フランス料理の待ち時間 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 この夏(二〇〇三年)、箱根へいってきた。二泊三日でのささやかな家族旅行である。

 食事は、朝も夜もホテル内のレストランでの洋食、しかもフランス料理ときている。妻も娘も大喜びだ。確かに、仲居さんがこれでもかと運んでくる旅館の料理よりも気楽でいい。何より値段が安かった。価格破壊を売りにした、老舗旅館が始めた小さなホテルである。

 朝食は簡単なバイキングだったので、いうことなしだ。問題は夕食だった。

 前菜、スープ、メインディシュ、デザート……それを一時間もかけてダラダラと食べなければならない。もちろん、ご飯ではなく、パンときている。前菜はせいぜい二十秒、スープは冷スープだったので、本気を出せば十秒とかからないで飲んでしまう。それを、意識してゆっくりと食べる。だが、自ずと限界がある。次の料理がくるまで、ただひたすら待つ。わけても私は、父が早食いであったせいか、食事のスピードがけっこう早い。いつも家族から叱責を受けるのだが、夕食などは十分とかからないのだ。ゆっくり食べても、せいぜい二十分が限度である。

 私はもとより、妻も娘も次第にじれてきた。

「おそいねえ」

 とボヤキが出始める。フランスだか何だか知らないが、いっぺんに持ってこられないものなのか、そんな思いが顔に出てきている。

 

 せっかくの家族旅行、イライラするのもよくない。そこでやむなく、あれこれお喋(しゃべ)りをした。かつての会社の同僚で、同じ独身寮にいた岩手出身のミツルの話である。

 ミツルは稀にみる純朴な男で、それゆえに寮の人気者だった。私とはことさらウマが合った。ミツルは出不精で、休日はいつも寮でゴロゴロしていた。東京へきて数年になるのに、名の通った場所へいったことがない。ある日、

「オラ、ヤッダよ、そんなどごさいぐの」

 と渋るミツルを無理やり原宿へ連れ出した。原宿や表参道にはおしゃれな店がたくさんある。歩く人も華やいで、垢抜(あかぬ)けている。

 夏の暑い日だった。あちらこちらを歩き回り、のどが渇(かわ)いたので喫茶店に入った。そこは、客の大半が欧米人というオープンカフェだった。コーヒーを飲みながら読書する人、サングラスが似合うタンクトップのカップル、バドワイザーのラッパ飲みが様になる筋肉質の若者、いずれも映画のワンシーンを観るような光景だった。

 私は、そこでしばらく涼みながら休憩したいと思ったのだ。ミツルの度肝を抜いてやろうという思いも多分にあった。四方から英語が飛び交い、日本とは思えない雰囲気に、ミツルは、

「この店、アッツイなァー」

 と言いながら、何度も額の汗をごしごしと拭(ぬぐ)っている。オープンカフェだから、冷房はない。汗の半分は緊張からくるものだった。

 アイスコーヒーがテーブルに置かれたとたん、ミツルはグラスを鷲(わし)づかみにして一息に飲み干してしまった。その間、わずか数秒である。あっけにとられている私に向って、

「うめぇなぁー、近藤クン。グェ~」

 と大きなゲップを出した。ミツルにしてみれば居酒屋でビールをグイッとイッキ飲みするのと同じ感覚だったのだろう。

「バカャロー、何てことするンだ。この後、どうする気だ!」と言いたいところをグッとこらえて、立ち去りかけた店員を呼び止め、お代わりを頼んだ。店員の驚いた顔がおもしろかった。

 ミツルにはもうひとつ、伝説話がある。給料日直後の休日、ミツルを含めた若手三人がファミリーレストランに出かけたことがあった。豪勢にステーキを食べようと出かけたのだ。十五年ほど前のことで、ファミリーレストランがまだ珍しい時代であった。岩手県生れのミツルのほか、あとの二人も青森の出身で、まだ東京生活の浅い者同士だった。

 通常、レストランでステーキを注文すると、焼き方を訊かれる。たいていが「ミディアム」という。なかには、「ウェルダン」とか「ミディアム・レア」などという人もいる。たかだかファミレスのステーキで、ウェルダンもないだろうといつも思う。

 若い女性のウエートレスに標準語でオーダーをしたまでは順調だった。「焼き方は……」と訊かれて、三人に緊張が走った。そんな筋書きを、誰も予想していなかった。青森のひとりが、ひと呼吸おいてミディアムだと気づいたが、時すでに遅し。沈黙に耐え切れなくなったミツルが、勢いよく立ち上がり、

「テッパンで焼いでください!」

 と言ってしまった。気負いもあって、その声は異様に大きかった。一瞬の沈黙のあと、まわりの客からドッと笑いの渦が巻き起こった。その後も周囲の視線を感じ、三人はせっかくのステーキの味もすっ飛んで、汗びっしょりでひたすら肉を口に押し込み、逃げるようにして帰ってきたという。

 

 フランス料理を待つ間、私たちのテーブルではそんな話に花が咲いた。

 長い待ち時間に、腹が減っているのか満腹になったのかさえわからない。騙(だま)されたような気分で二日間を終えた。今回は、私が発案した小さな旅行であり、私が選んだフランス料理だった。ふだんあまり喋らないわたしが頑張って口を開いたのは、責任を感じたからにほかならなかった。

 妻と娘には案外と楽しいひと時のようだったが、フランス料理は二度とゴメンだと思った。

 

  2003年11月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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