おまた | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 十五、六年ほど前(二〇〇六年)のことである。風呂で身体を洗っていたとき、あそこに赤い点がポツンとあるのに気がついた。「あそこ」とは、マツタケの笠の付け根部分である。マツタケといえるほど立派なものではないのだが。

 特に痛くも痒(かゆ)くもないので、気にせずにいた。だが、その赤い点は、日増しに大きくなってくる。そのうち、つゆが出てグジュグジュしだし、むず痒(がゆ)さと痛みが入り混じってきた。これはマズイ。一瞬、性病を疑ったが、身は潔白である。

 とりあえずアロエ軟膏をたっぷりと塗り込んで、折りたたんだティッシュで付け根を縛りつけた。木の枝に結び付けられたおみくじ、蝶ネクタイを締めたカメ、何とも情けない体(てい)である。

 男が小便をする場合、しっかりと小便器に近づかなければ、隣にいる相手の先っちょが見えるものである。会社の同僚に蝶ネクタイを見られぬよう、ずいぶんと気を遣った。清潔を保つために、一日に何度も蝶ネクタイを取り替える。だが、症状は改善するどころか、赤味の範囲が増大するばかりである。それを見た妻が、

「そんなバカなことしてないで、早く病院へいった方がいいわよ。先っちょが腐って取れたらどうするの」

 インコースぎりぎりの胸元にズバッときた。私も、これ以上の悪化はマズイと思っていた。

 会社の近くに女子医大系列の中規模の病院がある。週に一度、皮膚科外来があり、若い女医が大学病院からやってくる。そのころ私は、三か月に一度、足の裏にできた汗疹(あせも)の薬をもらいに通院していた。

 三十年以上も前に、尿道炎になったことがある。そのときは別の病院だったが、自身を曝(さら)け出さずに治療を終え、ホッと胸を撫(な)で下ろしていた。そのときも女医だった。今回も大丈夫だろうと高を括って、しぶしぶ病院へ出かけた。

 医者に何と切り出したらいいものか、おネエさん先生の顔がチラつく。女医は、三十歳そこそこの美人医師である。いかにも頭がよさそうで、冷たい雰囲気をかもし出しており、とっつきにくいタイプである。「あそこ」を何と表現したらいいものか、思いあぐねていた。

「先生、あそこの付け根に赤いできものができまして……」

「えっ、あそこ? ……どこです?」

 などと言われかねない。「亀頭」では、あまりにも露骨すぎる。「ペニス」も恥ずかしい。この歳になって「オチンチン」はないだろう。かといって「チ○ポ」はダメだ。困ったことになったと思った。

 万が一、先生に見せることになったら……。医者とはいえ、若い女性に執拗(しつよう)に触られたら、〝変化〟もありうる。あそこは、自分の意思とは関係なしに勝手に変貌する場合があるのだ。私は、面接を待つ学生のように妄想に苛(さいな)まれながら、落ち着きを失っていた。

 週に一度の外来は、けっこう混んでいる。この病院の皮膚科は、半年に一度の割合で、予告もなしに医師が入れ替わる。これまでに何度か替わった医師は、みな若いおネエさん先生だった。この外来の人気の秘密は、そんなところにあるのでは、とくだらないことを考えていた。

 この日はとりわけ混んでおり、私は妄想に飽きて、持っていた文庫の小説を読み始めた。しばらく読み進むうちに、ストーリーが濃厚な濡れ場に差しかかってきた。いつもなら、目を瞠(みは)って読み進むのだが、私はそこでパタンと本を閉じた。〝変化〟を恐れたのだ。先生に呼ばれでもしたら、一巻の終りである。変質者と疑われても、弁解の余地がない。

 気持ちを落ち着かせるため、しばらく目をつぶって瞑想をしていたとき、ついに私の名前が呼ばれた。その声は、いつものおネエさん先生だった。

 気合を入れて診察室に入ると、先生は私のカルテに目を落としていた。こういう場合、男は堂々としていなければならない。先生がカルテから目を上げ、口を開こうとしたとき、

「先生……、今日は、違う場所なんです」

 我ながらキッパリと言った。だが、緊張のためか、その声がいささか大きかった。先生は、意外な顔で私を見つめ、次の言葉を待っている。

「あの……。実は、ここにですね、赤いできものができたんです」

 私は下腹部を指差した。声が上ずっていた。だが、おネエさん先生は、そんな私の説明ですべてを了解したのだ。

「ハイ、ハイ、うーん……。それで、どの部分でしょうか」

 作ったような真面目くさった顔で、冷静沈着を装っている(ように見えた)。‶部分〟を訊かれ、動転した私は、やはりその部分を言葉にできず、

「この辺なんですが……」

 咄嗟(とっさ)の機転で、左アゴの下の部分を手でさすって見せた。すると、おネエさん先生は頷(うなず)きながら、

「じゃあ、ベッドに横になって、おまたを診せてください」

 と傍(かたわ)らの診察用ベッドを指差した。

(おまた?……)

 そうか、医者は「おまた」というのかと、最悪の事態の出来(しゅったい)にもかかわらず、私はひどく感心していた。おネエさん先生は、すでに立ち上がって手をパチパチいわせながらゴム手袋をはめている。私はズボンのベルトをはずし、立て膝になってベッドに仰向けになった。心臓が高鳴り、血圧がそれまでの新記録を更新している。おネエさん先生が現れたところで、意を決して腰を浮かし、エイッ! とばかりにズボンとパンツを一緒にズリ下げた。

「あッ! そんなに下げなくでも大丈夫です!」

 おネエさん先生の声が、頭上でした。勢いあまって膝まで下げたのだ。

「失礼します」

 といってゴム手袋が、うなだれた私のおまたをつまみ上げた。そしてすぐに、

「あッ、ヘルペスですね。ハイ、もういいですよ」

 ひよこの雌雄の分別よろしく、ほんの数秒でおネエさん先生は診断を下した。ヘルペスは、ストレスや疲れからくるものだという。あっけない診察に、もの足りなさを感じながら、私は診察室を後にした。だが、安心感も手伝ってか、大仕事を終えたようなひどい疲労を覚えていた。

 薬局で渡された薬の袋には、手書きで「お股」と書かれていた。医療従事者は、「お股」というのか、と改めて感心した。

 後に広辞苑で「股」を引くと、「胴から脚が分かれていくところ。またぐら」とある。おネエさん先生は、「またぐら」を見せてくださいといったのである。だが、よく考えると、あそこは「またぐら」ではない。女性の場合は、おおよそそれでいいかもしれないが、男の場合は、的を射(い)ていないような気がした。いろいろ考えたが、やはりあそこを呼称する妙案は浮かばなかった。

 おネエさん先生が処方した薬は、抜群に効いた。三日ほどで、赤味が跡形もなく消え失せた。

 これまで、異性に対して様々な場面に遭遇してきた。だが、若い女性から、ベッドに横たわってあそこを見せろと命じられたのは、後にも先にもあのときが初めてであった。

 

  2009年10月 初出(2021年6月の加筆に際し、時系列をその時点に変更した)  近藤 健(こんけんどう)

 

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