宇留野選手のトライアウト | Jリーグ100チームを目指して

宇留野選手のトライアウト

今週の月曜火曜の2日間、
Jリーグのトライアウトが行われました。

参加した選手の一覧はこちらのリンクからごらんいただけます。
2008-2009第1回参加選手一覧《拙wiki》

もちろんベガルタサポーターとしては、
ベガルタに在籍していた選手たちがどうなるのか気になるところですが、
このトライアウトの参加者リストの中に、個人的に気になる名前がありました。
元ヴァンフォーレの宇留野純選手です。

宇留野選手に関しては、数日前この記事を読んでからとても気になっていました。


がんと闘った宇留野にエール《山梨日日新聞》

 「おれ、がんだったんだ」。今季限りでVF甲府を退団する宇留野純が語ったとき、最初は何を言っているのか分からなかった。
 ホンダFC時代の2005年、初冬。顔の皮膚が荒れ、睾丸(こうがん)に異常を感じた。精巣腫瘍(しゅよう)。当時25歳のミッドフィルダーの体は、10万人に1人といわれる病に侵されていた。
 すぐさま手術。術後は転移の危険性と向き合う闘いが始まった。医師から勧められたのは抗がん剤による治療。転移の可能性は減るが、体に大きな負担がかかるため、サッカーをあきらめなければならない。二つの選択に宇留野は悩んだ。
 「サッカーを捨てることはできなかった」。病院を転々とし、都内の病院に通いながら抗がん剤以外の治療を受ける道を選んだ。月に2、3度と都内へ足を運んで検査を受けた。病室で結果を待っているときの恐怖は、今も忘れることができない。
 「なんとしてもJの舞台で戦いたかった」。05年の冬、社員選手としてプレーしていたアマクラブの名門・ホンダFCを去って、プロ選手となった。一日一日を必死に戦ってきた。肋骨(ろっこつ)が折れても、ピッチに立ったこともある。それでも、検査結果を待つときの恐怖に比べたら、骨折の痛みなど「へっちゃら」だった。
 リーグ最終節の横浜FC戦後。拡声器を持って宇留野はサポーターに語りかけた。「自分はサッカーが好きです」。それは命をかけてサッカーと向き合った男が、心の奥底からつむぎ出した言葉だったと思う。
 安間貴義監督は言ったことがある。「ひたむきにやっていれば、必ずいつか報われる。サッカーはそういうスポーツ」。13日、VF甲府は最後のチーム練習を迎える。スピードに乗ったドリブルで観衆を魅せた背番号11は「(プレースタイルが似ている)ジュンヤ(久野純弥)につけてほしいな」と思いを託した。J通算61試合で7ゴール。ひたむきにボールを追いかけ続けた男を笑顔で送り出したい。

ガンと戦って生きるというだけですごいのに、
サッカーするために抗がん剤を使わず、
死の恐怖を抱えながらプレーしていたということに、
ただただすごいという感想しか出てきません。
自分が同じ境遇に置かれたとしたら、
まず病気と戦っていこうというところで気力がもつか分かりませんし、
好きなものをやるのに障害になるからといって、
薬を拒否できるかといえば、それもかなり難しいでしょう。
素直にその宇留野選手の精神力に感服しています。


ここまで宇留野選手ほどの強烈な思いじゃないにしろ、
好きなサッカーを続けたいという男たちが、
トライアウトには集まってきます。
一人でも多くの選手が好きなサッカーを続けられるように祈っています。


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