ボクら人間は、国や時代の違い、貧富の差、男女の別
親を選ぶこともできずに生まれ、一人ひとりが自分の
人生を歩んでいます。
男女は人間として差別はないけれど区別があり
頭や手足の区別があって命があるように
男として女としての使命や目的があるのです。
おもうに、人の幸・不幸はめぐり合わせの人の善し悪し
どんな人と出会い、どんな体験をし学んだか
どんな本を読んだかであり
自分のものは一つもなく
すべてカンニング人生です。
あたかも車の運転を知っていると出来るとは大きな違いで
知識学問も食べ物と同じように、頭で理解するだけではなく
消化吸収して初めて自分の血となり肉となります。
そして現在は、過去の結果であり未来をはらんでいます。
時として人は、悩んだり、もがき苦しんだりしますが
師の言葉や読んだ本の一節により、“パァーッ” と悟ったり
心が明るくなったりすることがあります。
「驚いても間に合わない」・「嵐の中でも時がたつ」
誰もが知る一休禅師が、遺言を書き、見てはならぬと封をし
ただし、大変なことが起こったら見るべし、と この世を去りました。
数年後大事件があり、師の遺言を思い出し
おそるおそる開いてみれば墨痕あざやかに
「心配するな! なんとかなる 」
この一言も多くの人を救っているのではないでしょうか。
人生の途中では、悲しい時、苦しい時、腹が立つ時
また生きていることさえ辛いと思える時もあるかもしれません。
そのような時、多くの珠玉の言葉を知っている人は
苦中に活を見出し、人生の価値を知り
稔り多い生涯を生きれるように思います。
与えた恩は水に流し
受けた恩は石に刻む
多くの人の恩を石に刻み、それを知らしめる使命に燃え
今、今、今の連続の一瞬一瞬の今の姿こそ
二度と繰り返すことの出来ない
人生そのものなのではないでしょうか。
亀吉@ 学ぶとは真似ることである。('-^*)/
本日は以上です。