近年、社会はどんどん世知辛くなり
相手の立場や気持ちを理解しようとする余裕が次第になくなる一方で
残虐な行為の事件・犯罪等の報道見ていると
そういう情報がどう今の子どもたちに影響を与えているのか心配になります。
いじめの問題にしても昔からあったこととはいえ
現在のようなタチの悪い陰湿なものではなかったように思います。
こういう現代の環境で育っていく子どもたちに、どう “思いやり”の心の大切さを教えていくのか
南蔵院の林覚乗住職の講演の中で紹介された話の中に次のような話があります。
お父さんが入浴しているところへ、娘のめぐみちゃんが靴をもってきて洗い始めました。
「おばあちゃんが洗ってくれたのだけれど、ちっとも汚れが取れていないの」 と
不平を言いながら洗っています。
お母さんは 「どうして最初から自分で洗わないの」 と叱っています。
しかし
入浴していたお父さんの叱り方は、お母さんとは違っていました。
「そのまま二、三日はいてから洗いなさい。一度もはかないで洗ってはいけないよ。
めぐみも自分で洗った靴を一度もはかないで洗われたらイヤな気分がするでしょう。
まして歳を取ったおばあちゃんが洗ってくれたのだから
ありがとうと言って
二、三日はいてからにしなさい・・・」
さらに、 「おばあちゃんに、歳を取って靴も満足に洗えなくなったと落胆させてはいけないよ。
おばあちゃんが歳を取っても靴を洗ってくれるなんて
よくよくめぐみのことがかわいいからじゃないのかな。
本当ならめぐみがおばあちゃんの仕事を手伝ってあげるのが人間の道ではないのか。
それをおばあちゃんの洗ってくれたものが気に入らないからといって洗い直しをするというのでは
おばあちゃんに悪いではないか。
人間の行為は素直に受け取るものだよ」
するとめぐみちゃんは泣きながらうなずいて
風呂場から出ていきました。
どうでしょう、素晴らしいお父さんですよね。
もし、そこでお父さんまで
「ホントだね、歳取ったお前のおばあちゃんは靴もロクに洗えなくなったんだね」 と言ったとしたら
この娘さんはどんな人間に育っていくことでしょう・・・。
娘のためを思い
またおばあちゃんを傷つけないようにというお父さんの立派な意見だと思います。
人間は人からの行為を受けることに慣れてしまうと、いつしかこんな心ない不満が出てきます。
これは大人でもそいう事例はあるのではないでしょうか。
たかが靴の洗い直しではないのです。
このお父さんは、人を思いやるの心の大切さ、人間としての道を娘さんに教えています。
やって良いことと悪いことを、きちんと子どもに分かるように話しているのです。
昨今、日常生活の中で私たちが何げに見過ごしてしまっていることの中に
本当は大切な教えが秘めているのかも知れません。
本日は以上です。