けてぶらぶらと走行し、山口宇部有料道路の嘉川IC手前からは、JR山陽本線北側の田舎道を辿る。本由良駅も通り過ぎ、阿知須IC手前付近で山陽本線の踏切を超えて県道216号線に出る。阿知須温泉入口を過ぎ、宇部72カントリークラブを左右に見ながら万年池西コース方向へ左折して県道を外れる。
以前はこの先に、「葡萄の森」とか言うレストランなどがあったのだが今は閉鎖されているようで、その入口前を通り過ぎて山道に入る。少し行くと、「六畳岩この先1km」と書かれた手描きで味のある標識が見えたので、ここでチャリを降りて、山道を歩いて行ってみることにした。
アップダウンしながら山道を歩くこと約20分余りで、六畳岩に到着(写真①)。確かに、ちょうど六畳位はありそうな見事な巨岩だが、雑木林の中から突然これが目の前に現れると、ちょっと吃驚する。地元の方々が整備されたと思しき標識やベンチもあるが、何よりもそこからの眺めは素晴らしい(写真②)。東から南方向にかけては遮るものもなく、遠く瀬戸内海を一望できることから、見通しの良い日には九州や四国も見えるはずだ
来た道を所々寄り道をしながら元に戻って再度チャリに跨り、小さな峠を超えて旧阿知須町の引野地区に出る。そのまま阿知須の市街地を抜けて国道190号線を北上し、土路石交差点を右折して県道25号線(南部海岸道路)に入り、周防大橋手前の藤尾山公園へ上がってみる。ちょうど夕暮れ時で、藤尾山頂上にある滑り台の上から眺める夕陽は、殊の外綺麗だった(写真③)。手前に写っているのが滑り台の出発点だが、勿論これを滑って降りたのは言うまでもない
今日は、デジカメを持って出るのを忘れてしまったので、画像はすべてケータイで撮ったものだ。従って、いつもより画像の質が劣っているが、まぁ勘弁せぃ。チャリの走行が約30kmで3時間、山道の歩行が約1時間のハイブリッドぶらりであった。

ワシャぁ(私は)休耕田じゃが、何か?

休耕田にしてくれたお陰で、こねぇに(こんなに)綺麗な景色を人間どもに見せてやれる。写真じゃぁあまり分からんが、実際の風景はもちぃと(もっと)綺麗じゃ。
稲も植えんし除草剤も撒かん、つまり人間の手が一切入らんから、まるっきし自然のままの姿なんじゃが、陶ヶ岳から昇った朝陽が雑草達にキラキラと映えて、ぶち(とても)ええ眺めと思わんかぃ?

ついこの間のこと、「ナントカ還元水」とか「絆創膏王子」とか補助金の不正受給とか汚染米問題発言とかで、僅か一年半も満たない内に四人も農水大臣が辞任しちょったが、一体この国は、本気で農業を振興しようという気があるのか、不安になってきたワィ。
ワシのように、自然の美しさを敢えて見せるために休耕田にした訳でもなかろうが、あちこにに休耕田が見受けられるその一方じゃぁ、大金を使って大規模な圃場整備をしてみたり、素人にはさっぱり訳が分からん。

かと思えば、大手スーパーが、農家と直接契約或いは自社農園を作って、安くて良質な農作物を自社ブランドで販売して、消費者には大好評と聞く。
従来からある、ノーキョーとノースイショーの大きなお世話を受けずに、生産者と消費者の両方の目線に立ったプロセス作りは見事という他ないが、裏返せば、ノーキョーとノースイショーが如何にこれまで、生産者・消費者のことを蔑ろにしてきたかということかのぉ。

この際、ノーキョーは「脳狭」に、ノースイショーは「脳衰省」にリネームしたらどうかのぉ? ………と、無責任なボヤキじゃっ!


