ステーキの焼き方 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 会社の独身寮にミツルがいた。釜石(岩手県)出身の純朴な男だった。ミツルは出不精で、休日はいつも寮でゴロゴロしていた。東京にきて数年になるのに、渋谷、新宿、池袋など、どこへもいったことがなかった。ある日、

「オラ、ヤッダよ、そんなどごさいぐの」

 渋るミツルを無理やり原宿へ連れ出した。原宿や表参道にはおしゃれな店がたくさんある。街ゆく人も華やいでいる。

 初夏の日差しが眩(まぶ)しい日だった。歩き疲れた私たちは、喫茶店に入った。そこは、オープンカフェで、客の大半が欧米人だった。コーヒーを飲みながら本を読む人、サングラスが似合うタンクトップのカップルなど、映画のワンシーンを観るような光景だった。

 私は、そこでしばらく涼みながら休憩したいと思ったのだ。あちらこちらから英語が飛び交い、日本とは思えない雰囲気に、

「この店、アッツイなァー」

 と言いながら、ミツルは何度も額の汗を拭(ぬぐ)っていた。オープンカフェだから仕方がないが、汗は緊張からくるものだった。

 アイスコーヒーがテーブルに置かれたとたん、ミツルはグラスを鷲づかみにして一息に飲み干してしまった。あっけにとられている私に向って、

「うめぇなぁー、近藤クン。グェー」

 と大きなゲップを出した。ミツルにしてみれば、居酒屋でビールを一気にグイッと飲み干すのと同じ感覚だった。

(バカャロー、何をしやがる)という思いをグッと飲み込み、私は立ち去りかけた店員を呼び止めた。店員の驚いた顔が見事だった。

 ミツルにはもうひとつ、伝説話がある。給料日直後の休日、ミツルを含めた若手三人が近所のファミリーレストランへと出かけていった。ステーキを食べにいったのだ。三十五、六年も前のことで、ファミレスがまだ珍しい時代であった。ほかの二人は青森出身で、東京生活の浅い者同士だった。

 レストランでステーキを注文すると、焼き方を訊かれる。「ウェルダン」とか「ミディアム・レア」などという人もいるが、たいていは「ミディアム」である。

 若い女性のウエイトレスに標準語でオーダーをしたまでは順調だった。焼き方を訊かれ、三人に緊張が走った。そんな筋書きを、誰も想定していなかったのだ。青森のひとりが、ひと呼吸おいて「ミディアム」だと気づいたが、時すでに遅し。沈黙に耐え切れなくなったミツルが、勢いよく立ち上がり、

「テッパンで焼いでください!」

 と言ってしまった。気負いもあって、その声は必要以上に大きかった。ウエイトレスが噴き出したのを合図に、周りの客からドッと笑いが巻き起こった。三人は周囲の視線を意識しながら、ひたすら肉を口に押し込み、逃げるようにして帰ってきた。

「つがれだぁ。ダーメだぁ、トーキョは」

 三人が口をそろえた。

 

   2020年4月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

 

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