石になりたい | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 小学校の帰り道、よく石蹴(け)りをした。そんな名残が、ふとした拍子に目覚めることがある。

 東京に暮らして二十三年(二〇〇六年時点)になる。会社からの帰り道には石ころがない。この歳になっても、そのことをもの足りなく感じる。

 昭和四十年代、私の育った北海道の田舎では、国道すらまだ十分に舗装されてはいなかった。当然、学校までは砂利道である。

 そんな道をとぼとぼ歩きながら、何気なく目についた石ころを蹴飛ばす。数メートル先にころがった石をまた蹴る。二、三回目には、道端の草むらに入って見失ってしまう。だが、まれに、いつまでもついてくる石がある。そんな石に特別な愛着を覚え、思わずポケットに入れていた。私の机の引き出しには、そんな石がごろごろしていた。

「どうするの、石ころばっかり集めて」

 母がよく嘆いていた。

 砂利道には、タイヤで磨耗され、艶(つや)やかな濃緑色や群青色の石が頭を出している。そんな石も掘り起こしては持ち帰った。だが、圧倒的に多かったのは、河原の石である。

 河原には、緑、茶、橙、白と色とりどりの石がある。小石が清流の底で陽光を浴び、生き生きと輝いていた。

 だが、それらの石を持ち帰ると、途端に色褪(あ)せてしまう。表面が乾いて白っぽくなるのだ。水をかければまた生気を取り戻すが、河原で見ていたのとはどこかが違う。石が本来の場所から持ち去られたので、精気を失ったのだ。そんなふうに思っている。

 引き出しの石を取り出しては、撫(な)でたり、重量感を確かめたりして楽しんでいた。この石は、どうやってできたのか、宿題の合間によくそんなことを考えた。握り締めていた石がしだいに温まってくる。そんな石の温もりが好きだった。

 岩石は、その成り立ちにより、火成岩、堆積岩、変成岩に大別される。中学の理科で教わった。石の誕生は、二億年から一億三千万年以上前である。たとえば石灰岩は珊瑚の死骸であり、河原でよく目にするチョコレート色の石はチャートと呼ばれ、放散虫(プランクトン)などの死骸である。いずれも赤道付近の海底堆積物で、海洋プレートに乗り、何千万年という時間を旅し、海溝から数千メートルの地底に沈み、高圧下で岩石となったものである。それが地殻変動で再び隆起し、秩父などのとんでもない山奥の河原に、散らばっている。

 千年前、一万年前といわれると、まだ何とかなる。だが、一億年となると想像が及ばない。人間の尺度では、もはや〝無限〟である。その辺に無造作に転がっている石ころが、永遠に近い歳月を経ていると考えただけで、ワクワクしていた。

 私の本棚には、いくつもの石が並んでいる。いまだに拾う癖が抜けない。

「その石ころ、どうするの」

 と妻が嘆く。

 先日、久しぶりに家族三人で休日の銀座を歩いた。そのとき、人造石ではなく、本物の花崗岩を使っている建物が目に留まった。外壁を撫でながら、つい花崗岩の説明に熱が入った。見ると、妻と娘はショーウィンドウの宝石に目を奪われている。二人には、ティファニーのダイヤモンドの方に関心があったようだ。

 花崗岩は、マグマが地下でゆっくりと冷えて固まった深成岩である。大陸地殻の大部分をなし、日本列島の基盤を形成する岩石である。

 田舎に帰るといつも父の墓参りをする。墓石に代表される御影石も、花崗岩である。父の墓石を感慨深げに撫で、父への懐旧の思いもさることながら、地球創造のころに思いを巡らせている自分に、ハッとする。

 死んだら星になりたいならまだしも、石ころになりたい、という私に、

「あなたの頭は、もう石よ」と妻。

 そういわれると頭のてっぺんが薄くなり、タイヤに磨かれた石の頭に近づきつつある。もちろん妻は、柔軟性のことを言いたかったのだろうが。

 宝の石というくらいで、ダイヤモンドも石なんだがな、と思いながら言葉にはしなかった。

 

 2006年2月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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