2009年12月2日(水)
自転車通勤を始めてから8ヶ月が過ぎ、片道45分のチャリンコ走行も次第に寒く感じる、初冬となってきた。
朝8時前の田園地帯風景は千変万化で、写真①のように朝靄がかかってとても幻想的な日もあるかと思えば、写真②のように朝陽がテカ~っと射して茶色い土の色がより際立つ日もあり、毎日が新しい発見の連続だ。因みに写真②は、自転車で疾走しながら片手で撮影したもので、まだ朝陽が低い角度にあるので、疾走する自分の影が田圃に長く伸びており、短い足も長く見えている……イナイカ
これからもう少し寒くなると、辺り一面に朝霜が降りた光景や雪景色も見られると思うが、それまで自転車での通勤が続くかどうかは、………ワシにも分からんワァ~ィ
 

2009年11月21日(土)・22日(日)
勤め先の親睦旅行で、世界遺産の高野山・白浜温泉・京橋花月と、盛り沢山の内容の旅行を楽しんできた。

新大阪駅からバスに乗って3時間余り、かなりの山道をくねくねと登ってようやく「中の橋」へ到着し、ここから奥の院までの約1kmは徒歩で向かう(写真①)。
標高900mのこの山中の盆地に、これだけ壮大な宗教都市が1200年も続き、かつ今も大きく繁栄していていることに、まずは驚愕。弘法大師空海が、高野山の地と周囲の霊峰とを合わせて「八葉蓮華」と見做し、蓮の花に託して曼荼羅の世界を現出しようとしたことも頷ける、素晴らしい地勢だ。
何せ、100以上もの寺院がこの狭い盆地に立ち並ぶ規模だから、僅か数時間の滞在では立ち寄った内にも入らないのだが、「是非また来てみたい」と思わせるに充分な魅力を持っているのは、間違いない。四国八十八ヶ所巡りを全て終え、満願のお礼に参拝する白装束の巡礼者も数多く見受け、オイラも体力のある内に一度体験したいものだと、ヤル気が漲ったのであぁ~る。

宿泊先は白浜温泉で、名物の「くえ」を刺身から鍋そして雑炊で満喫し、そして翌朝は少し早めに起きて、朝食後に白良浜海岸の端から端まで30分掛けて歩いてみたが、流石に「白浜」の名前通り、綺麗な白砂の岸辺が見事だった(写真②)。

新大阪駅までの帰り道で京橋花月に到着する前に、たこ焼き割烹「竹粋亭」でたこずくしの昼食(写真③)をいただいた。
一番奥に見えるたこ焼き六ケと「揚げもの」のたこ焼き二種、そして中段に見える小鉢三品が最初に出ていて、これらをそそくさと平らげて、たこ焼きだけでもそこそこ満腹になったワィと思っていたら、手前に見える明石焼きのお吸い物とタコ飯そしてデザートのたこ入りアイスが、続いて出てきた。
従って、この写真は時間差攻撃にもめげずに、後から画像合成したものなので、実際にはこのように一度に出てくる訳ではないから心しておくように。

後は、たこで一杯になったお腹を抱えながらも、京橋花月で漫才・落語・新喜劇で笑い飛ばし、無事にたこを消化したのであった。


2009年11月14日(土)

所用で萩へ行くことになったので、少し早めに家を出てみた。新山口駅からバスに乗ったのはいいが、特急便だったら1時間ちょいで着く所、生憎と普通便だったのでたっぷり1時間半かかってしまった。とは言え、特急便なら通らない旧道筋をいちいち迂回するので、これはこれで、久しぶりに見る景色がやけに懐かしくはあった。

萩バスセンターの一つ手前にある御許町交差点でバスを降り、北浦街道を美術館方向へ歩きだすと、なんだかやけに人通りや車の出入りが多くて、どうしたんだろうと思っていると、美術館のすぐ手前にある中央公園(旧萩市民球場)で「萩時代まつり」とやらの出店が沢山出ていた(写真①)。
辻に立っていたガードマンに聞くと、明日の日曜日には市役所前から金谷神社までの大名行列や、岩国の鉄砲隊実演もあるとかで、今日よりももっと人が増えるとのこと。流石に明日もくる訳にはいかないので、一通り出店を冷やかしてからお目当ての美術館へ向かった。

