「品性」というもの | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

最近この「品性(ひんせい)」という言葉があまり使われなくなったように思います。

ひとがら、人格といった意味で人を評価するモノサシの一つですが

性格を道徳的価値として見る場合の呼称と辞書にはあります。

たとえ地位や境遇にあっても、それとは関係ない人物評価の視点

それが品性というものなのでしょう。

 

いまはどうかといえば

「頭の回転が早い」「気転が利く」「腰が低い」「年収が高い」「お金持ちである」 といったことが

人を評価する主なモノサシで

その人の内面にまで立ち入った価値基準のようなものは

段々遠ざけられているような感じがします。

 

品性というものは、普段はあまり表面に出てこない。

どちらかといえば土壇場になったときあらわれるようです。

だから日本のように平和で豊かな状態が続いた国ではなかなか表面化してこない

品性が問われないからです。

 

問われないからだんだん忘れ去られ

若者の中には存在すら意識しない人たちも多くいることでしょう。

いま若い人たちの判断基準はマスコミです。

マスコミがほめあげ評価するものが

立派なものだという考え方をしている人たちも多いと思います。

 

そこで重要なことは品性を見抜く目です。

どうやったら見抜けるのか。

それはそういうチャンスに恵まれるかどうか問題ではありますが

個人でも組織でも「一番大切しているもの」がわかればよいのです。

 

ただし気を付けないといけないのは

普段は逆に見えることもしばしばあることです。

日頃「カネ、カネ」と言っている人が、特別に品性が低いわけではなく

逆に普段名誉を重んじているふうだから特別品性が高いわけでもないといことです。

 

極限状態におかれたとき

その人間の品性はあらわになるそうです。

たとえば一昨年起きた東日本大震災で

自らの危険を顧みず瓦礫の下から他人を救い出した人間もいれば

少しの野菜を何千円で売った人間もいたといいます。

こういうときにその人間が一番大切にしているものがはっきりとわかるのです。

 

 

 

自分はどうなんだろう、、、!?

 

 

 

 

本日は以上です。