臨終 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 テレビドラマなどで人が死ぬシーンを目にする。病気で死ぬ人は、みな目を閉じてお決まりのようにガクッと死ぬ。殺人のシーンでも、大方は目を閉じて死んでいく。たまに、眼をカッと見開いて壮絶な死を演出する場面もあるが。だから通常人が死ぬ場合は、みんな目を閉じて死ぬものだと思っていた。その常識だと思っていたことが、最近になって覆(くつがえ)った。

 冠婚葬祭会社に勤める作家の青木新門氏は、長年死者の湯灌(ゆかん)や納棺に携わり、数多くの死者を見つめてきた。自著『納棺夫日記』(文春文庫)の中で、死者の顔について触れている部分がある。そこには、死者の生きている間の善行や悪行、信仰心の有無にかかわりなく、「死者の顔はみんな同じように安らかな相をしている。死んだままの状態の時などは、ほとんど眼は半眼の状態で、よくできた仏像とそっくりである」と述べている。

 私が臨終の場面に出くわしたのは、これまでに一度しかない。大学を卒業し、就職したばかりの年に、父が肝硬変で死んだ。それまで一週間ほど傾眠状態であった父が、突然、大きな鼾(いびき)をかき出した。眼は半眼であり、その瞳にはもう何も映ってはいなかった。

 そんな状態が二時間ほど続いて、突然父の鼾が止まった。断末魔の苦しみが父を襲い、大声を張り上げ両腕を伸ばして宙をもがくのではないかと恐れた。そのとき病室にいたのは、私のほかに母と妹、看病の手伝いにきてくれていた伯母と、面会謝絶もお構いなしに見舞いにきていた父の友達の五人であった。誰もが固唾を呑んで父を見守った。

 だが父は、山の上で大きく深呼吸でもするかのように、気持ちよさそうに長い息をフーッと吐いた。身体のどこにそんな息が入っているのかと思うほど、吸うことなしに長く吐き続けた。それが三度も続き、三度目の吐息とともに父の器官は静かに停止した。まさに「息を引き取る」という言葉どおりの最期であった。

 そんな光景を目の当たりにしながら、親というものは、最後の最後に身をもって子に「死」というものを教えるものなのだなと思った。不思議と悲しみはなかった。これでやっと父が楽になれた、そんな安堵感に包まれていた。

 臨終を告げた医者が病室から出ていった後、看護師が死者の処置をするのだが、それまでの間、家族にお別れの時間を僅(わず)かにくれる。父の胸元で母と妹が泣き崩れている。私は父の足元の方に立ったまま涙を拭(ぬぐ)っていた。ふと父の顔に目をやると、死ぬ前の顔と後の顔がずいぶんと違うことに気がついた。死後の顔は、顔の両側に頬の肉が引っ張られているように感じられた。筋肉の弛緩(しかん)によるものだろうが、それは私の知る父の顔ではなく、蝋(ろう)人形のような顔であった。

 その顔をよく見ると、眼が見開いたままになっている。思わずギョッとした。「穏やかな死に顔」という言葉が、脳裏をよぎった。父の死に顔が穏やかなのかどうか、二十三歳の私には理解できなかった。とにかく瞼(まぶた)を閉じなければと思い、テレビドラマで医師や家族がするように、手のひらで父の瞼をなぞったのだが、父の目は容易に閉じなかった。

 そこで少し力を入れて瞼を閉めてみたが、手を離すとすぐにまた開くのである。そんなことを何度か繰り返しながら、私は焦(あせ)りはじめていた。この作業は、テレビドラマだと医師がするのではないか。なぜ、放置して出ていったのだ、と。このままだと、通夜や葬儀で父の死に顔を見た人が「なんて安らかな顔でしょう」というどころか、見開いた眼を見て驚くに違いない。

 私は考えた末、父の額の上に手を置いて、眉毛の方に力を入れるようにして十分ほどそのままの状態を保った。その甲斐あってか、父はやっと眼を閉じてくれ、ひと安心したのである。

 今回、青木新門氏の文章に触れ、初めて臨終直後の人が半眼の状態であることを知り、胸の痞(つか)えが取れた。この本に出合うまでの二十六年間、父は苦しみのあまり眼を開けて死んだのではないだろうかと、折に触れ思い返すことがあったのだ。

 

 父との病室での「お別れ」の後、看護師の処置が終わって再び病室に入ると、鼻と耳に脱脂綿を詰めた父がベッドに横たわっていた。口の中や肛門にも脱脂綿が詰められているのだろうと思った。三十分ほど廊下で待たされていた間、看護師によって父の剥製(はくせい)が作られていたのだ。

 その結果、父は「仏様」と呼ばれる存在になった。

 

  2009年7月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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