7月25日、夕方のテレビニュースで、南鳥島が話題になっていました

自衛隊が新しい基地を計画しているそうです

詳細不明ですが、50年前を思い出しました。

 

 

 

1973年2月13日 ネクタイの4名が南鳥島に到着 

飛行機は、YS-11でした  右端が私

2月の北海道を半袖のYシャツで出発しました

前列、左から2番目が、新任の南鳥島気象観測所長

2列目、左から2番目が、通信長で、南鳥島での私の上司でした。

この写真には、14名が見えます。

気象観測所は合計17名で、あとの3名は、ワッチ(当番)中でした。

(地上・高層観測、通信、電源担当の各1名)

関東の自衛隊基地から3時間で硫黄島、ここで1時間の給油

そして3時間で南鳥島でした。週1便。

 

 

 

 

硫黄島での給油時に島内を散歩

右は、自衛隊硫黄島基地の航空管制を担当していたJD1ALBさん

2月の硫黄島は暑い空気でした  地面・・・滑走路も熱いのです。

合計4回の南鳥島勤務だったので、硫黄島には計8回の滞在となりました。

無線機は、往路、復路ともYS-11に積んだままなので、

硫黄島からは電波は出せませんでした。

 

 

 

 

仕事は、気象庁(東京千代田区)との通信担当でした

アンテナは36エレのログ・ペリ

送信機は、2kW×2台でした 周波数は全部で20波

「モールス符号」だけの通信でした

気象庁から受信した「電報」には、

「〇〇さんに、お子さん誕生」というのがあり、

職員全員でお祝いをやりました。

仕事は仕事でそれなり、アマチュア無線は夢中にやりました。

自室でCQ WW CW コンテストに参加 

オセアニア部門の第一位でした。 

この写真は、3回目の滞在時。

 

免許は50Wだったが、このFT101は100Wでなかったかな??

真意は・・・今となっては・・・

 

 

 

 

 

 

28メガで、近くを通りかかった漁船の通信士とつながり、

魚を分けてもらうことになり、ボートで漁船まで受け取りに行きました。

海上自衛隊+気象庁の総勢27名でしたが、新鮮な刺身で喜ばれました。

マグロかな?

食料やアルコール、郵便など、

すべての物資は、週一便のYS-11で運ばれました。

(新聞は、一週間分をまとめて)

飲料水は、滑走路の雨水を貯め、ろ過していました

雨が少ないと、1か月くらいは風呂が禁止で、海で汗を流しました。

 

 

 

アメリカの沿岸警備隊(コーストガード)の基地がありました

お互いに片言の日本語と英語で友達となった ジョージ・グレイグさん

旧日本軍が乗り捨てた戦車の前で。

ジョージさんとの記念写真は、これが最初で最後

1974年5月の2回目到着時に、会いに行ったところ、

「去年、自殺した」と言われ、驚きました。

ご遺体は、グアム島経由で故郷へ送られたとの事でした。

日本人は3か月の滞在で交代ですが、

コースト・ガードは2年交代  長いです

気象庁、自衛隊、米国沿岸警備隊・・・男だけの世界です。

なお、グライグさんからは、南鳥島で2年勤務すると、

戦地へ行かずに、故郷へ帰れる、と聞いていました。

 

 

 

 

南鳥島の全景写真

当時の写真なので、高さ440mのロラン鉄塔が写っています。

現在は、無し

写真の黄色い丸が海上自衛隊と気象庁の場所・・・現在も同じ

白い丸は、当時はコースト・ガードの場所でしたが、

その後、海上保安庁が滞在、これも撤退して、

現在は、東京都が滞在しているそうです 港の建設?とか

滑走路が見えますが、写真の上方向が北(東京方向)です。

南鳥島は、小笠原村の島ですが、住民登録はゼロ。

今夕のテレビの画面からは、上の写真の滑走路の左、

西側の赤い丸の緑地帯に、自衛隊の設備が計画されているようです

滑走路から海岸(通称:西海岸)まで50~100mあるので、

結構、広いと思います  島の周囲は、約8km

運動不足解消のため、約2時間の海岸散歩を楽しみました。

 

なお、ロランの電波は、周波数が100kHzのパルスの繰り返し。

送信電力は400MWでした(4kWの1000倍)。

鉄塔の基部には、太さ1cmくらいの銅線360本が接地として

埋設されていましたが、長さは、教えてもらえなかった。

送信機室の見学希望も、許可にならなかった。

四六時中、100kHzの第19高調波が、

1.9メガの受信を困難にしていました。

 