山口県立萩美術館・浦上記念館(写真②)は、10年位前だったか開館間もなくの頃に、東洲斎写楽などの浮世絵を纏めて展示した時に来て以来で、久しぶりだ。今回は、『オルセー美術館・フランス国立図書館所蔵 フランスの浮世絵師 アンリ・リヴィエール展』と銘打った、日本に来たこともないフランス人画家の浮世絵作品展示で、日本国内初展示だそうな。
このリヴィエールという人は、日本の浮世絵を研究・収集しただけに留まらず、木版画を制作するための道具まですべて自ら考案し、そして本来は分業であった、絵師・彫師・摺師の仕事を、何と一人でやってしまうまでに没頭してしまったそうな。

萩で展示に至った経緯やリヴィエール本人の詳細は、この美術館のHPに詳しいので省略するが、明らかに北斎や広重の影響を受けたと思しき構図も多くあり、エッフェル塔やブルターニュ地方の自然が、浮世絵画調で活き活きと描かれている不思議さには、とても新鮮な驚きを感じる。
思うに、住んでいたパリ市街がエッフェル塔の建設を始め加速度的に都会化されていくなかで、リヴィエールが見た(感じた)ブルターニュ地方の心和む自然が、ひょっとしたら、北斎や広重がはるか江戸の昔に表現した日本の自然風景と、何か共通するものがあったのじゃぁないかなぁ~と、勝手に想像してみる。

土曜日ではあったが入場者は非常に少なく、そのお陰で頗るゆっくりと自分のペースで鑑賞することができたのは、とてもハッピーだった。関東赴任時にも美術館巡りを結構したが、一度たりとも落ち着いて鑑賞できたことは無かったことに比べると、雲泥の差だ。やっぱり芸術鑑賞は地方に限る………って、芸術のことを何も知らないド素人の戯言だぁ

美術館を出てからは、萩循環まぁーるバス(写真③)に乗って東萩駅まで行き、所用を済ませたのであった。このバスは、東回りコース(なぜか名称が「松陰先生」)と西回りコース(こちらは「晋作くん」)があって、30分に一本走っているので便利だし、どこまで乗っても一回100円というのもなかなかリーズナボーだ。ケータイで凡そのバス停到着時間も分かるし、結構進んでるぅ~

2009年11月9日(月)
NHK大河ドラマ「天地人」の最終回が迫る中、今、最も旬と思われる米沢へ行ってみた。月曜日という平日にも関わらず、上杉神社などの観光スポットは、団体客でごった返していて、タクシーの運転手曰く『これでも、駐車場が満車で動きがとれなくなる土日に比べれば、まだ空いている方だワ』とのことで、一過性とは言え、観光関連業界はまさに嬉しい悲鳴だろう。

このドラマが始まることになるまでは、米沢の人たちの多くが、『直江兼続って、誰だぁ?』てな具合だったらしく(※註を下記に追記)、慌てて市民総出で歴史の勉強をしたらしい。今まで、余り歴史の表舞台に出てこなくて、陰で主君を支え、家臣や民を優先した政治・行政を行った家老にスポットをあてたことは、このドラマの最大の功績と思う。
ただ、景勝治世のベースになっているのは、兼続との間の頗る強固な信頼関係があったからだろうし、この信頼関係が無ければ、どちらか一方の者の存在だけでは成しえなかったのではないかと思う。そういう意味で、正しい理念に基づいた確固たる信念を貫く「トップ」と、その理念を人民の目線で捉えて具現化する「参謀」の組み合わせが、古来から普遍的に最良の形と言えるのかナ。
このことは政治の世界であっても企業であっても共通だろうし、ここウン十年の自民党にはこの両者が共に欠けていた、と言うことかぃ。果たして民主党は如何に?

