山鹿(やまが)温泉は熊本県内で最も歴史のある温泉地の一つであると言われ
伝説によると、保元乱で京都から敗走した宇治親治が山狩りをしていたところ
傷を負った鹿が湯に浸かっているのを見て、この温泉を発見したとされています。
温泉名で地域名にもなっている「山鹿」もこの開湯伝説に因んでいます。
承平年間に記された『倭名類聚抄』-平安大辞典に既に山鹿の名が載っており
平安の昔から美肌の湯として知られていたそうです。
宿場町としても繁栄した江戸時代には「山鹿千軒たらい無し」と謳われるほど
湯量豊富で賑やかでありました。
その山鹿温泉の元湯であるのが「さくら湯」です。
まろやかな湯は「乙女の肌」とたたえられる自慢の湯でした。
ちょっとぬるめが心地よく、時を忘れてついつい長湯してしまいます。
風呂嫌いといわれている宮本武蔵もここでくつろいだとされ
玄関横には武蔵像が立っていました。
★時代が窺える、さくら湯の風景です
ボクがまだ幼少のころですね・・・。
なんじゃこりゃ!
まさしく芋を洗うという状態(*^.^*)
女風呂なんでしょうけど
男性の姿も・・・?
年代がわかりませんが
ボクの記憶にあるのはもっと近代化されてからのさくら湯ですね・・・
おそらく。。。
ついでに、まだ日本が高度経済成長期に入る前の
片田舎の町の風景を・・・
★山鹿の温泉広場です
頭に灯籠はつけてないし、現代の千人灯籠踊りとは
やはり様子がちょっと違います。
話はさくら湯にもどって・・・
その後高度経済成長期に入ると
さくら湯一帯に大きな商業複合ビル温泉プラザ「プラザファイブ」ができ
その中にさくら湯もビルドインしてしまいます。
この温泉プラザの南側に
昔ながらのたたずまいを見せる薬師堂があります。
これは、温泉復活祈願のために建立されたものです。
千年以上の歴史がある山鹿温泉が突然枯れてしまったのは、文明5年(1478年)3月のこと。
当時の湯主、左近郷近宗がいろいろ手を打ってみましたが効果がありせん。
そこで、菊池重朝公の祈祷寺だった湯町・九日町の金剛乗寺・第八世宥明訪印に
温泉復活の祈祷をお願いしました。
訪印は薬師堂を建立し、毎日の丑の下刻(午前3時)に起床、身を淨め祈祷に励みました。
不眠不休の祈祷により、満願になると湯が以前にも勝る勢いで湧き出しました。
山鹿ではこの日(12月20日)を「温泉復活感謝祭」として訪印の功績をたたえ
薬師堂の湯の守神として今も大切にしています。
なお、現在の薬師堂は明治5年に建てられてものです。
この温泉プラザビルも老朽化して最近リニューアルされています。
さくら湯は休業中!
そして、現在平成24年秋のオープンを目指して
「さくら湯」再生計画が進行中なのです!
さくら湯 11月23日 開湯! いよいよ間近です!!
ところで、ここ わがふる里山鹿は
昨日灯籠まつりでした。
昼間は、街の電器屋さんをやってる
幼なじみで親友のテルちゃんのところへ注文していた品物を取りに行きましたが
夜のまつりのメイン、千人灯籠踊り等見物する時間はなくトンボ帰りでした。
なかなかこの山鹿灯籠まつりを取材し紹介できるチャンスがないですね。(*^▽^*)
毎年山鹿の八千代座(明治時代の芝居小屋)で舞踊公演をしている坂東玉三郎さん
昨年は地元の方々とコラボして山鹿灯籠踊りを舞台で披露してくれました。(^-^)/
何もない田舎の小さな温泉町ですが
いい町ですよ。(o^-')b
本日は以上です。
熊本で遊ぶ。熊本でお仕事。どちらもお泊りなら
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小さいから楽しいホテルの経営