何でも早ければいいといいうものでもないが、一般的に都会の方がテンポが早く
田舎より進んでいると考えられている。また、それが規範になっているところがあり
万事がゆっくりのんびりしている田舎の人の方はどうしても不利と捉えられる。
これは神経においてもそうだ。神経は鋭敏な方がよいとされる。
鈍感というのはさげすみの対象にはなっても賞賛されることは滅多にない。
だが、鋭敏な神経とはそんなによいものだろうか。
素早い決断や判断はそんなに立派なことなのだろうか。
人生をエンジョイするには、鈍感な部分を持った方が得のような気がする。
作家、芥川龍之介は神経の塊といわれた人だ。
作家は神経が細かい方々が多いと聞く。
その中にあっても芥川は特に鋭敏な神経の持ち主だったという。
感性というよりとんがった神経が彼の感覚の武器だったのかもしれない。
そして、よい小説をいくつか書いたが、三十五歳で睡眠薬自殺をした。
あまりにとがった神経ではこの世に向かないということか。
また、潔癖症の人なんかもそうだ。
バイキンがこわくて電車の吊り革に絶対つかまらず便所のノブはハンカチでさわり
銭湯など大衆浴場にはこわくて行けないという人も可哀想な存在だと思う。
何をしようと自由だが、衛生的に見たら穴や欠陥だらけの現実である。
ただそういう人は自分の神経が許さないのであろう。
心の面でも敏感すぎるとろくなことはない。
人のちょっとした仕草や言葉遣いが自分への矢のように感じられるような人は
人生がつらくて仕方がないだろう。
人間は不完全な存在である。いい加減な存在であり、矛盾した存在である。
一般的な人間がそうであるなら、自分だってそうなのだ。
すべてに気をくばることはできないのだから、「もういいや。なるようになれ」という
一種の開き直りをしてのんびりすることが、精神の健康を保つためには不可欠なことのように思う。
本日は以上です。
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