てなことを思わず考えこんでしまうほど、上杉家一族の治世は、他の大名諸侯のそれとは一線を画したものであったようで、短い時間であっても、米沢のあちこちを巡ってみるとそれをつくづく感じる。
勿論、120万石の家臣を皆引き連れて、この狭くて生きるのに不便な土地へ引っ越して来た訳だから、想像を絶する艱難辛苦があったことは容易に推測できる。これを現世に例えてみて、貧しくてもお互いを思いやりながら必死で生きるのと、金やモノに溢れていても精神が殺伐とした今のような社会に生きるのとでは、一生の重みが随分違うような気がするナァ。

昨夜は米沢市内に宿泊したが、「登起波牛肉店」と言うお店で米沢牛のとろける様な「しゃぶしゃぶ」で舌鼓を打った。そして駆け足の米沢観光を済ませた後は、米沢駅で名物の弁当(写真③)を買い求めて帰路に着いた。
今回は、5日間で全国のJRグリーン車乗り放題(のぞみを除く)の「フルムーンパス」(夫婦二人分で8万円)を使ったが、レールスターの個室が利用できることや、乗車直前に悠々と座席指定できることなどを含めて、頗る楽チンな旅であった。
因みに、乗車券を通しで買って往復割引にすると、新山口・米沢間は一人片道が約3万5千円なので、夫婦で往復すると約14万円かかることになり、そこそこお得ではあるゾォ。

※、【追記】 米沢を故郷に持つ方からコメントをいただきました。
上記の「兼続ってだれだぁ~?」は、米沢の50~60歳前後の年代にはあり得ないとのことです。大変失礼いたしました。観光で乗せてもらったタクシーの運転手が、少し誇張して言われたのかもしれません。
また、米沢の方は、直江兼続を「兼続公」と呼ぶそうで、尊敬と誇りと、そして感謝の気持ちがこもっているように思えて、とても素晴らしいことだと感じます。
 


2009年10月31日(土)

萩往還もいよいよ三回目になり、最終行程の山口から防府(三田尻)までを歩いてみた。
JR山口線で山口駅まで行き、駅前から旧道を歩き始めたが、萩市周辺と違って、山口市周辺には萩往還を示す標識がほとんど見当たらず、全体としての一貫性の無いこと甚だしい(萩市では立て看板だが、山口市ではほとんど無く、防府市では路面に埋め込んだ標識という具合)。各市町村がバラバラに整備するのではなくて、県単位で調整を取ってできないものかと思う。
5年前に日光街道を8日間かけて完全踏破した時に、複数都県に跨るこの街道でも、「適切な場所に、さりげなく、かつ正確で、統一された」標識が整備されているのを見て、行政(関係機関)の「的確さ」と「丁寧さ」に感心したことがある。中仙道も同様と聞く。
萩往還に関して言うと、「不適切な場所に、へんに目障りで、間違いが多く、分かりにくい」標識ばかりなのは、長州人として頗る残念だなぁ。

前二回の登り坂に比べるとはるかに緩やかな鯖山の旧道を登りきると、峠の頂上には郡境碑(写真①)が建っていて、「従是南 佐波郡」「従是北 吉敷郡」と彫ってある。
すぐ近くには「明治天皇鯖山峠 御小休所阯」と彫られた碑も残っていて、明治天皇はどのような交通手段でこの峠を越えたのだろうかと、ふと想像してみる。皇室が行幸の際に自動車(御料車)を使うようになったのは大正時代に入ってからの筈なので、この当時であれば馬車か若しくは、天皇自らが乗馬されて峠を越えられたのだろうか?。いずれにしても、もし三田尻側から鯖山峠を越えたとしたなら、大そう難儀ではある。