現在の南鳥島気象観測所には、10名が滞在しているそうです。

 

 

 

特別天然記念物

  アカオネッタイチョウ(赤尾熱帯鳥) と ヒナ

モンパの木の根元に巣があります

 

 

 

 

それほど怖がりません

後ろは、モンパの林です

 

 

 

モンパのジャングル

南鳥島で一番、背の高い木です

父島の村役場の裏口に一本、あります

 

 

 

日本最南東端の看板

現在は、丸い大きな石に「日本最東端」と書かれているそうです

場所は、南鳥島全景写真の右方向の海岸です。

「丸石」という海岸名(通称)でした。

 

 

さらに、追加の予定です

 

 

 

滑走路エプロンでのソフトボール

自衛隊と気象庁の混合チーム 対 コーストガード

米国対日本の国際試合が、週3くらいありました。

私は、「声が大きい」という理由で、審判専門でした

 

 

 

 

通称「波止場」の沖に補給船が到着

1年に一回、燃料(飛行機と発電機)、そして、「ガラスの瓶の飲み物」

を運んできます

左側に波止場のコンクリートが見えますが、

その後の台風の荒波で無くなったそうです

 

 

 

 

サメの歯

自衛隊の友人が捕獲し、プレゼントでいただきました

 

 

 

 

 

海へもぐって、貝を採取しました

 

 

ムラクモタカラガイ

南豊島では希少種です

 

 

 

 

ハチジョウタカラガイ

 

 

 

 

ハラダカラガイ

模様が地図の様にも見えるので、「地図貝」(マップガイ) とも言います

 

 

 

 

これは、南鳥島で最初にゲットした貝です。

思い出の「コモンタカラガイ」

漢字では「小紋宝」です

左:幼貝(子供) 右:成貝(大人)  

初上陸2日目、1973年2月14日の採取(成貝)です。

 

 

 

 

南鳥島で、最もポピュラーな「黄色宝貝」

キイロタカラガイ

 

 

 

 

ハナマルユキタカラガイ

これも良く採取できます

 

 

 

 

ヤナギシボリタカラガイ

 

 

 

 

続いて、貝細工

貝殻に人形を描く人から顔をもらい、組み立てます

モンパの木を1cmの厚さに切り、ボンドを水に溶かして薄く塗り、

「サンゴの砂」(海岸はすべてサンゴの砂)をまぶし、

乾燥してから貝人形を接着します。

南鳥島は、サンゴの隆起した島なので、「土」は無し。

雨が降っても、水たまりは出来ません。

 

 

 

 

 

海岸で拾ったサンゴの破片を活用しました

三角形のサンゴのカケラで、南鳥島を表現しています。

 

 

 

 

 

西海岸の深さ2mほどにあったサンゴです。

バールと金づちを使い、何度も2mの水中を上下して、ゲットしました。

水深2mで、バールを金づちで打つと、不思議な反響が聴こえました。

海中のサンゴには、海の汚れというかゴミなどが付着し、生き物なので、

そのままでは鑑賞出来ません。このため、

ドラム缶に海水とサンゴを入れて、ボイルします

30分ほど沸騰させてから、取り出し、水洗いすると白いサンゴとなります。

 

 

 

 

南鳥島の手書き地図です

三角形の先端が北方向で、東京方向です

青い線が、島の陸上部分。

その周りの線はサンゴ礁を示しています

通称の地名は

 北端の海岸:「北の端」(キタノハナ)

 滑走路の左の海岸:「西海岸」または「水道」

           理由:ボートで外海へ出るための水路があるため

           この水路を通って、サメが入ってくるので、危険な海岸です

           海岸に見張りを置いて、二人以上でつかず離れずに泳ぎます

 左下の海岸:「海賊船」

        理由は、旧日本軍の戦車の残骸が海面にあり、遠くから海賊船の

            ように見えたため。現在は台風の荒波で消滅している。

 右下の海岸:「丸石」・・・・日本最東端の碑がある

 三角形の底辺・・・「海賊船」から「丸石」への途中に「波止場」があります。

          昔の船着き場の残骸がありました。現在は無し。

 右側の海岸:「東海岸」・・・・職場(赤印)から徒歩1~2分。               

 右下に放射状の線が描かれていますが、これがロランの接地線です。

  360本、長さは不明。

 

 これらの名称は、東京都小笠原村南鳥島の正式な地名ではありません。

 正式な地名は不明です。自衛隊と気象庁の長い間の生活の中から発生した地名です。

 現在も、受け継がれているそうです。

 

 

                 オ ワ リ