人間の驕り | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 最近(二〇〇四年を基準)、おかしな病気がやたらと多すぎないか。

 エイズから始まって、エボラ出血熱、BSE(牛海綿状脳症)問題、サーズ(新型肺炎)騒ぎがあったかと思ったら、今度は鳥インフルエンザだという。こういったニュースがここ数年、途切れることがない。

 生産者や関連業種の人にとっては大打撃、まさに死活問題である。その陰で笑いが止まらないのは、マスク屋と消毒液屋か。

 宮崎駿の世界ではないが、これは明らかに地球上をわがもの顔にのさばり、驕(おご)り高ぶっている人間への警鐘ではないか。神の仕業とまでは言わないけれど、人間が自ら墓穴を掘っているように思えてならない。

 なんといっても気の毒なのは動物たちである。BSEではウシ、サーズのハクビシン、ニワトリまでが大量に処分されている。半端な数ではない。

 身の潔白を主張する術もない彼らは、人間が抱いた「恐れ」という感情により、「処分」という耳障りのいい表現で何百万匹も殺されている。彼らにしてみれば、何が何だかわからないうちに殺されるのだから、たまったものじゃない。やむを得ないことなのだろうが、人間とは残酷な生き物である。

 だが、ハクビシンやコイはよくわからないが、我々の日常で家畜や家禽(かきん)は、なくてはならない食材である。たまには高いお金を払って、和牛ステーキが無性に食べたくなる。自分へのご褒美という都合のいい名目で。また、夕方、焼鳥屋の前を通っただけで、その匂いの誘惑に負けそうになる。我々が雑食動物であることに、改めて気付かされる。

 ふだん私たちは、スーパーなどで肉を買い求める。動物本来の形状を留めていない肉片であるので、それを見ても気持ちが悪いという感情を抱かない。だが、よく考えてみれば、誰かが殺しているのである。つまりスーパーの食肉コーナーは、人間によって切り刻まれた動物の死体売り場なのだ。また、魚屋が威勢のいい声で、

「奥さん、活きのいいサンマ、どうだい! 安くしとくよ!」

 と言ったって、しょせん、死んだ魚ではないか。活きがいいという表現は誤りで、正しくは、

「奥さん、死んだばかりで、まだ死後硬直状態が続いているサンマ、どうだい。安くしとくよ!」

 が正確な表現となる。つまり、魚屋もサカナの死体置き場である。こう言ってしまうと、身も蓋(ふた)もない。考えただけで気分が悪くなるので、この辺でやめておく。

 誰しもそうだろうが、生き物を殺すということを、最近、ぜんぜんしていない。せいぜい蚊を叩くか、ゴキブリを退治するくらいだろう。昔は、自分たちでニワトリを捌(さば)くのが当たり前だった。人は殺生(せっしょう)に対し、ありがたく命をいただく、という謙虚な気持ちが無意識のうちに働いていた。多くの人が好んで肉を食べるのに、他人に殺してもらった動物しか食べられないとは、誠に身勝手で情けない話である。

 中学のころ、学校帰りに雌のキジを捕まえたことがある。もちろん野生のキジである。北海道の田舎のことであり、キジは珍しい鳥ではなかった。私は、キジが大好物だったので、さっそく食べようと思ったのだが、父も母も嫌だといって捌いてくれない。しかたなく、自分でキジの首をひねろうと何度か試みたのだが、そのたびにキジに睨(にら)まれ、結局数日後、山へ放った。

 高校生のころ、従姉に連れられてケンタッキーフライドチキンを食べにいった。場所は札幌である。初めて見たフライドチキンのグロテスクな姿に身の毛がよだった。肋骨(ろっこつ)を口の中で選り分けて食べるのに、ひどく抵抗を感じたのだ。遠慮するなといわれながら、大変な思いをした記憶がある。気持ちが悪過ぎて、味がわからなかったのだ。フライドチキンごときで躊躇(ためら)っている男が、鳥を捌けるわけがない。

 最近、愛犬の鳴き声を判別する小型の装置が、ペットショップで売れているという。その鳴き声で、腹が減ったのか、小便がしたいのか、はたまた散歩に出たいのか、小さな液晶画面に表示されるそうである。そんなものは、本来、飼い主が察すればいいことで、そんなことがわからぬような人間に動物を飼う資格はない。将来、この装置が進化して、ウシがモーといっただけで「殺さないでください」と表示されたら、困ったことにならないか。

 自然界では、ライオン、トラ、チーター、ヒョウ、ジャガー、ピューマ、ヒグマ、ホッキョクグマなどといったネコ科、クマ科の動物が、食物連鎖の頂点に立つ。だが、人間は、自分たちがその頂点にいると錯覚することがしばしばある。アフリカのサバンナを素っ裸で歩くことを想像すれば、いとも簡単に理解できることだ。人間は、あのハイエナよりも下である。ハイエナとの一騎打ちでも勝てっこないのだから、オオカミよりも下ということになる。下手をすればオオカミの遠戚である犬といい勝負かもしれない。つまり我々人間は、自然界においては、犬、猫の親戚にすらかなわぬひ弱な動物なのだ。しかも大半の人間が、自分で動物を獲って食べることすらできなくなっている。

 私たちは、動物たちの断末摩(だんまつま)の叫びや、吹き出す血飛沫(ちしぶき)を浴びることなく、マナーに気を遣いながら豪勢な肉を食し、下腹に過剰な脂肪をせっせと溜め込んでいる。それがために自らの命を危うくしながら、自業自得との闘いに躍起になっている。悪徳ダイエット業者に騙され、スポーツジムに多額のお金を吸い取られながら。

 人間は悲しく、愚かな動物である。

 

  2004年3月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

ランキングに参加しています。

ぜひ、クリックを!

 ↓


エッセイ・随筆ランキング

 

近藤 健(こんけんどう) HP https://zuishun.net/konkendoh-official/

■『肥後藩参百石 米良家』- 堀部弥兵衛の介錯人米良市右衛門とその族譜 -

  http://karansha.com/merake.html

□ 随筆春秋HP https://zuishun.net/officialhomepage/