熊本藩の歴代藩主が武士(もののふ)の園芸・たしなみとして保護奨励したことにより始まった。
肥後六花の一つ 「肥後朝顔」
現在も厳格な栽培法が伝えられ、肥後独特の純粋種が保たれています。
~ 素朴さの中に味わいある気品が漂う花 ~
今日の肥後朝顔の隆盛の陰には
伝来の種子と栽培手法を守りぬいた一人の女がいた。
肥後朝顔は
小鉢本蔓作り(行儀作り)という独特の仕立て方をします。
本焼の12cm小鉢に植え、本蔓を摘心せずに鉢の3倍ほどの高さに止め
かつ第一花を草丈の4分の1の位置に咲かせます。
このような、鉢と茎葉と花の釣りあい、品位を重視するのです。
朝顔の栽培は江戸時代後期に大流行し、明治時代に入ってから一時衰退しましたが
その後息を吹き返し、各地に愛好会が誕生しました。
熊本では1899年(明治32年)に「肥後朝顔凉花会」が結成され
種子を門外不出として長い間、全くといっていいほど他品種との交流がなく
伝統の栽培法をそのまま受け継いでいる点が、日本の朝顔の中で異色とされています。
肥後朝顔の隆盛の陰には、愛培家の数々の苦労があった!
その中の一人、徳永据子さんは、戦時中や戦後の大水害の時も
朝顔の種をリュックにかついで避難し、守り続けていた種子から再興したといいます。
彼女が、昭和42年故人となった時、「凉花会」は異例の徳永据子杯を設け
毎年の花神祭に会の功労者に贈りました。
写真は昨夏、桜の馬場 『城彩苑』 にある湧々座に展示してあった肥後朝顔です。
★肥後朝顔
★高田の馬場 『城彩苑』
亀吉@暑い夏の一服の清涼剤。
“アサガオ” (^_^)v
本日は以上です。
熊本で遊ぶ。熊本でお仕事。どちらもお泊りなら
→ http://www.kamenoi.com/kashima/ (o^-')b
小さいから楽しいホテルの経営