峠を越えて下右田や高井地区に出ると、去る7月に起きた豪雨災害の爪痕が、まだあちこちに残っていて、当時の凄まじい恐怖の有様をまざまざと思い起こさせてしまう。2月に萩往還を歩いた時には穏やかな清流そのものだった剣川が、石や岩だらけの殺伐とした風景に変わっていたのには唖然とさせられ、また、猛烈な濁流にえぐり取られたのであろうと推測される敷地も、そのままになっていた。
橋の欄干石が無くなっていたり傾いていたり、家屋やガードレールには、多数の車が連続して激突したような多くの傷跡(写真②)が、生々しく残っていた。自然の力と脅威の前には、現代人の浅知恵なんぞ「への突っ張り」にもならないことを、改めて感じる。
すぐ南にある「佐波川の大渡し」の説明板によると、寛保2年(1742年)に6艘の舟を並べて板を渡しただけの「舟橋」が架けられ、幾多の災害に耐えて、昭和16年までの約200年間存続したらしい。社会事情が違うので、単純に「昔の人は偉い」なんぞと言いたくはないが、果たして本当に現代人は賢くなったのだろうかネ?
どうでもいい「知識」ばかりを詰め込んで、人間として本当に大切な「智慧」を忘れてしまったのが現代人のような気がしてならないナァ ………ツクヅク

佐波川を本橋で渡ってから後、(路面に埋め込まれた)萩往還の標識を見失ってしまい、天満宮方向を目指して今市町から迫戸町辺りを適当にぶらぶらしていたら、「たなか遊花堂」なる和菓子屋をたまたま見つけ、たいそう美味しそうな饅頭にありつけた。
他所から来て実際に歩く人のことを全く考慮していない、まるっきしお粗末な「防府市の路面標識」には呆れ果てて腹が立ちまくりだったが、たなか遊花堂の饅頭が美味かったのに免じて、勘弁してあげる …ナンノコッチャ
 

2009年10月17日(土)
大内矢田(山口市東部)まで所用で行くことになり、JR山口線とバスを乗り継いで行こうかとも思ったが、確実に延べ1時間以上かかるのは分かっていたので、この際、愛車(チャリンコ)で行ってまぇ~とばかり、愛車に跨って出かけた。

椹野川沿いに北上し、旧小郡町と山口市との境にある環境センター前から九田川沿いの未舗装の小径に入る。中国道(高速)を二度くぐって、リハビリテーション病院・西京高校の横を抜け、中村女子高専攻科・平川小・中学校の前を通って、山口大学の南側へ出る。姫山団地南側の道祖ヶ峠を息を切らしながら越えて、吉田から大内御堀に抜けるとあとは下り坂で、大内南小・大内小学校前を通って目的地に到着。自宅から僅か1時間半しかかからなかったが、道のりでは約18km程で、思っていたよりも近かった。

所用を済ませた後は、同じ道を帰るのも芸が無いので、四辻(国道2号線)に出るルートで帰ることにして、敢えて回り道になるが中国道の山口IC方向へ向かう。柊交差点に出てからは国道262号を南下して鯖地交差点を右折し、この県道21号線をそのまま行くと大道へ出てしまうので途中から菅内方向へ右折し、県道194号線に入ってから一路山道を登って行く。

人家が途絶えた辺りからはチャリに乗ったままでは進めない程の急坂で、仕方なく降りて押していくことになった。随分手前から「この先通行止め」の標識が出ていたので、農作業のお爺さんに試しに聞いてみたら、『ロープが張っちゃるけぇの。自動車は通れんけど、自転車ならわっきゃぁなぃワ(別に問題は無い)』とのことなので、そのままチャリを押して登って行く。確かに、しっかりとロープが二本張ってあって(写真①)、「クマに注意」の看板も目に付く位の結構な山道だ。

ちょうど1時間くらいチャリを押して歩いた末に、ようやく峠に辿り着くが、後で地図を見ると「小峠」と言う名の峠らしい。峠の上は、上小鯖の方へ向かう道との三差路になっていて、ここを右折して四辻方向への下り坂を猛スピードで一気に下って行く。1kmばかり下ったところで、通行止めの出口側にまたまたロープが張ってあり(写真②)、これをくぐって無事に鋳銭司の集落へ出る。

後は、国道2号線と並行する旧山陽道を通って、ゆるゆると帰宅した。帰路の道のりは約24km程度だが、1時間余り歩いて坂を登ったこともあって、計2時間半かかってしまった。合わせて都合4時間の、サイクリング&ウォーキングであった。