激 動 の 時 代 に 思 い を 馳 せ ~  『 田 原 坂 』 ~ | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

          『 雨は降る降る じんばは濡れる 

                                         越すに越されぬ 田原坂  

 

            右手に血刀 左手に手綱 

                                           馬上ゆたかな美少年 』

 

 

 

 

 

2018年、只今の大河ドラマは「西郷(せご)どん」

天を敬って人を愛し、人のために生きた「敬天愛人」の人

西郷隆盛が主人公だ。

 

 

この機会に、先日久しぶりに「田原坂公園」を訪れてみた。

 

 

 

今から150年前、近代日本の幕開けとなる激動の「明治維新」。

その中枢を担っていた人物の一人が西郷隆盛。

そして明治維新から10年後1877年(明治10年)

西郷隆盛を中心とした「薩摩軍」と明治政府「政府軍」との間で

日本最後の内戦が起こる。

 

「西南戦争(西南の役)」である。

 

その内戦の最大激戦地となったのがこの地、熊本・田原坂。

 

 

 

 

 

熊本城を築いた加藤清正が、戦いを想定してつくったとされる「田原坂」。

 

大砲を率いた軍隊が通ることができた唯一の道で

一の坂、二の坂、三の坂に分かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時。

 

自分たちで何かを変えようという

 

「志」を持った人が集まったという。

 

 

 

 

 

 

武士の世から四民平等へ。

鎖国から開国へ。

 

急速な時代の変化に不満を抱く士族らが

次々と反乱を起こしていた

不穏な時期。

 

江戸時代から強大な軍事力で知られた鹿児島が

ついに立ち上がる。

 

きっかけは、明治政府にによる西郷隆盛暗殺計画の噂だった。

 

激昂し決起をはやる旧薩摩藩士たちの中で西郷は

最後まで沈黙を保ったと伝わっている。

もしかして、負け戦とわかっていた?

 

それでも、部下たちの意志を貫かせるためなら

命など捨ててもいい

そう考えて戦いを決意したのかもしれない。

 

そんな西郷にも、薩摩軍が熊本を越えることができなかったことは

想定外だったのではないだろうか。

 

 

 

 

 

その理由は、加藤清正が築いた熊本城が約三百年近い時を経て

鉄壁の守りを見せたこと。

そして、清正が戦いを想定してつくったとされる

田原坂、だ。

 

 

 

熊本・田原坂は最大の激戦地となり

志を貫いた多くの尊い若者の命が散った。

 

信念に命をかけた薩摩軍も

国に逆らう薩摩軍を敵として戦った政府軍も

日本の安泰と繁栄を願う気持ちは同じだったはず。

 

信じた道を貫き通した男たちの軌跡をたどれば

切なさと、あこがれにも似た思いが

湧き上がる・・・。

 

 

 

 

 

 

この多くの命が奪われた西南戦争を機に

欧州の例に習って

敵味方の区別なく救護するきっかけをつくった。

 

このことに起因して

日本赤十字社(日赤)の前身「博愛社」が

古城(現熊本市中央区新町)にあった「ジェーンズ邸」(昭和45年中央区水前寺に移築)にて誕生することとなる。

 

※ 熊本洋学校教師館「ジェーンズ邸」は熊本地震により全壊。

現在復旧に向けて協議・検討が行われている。

 

 

 

桜やツツジの名所としても知られる田原坂公園

 

 

 

▼ 壁に残る弾跡が激戦を物語る「弾痕の家(復元)」

 

 

園内には戦争の記憶を今に伝える

「熊本市田原坂西南戦争資料館」が

2015(平成27)年に開館している。

 

 

 

 

西南戦争を物語る資料や写真が所蔵され、幕末維新ファン必見!

 

 

▼ 幕末から西南戦争に至るまでを時代ごとを追った壁画年表

 

 

公園周辺には両軍の墓地等もあり(2011.3過去ブロでアップ)

戦いの凄まじさが想像できる。

 

 

▼ 四斤山砲と軍旗(模造)

 

 

▼ 多種多様の西洋式小銃が使用された

 

 

▼ 両軍の装備比較・・・左が政府軍、右が薩摩軍。両軍ともスナイドル銃を持つ。

 

 

▼ 腹が減っては戦はできぬ!・・・戦場での食事は握り飯が主体で、基本は1日四食。

 

 

 

▼ 体感展示室・・・薩摩軍陣地をイメージしたジオラマと大砲の着弾音や振動

小銃弾の飛来音、戦闘の再現映像がある。

 

 

西南戦争での戦死者は

 

政府軍 6,843名

薩摩軍 6,784名

 

親、兄弟が敵味方に分かれ

互いが「義」を貫いた戦いであった。

 

 

 

 

西南戦争の激戦地となった田原坂。

 

そこに残された傷跡や現代に受け継がれる功績。

 

また平成28年熊本地震からの復興を目指す

熊本城周辺及び伝統息づく町・川尻。

 

 

悲劇と博愛の地に思いを馳せて

熊本市の歴史と今にふれる旅に

出かけてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

▼ 資料館に行ったらぜひ、この小冊子をご覧あれ!

表紙は薩摩軍少年兵の山口雄吾(田原坂の美少年 イメージキャラクター)。左頬の傷は田原坂緒戦でついたもの。この戦いぶりが気に入られ、小隊長クラスしかもてないウエストリー・リチャーズ騎兵銃を与えられた。得意げな表情もこの直後の戦いで、一変する。

 

 

 

 

最後は亀吉のコスプレ!(資料館内コーナーにて)

 

 

 

 

 

 

 

余計でしたな・・・!

 

失礼しやした。σ(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。