Jリーグ100チームを目指して
Amebaでブログを始めよう!

またまたブログを引越しします&新サイトのご紹介

ブログをライブドアからアメブロに移して3ヶ月。
なぜだかあんまり書く意欲が湧かないんですよ。
というか、単にブログだけじゃなくて、
他にもいろいろコンテンツを取り揃えた、
サイトがつくりたいという欲望がふつふつと芽生えてきて、
それが自分の中で勢いをもってきたので、
思い切ってレンタルサーバを借りて、
自分でサイトを作ることにしました。


で、
とったドメインが、



j-league.net



なんとも大それたものをとってしまいました(^^)



ブログのほうは今後、
http://blog.j-league.net/
で続けていきます。

そして、
サイトのほうも順次コンテンツを増やしていきます。
http://www.j-league.net/
まず第一弾としてJリーグ全36クラブの選手名鑑を作ってみました。
http://www.j-league.net/club.php


これからも「Jリーグ100チームを目指して」をよろしくお願いいたします。

ヴェルディ、リソー教育へ身売りへ

経営難にあえいでいる東京ヴェルディが
学習塾の最大手リソー教育に身売りするらしいです。

リソー教育は非常に財務的にはいい会社ですが
ヤフーファイナンス リソー教育 連結決算推移
今後ヴェルディはどうなっていくのでしょうかね。
読売グループの保有比率は0%になることはないみたいですが、
筆頭株主が読売グループから離れるということで、
何かひとつの時代が終わった気がします。

東京V身売りへ 学習塾に再建託す!《スポニチ》

 経営難にあえぐサッカーのJ2東京ヴェルディが、首都圏を中心に個別学習指導教室「TOMAS」を展開する株式会社リソー教育(本社・東京都豊島区)に経営権を譲渡する方針を固めたことが18日、明らかになった。東京Vはクラブ存続のため昨年から経営パートナー探しを続けていたが、ここにきて同社への株譲渡話が進行し、最終的な交渉を進めている。同社の保有株式は50%を超える見込みで、事実上のクラブ売却となる。

 前身の読売サッカークラブ誕生から今年で40周年。その記念すべき区切りの年に、数々の栄光とともに歩んできた名門が、大きな転換期を迎えることとなった。

 複数の東京V関係者が「新しい経営パートナーがTOMASに決まった」と交渉が最終段階を迎えていることを明言。経営のトップである萩原敏雄取締役会長兼社長(72)は会社名こそ出さなかったものの「あちらさんは(経営の)主導権を握りたいと言っている。日本テレビ(の保有株式)が0%になることは絶対にないが、必ずしも筆頭株主でなければならないわけではない」と事実上のクラブ売却を認めた。

 東京Vは場当たり的な補強を繰り返す乱脈経営のツケが回り、昨年途中から経営難に陥った。さらに年間20億円とも言われる強化費を肩代わりしてもらっていた親会社の日本テレビが、昨年9月の中間連結決算で12億円の赤字を計上。同社としては実に37年ぶりとなる赤字に転落したことで事態は悪化した。昨季17位に終わり、今季はJ2に降格することもあり経営を圧迫する高年俸選手を大量リストラ。一方で、新たな経営パートナー探しを続けてきた。

 当初は元日本代表MF中田英寿氏(31)やFW大黒将志(28)も契約するマネジメント会社「サニーサイドアップ」との業務提携を画策したが、すでに消滅。そこへ現れたのが、05年から昨年までの4年間ユニホームの袖に「TOMAS」の名を入れ、スポンサーとしてチームを支えてきたリソー教育だった。

 昨年から根強く交渉を進め、ここへきて話が一気に進行。個別指導に定評のある塾「TOMAS」はサッカースクールを開くなどサッカーへの造詣が深く、これまでスポンサードしてきた東京VやJ2横浜FCなどの試合で「TOMASデー」を実施して通常を大きく上回る観客を動員するなどJリーグへの貢献度も高い。日本の将来を担う子供たちの教育に携わっているという企業イメージも明るく、東京Vの未来を託すにはうってつけの存在だ。50%を超える株の譲渡額は推定5億円とみられ、現在は詰めの段階。早ければ今月中にもまとまる可能性が高い。

