十月十日のからくり | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 十月十日といえば、一九六四年の東京オリンピックの開会式の日である。それゆえにこの日が「体育の日」となっていた(ハッピーマンデー制度により、現在では十月の第二週の月曜日が「体育の日」に変わっている。二〇二〇年からは「スポーツの日」と改称)。友達の中には十月十日に結婚した者もいる。祝日で覚えやすく、なにより気候がいい。他人の結婚記念日ながら、忘れ得ぬものとしていまだ記憶にある。だが、この十月十日、いいことばかりでもないらしい。十月十日生まれの人には、ある特別な悩みがあるという。

 それは、両親が元旦に〈姫始め〉をした証、という何とも恥ずかしい思いがあるという。周りからもそう思われるし、自分でもそう勘違いしている人が大勢いるというのだ。

 日本では、むかしから妊娠期間を「十月十日(とつきとおか)」と表現していた。妊娠してから十か月と十日で赤ん坊が生まれる、と。今では「妊娠××週」という「妊娠週数」を使用しており、四十週目で出産を迎える。だが、月数で表現した方がわかりやすく、「妊娠○か月」という表現も大いに幅を利かせている。「妊娠三十一週」だとピンとこないが、「妊娠八か月」となれば、「あと二か月か……」と即座に反応できる。

 しかし、この十月十日生まれの恥ずかしい思いには、二つの大きな誤りがある。ひとつは、秘め事をした日=妊娠初日と捉えているところである。愛し合った後、受精するまでにはタイムラグがある。妊娠は、精子と卵子が受精して始めて開始される。精子の寿命は二、三日から長くて一週間。その間に女性の側で排卵があり、そのタイミングで受精しなければならない。排卵後の卵子の寿命はわずかに六~八時間だという。だから、絶妙なタイミングで排卵が始まっていなければ、元旦での妊娠はありえない。

 二つ目の大きな間違いは、妊娠月数の数え方である。産科では、四週=二十八日を「一か月」とカウントする。暦日の三十日や三十一日ではない。もし元旦に受精したのであれば、出産予定日は九月二十四日(閏年だと二十三日)になる。つまり、元旦から数えて十月十日(とつきとおか)目は九月二十四日であって、十月十日ではないのだ。

 この妊娠月数の数え方も日本独特なもので、「数え月」でカウントする。つまり、「妊娠××か月」と表現する場合、ゼロからではなく一から始める。そうなると、「妊娠三か月」の場合、愛し合ってから一か月半に満たないうちにその時期に入ることになる。以前からずっと疑問に思っていたのは、TVドラマなどで、

「今日、お医者さんにいったら……、妊娠三か月って言われた。……どうしよう」

 という場面に出くわすときである。三か月も生理がなかったんだから、もっと早く気付くだろう、不自然じゃないか、とずっと思っていた。その誤解が、今回、一気に氷解した。

 順調に生理がある人の月経周期、つまり生理が始まってから次の生理が始まるまでの期間の平均値は、二十八日間だという。つまり、妊娠期間は、ちょうど十周期分に相当する。妊娠十か月の満了時が、分娩予定日となるわけだ。うまいことできているものだ。

 妊娠第一日目は、最終月経が始まった初日である。「妊娠〇(ゼロ)日」という。二人が愛し合った日ではない。だから、妊娠週数は、最終月経が始まった日から一週間までを「妊娠〇週」とカウントする。次が「妊娠一週」、その次が「妊娠二週」となる。つまり、妊娠のカウントは、妊娠した日=受精日から数えるのではなく、妊娠前から数えることになる。そして、四十週〇日が出産予定日となる。最終生理日から出産までは二八〇日で、それを妊娠期間といい、二八〇日目が出産予定日となる。生理初日から排卵まで十四日かかるので、受精後では二六六日で出産することになる。

 なんだかわかったようで、わからないような、七面倒くさい仕組みである。一か月を二十八日と数えるなら、十月十日(とつきとおか)だと二八〇日+一〇日=二九〇日となり、二八〇日とは十日の違いが出てくる。これらは、旧暦から新暦への移行や「数え」から「満」へのカウントの変更、最終生理初日からの計算など、時代を経ながらの変化の過程で生じた誤差なのだろう。私はそう勝手に推測している。

 なぜここまでくどくどと説明してきたかというと、私自身が「できちゃった婚」だと勘違いしていたせいである。両親の結婚式が昭和三十四年(一九五九)四月十日で、私の誕生日が翌一月十五日である。九か月で生まれている。今上陛下(現上皇様)のご成婚と同じ日に両親が結婚していて、皇太子殿下(現天皇陛下)の誕生日が二月二十三日である。皇太子殿下がハネムーンベイビーだと勘違いしていた。誤解はそこから始まった。

 この春(二〇一六年)、私は五十六歳にして初めて自分の母子手帳を目にした。早産と聞いていた私の誕生だったが、母子手帳の「出産予定日」欄には「昭和三十五年一月」とあり、「在胎月数十ヵ月」と記されていた。もうこれは、どう見ても「できちゃった婚」に間違いないと確信した。

 そんなことをエッセイにしていたら、ある方から、産科では月数のカウントの仕方が違うということを教わった。それで、いろいろと調べてみたわけである。その結果、私は婚姻後に予定どおりに生まれていたことが判明した。

 つまり私は、両親の名誉を著しく毀損(きそん)してしまったのである。私自身の子が「できちゃった婚」だったので、両親まで疑ったのだ。私の無知がもたらした冤罪(えんざい)である。疑ったことを両親に素直に詫びなければならない。

 ちなみに、両親の結婚式の翌日から私の出産日までを数えてみると、ちょうど二八〇日なのである。それをどう考えるかだが、もうこれ以上の憶測はやめておこう。

 

  2016年9月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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