 また、クラブとしての新たな出発に合わせ経営、フロント陣も一新する見込みで、加藤善之テクニカル・ディレクター(44)は今月限りで退団。萩原社長やラモス瑠偉常務取締役(51)は今春の株主総会を経て退任する可能性が高い。その上で、元日本代表DFでありOBでもある三浦泰年氏(43=現解説者)がGMなど強化部門のトップに就任することも決定的。将来的には同氏の弟で、98年まで在籍したJ2横浜FCのFW三浦知良(41)の復帰も視野に入っている。

 日本テレビの保有株式は20%程度になると見られ、40年にわたった読売グループ傘下でのチーム運営は終えんを迎えることとなった。





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宇留野選手のトライアウト

今週の月曜火曜の2日間、
Jリーグのトライアウトが行われました。

参加した選手の一覧はこちらのリンクからごらんいただけます。
2008-2009第1回参加選手一覧《拙wiki》

もちろんベガルタサポーターとしては、
ベガルタに在籍していた選手たちがどうなるのか気になるところですが、
このトライアウトの参加者リストの中に、個人的に気になる名前がありました。
元ヴァンフォーレの宇留野純選手です。

宇留野選手に関しては、数日前この記事を読んでからとても気になっていました。


がんと闘った宇留野にエール《山梨日日新聞》

 「おれ、がんだったんだ」。今季限りでVF甲府を退団する宇留野純が語ったとき、最初は何を言っているのか分からなかった。
 ホンダFC時代の2005年、初冬。顔の皮膚が荒れ、睾丸(こうがん)に異常を感じた。精巣腫瘍(しゅよう)。当時25歳のミッドフィルダーの体は、10万人に1人といわれる病に侵されていた。
 すぐさま手術。術後は転移の危険性と向き合う闘いが始まった。医師から勧められたのは抗がん剤による治療。転移の可能性は減るが、体に大きな負担がかかるため、サッカーをあきらめなければならない。二つの選択に宇留野は悩んだ。
 「サッカーを捨てることはできなかった」。病院を転々とし、都内の病院に通いながら抗がん剤以外の治療を受ける道を選んだ。月に2、3度と都内へ足を運んで検査を受けた。病室で結果を待っているときの恐怖は、今も忘れることができない。
 「なんとしてもJの舞台で戦いたかった」。05年の冬、社員選手としてプレーしていたアマクラブの名門・ホンダFCを去って、プロ選手となった。一日一日を必死に戦ってきた。肋骨(ろっこつ)が折れても、ピッチに立ったこともある。それでも、検査結果を待つときの恐怖に比べたら、骨折の痛みなど「へっちゃら」だった。
 リーグ最終節の横浜FC戦後。拡声器を持って宇留野はサポーターに語りかけた。「自分はサッカーが好きです」。それは命をかけてサッカーと向き合った男が、心の奥底からつむぎ出した言葉だったと思う。
 安間貴義監督は言ったことがある。「ひたむきにやっていれば、必ずいつか報われる。サッカーはそういうスポーツ」。13日、VF甲府は最後のチーム練習を迎える。スピードに乗ったドリブルで観衆を魅せた背番号11は「(プレースタイルが似ている)ジュンヤ(久野純弥)につけてほしいな」と思いを託した。J通算61試合で7ゴール。ひたむきにボールを追いかけ続けた男を笑顔で送り出したい。

ガンと戦って生きるというだけですごいのに、
サッカーするために抗がん剤を使わず、
死の恐怖を抱えながらプレーしていたということに、
ただただすごいという感想しか出てきません。
自分が同じ境遇に置かれたとしたら、
まず病気と戦っていこうというところで気力がもつか分かりませんし、
好きなものをやるのに障害になるからといって、
薬を拒否できるかといえば、それもかなり難しいでしょう。
素直にその宇留野選手の精神力に感服しています。


ここまで宇留野選手ほどの強烈な思いじゃないにしろ、
好きなサッカーを続けたいという男たちが、
トライアウトには集まってきます。
一人でも多くの選手が好きなサッカーを続けられるように祈っています。


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