少し前に『日経ビジネス』 誌が
「次代を創る100人」 という特集があった。
そこで100人に選ばれた、
数少ない女性の一人、山口絵理子さんを
いま、日本でもっとも元気な人である。と
ジャーナリストの田原さんが紹介されている
記事があったので原文のまま紹介させて
いただきます。
山口さんは、実は小学校のとき
一度も給食を食べたことがなかった。
男の子たちに取り上げられていたのだ。
いわゆる、いじめられっ子で
不登校にもなった。
彼女は、給食の味を知らずに
卒業したそうである。
その反動から、中学で非行に走った。
警察に何度もお世話になった。
ただ、すぐに
「こんなことしてはだめだ」
「もっとつよくならないといけない」
と気づいた。
そこから彼女は変わった。
学校の柔道部に入ったのだ。
柔道部には、女性は一人。
そこで懸命に練習した。
懸命に練習をして
大宮工業高校に進学したのである。
その柔道部は、埼玉県で
一番強いといわれていた。
そこで柔道をするために
わざわざ工業高校に進んだのである。
ここでも唯一の女子部員として
懸命に練習を重ねた。
そして、なんと埼玉県ナンバーワンを
倒すところまで成長した。
全日本ジュニアオリンピックでも
第7位になった。
そこで彼女はまた考えた。
頑張って柔道に取り組み
ここまできた。
でも、柔道だけでいいのか。
勉強もしたい。
自分は小学校から
ろくに勉強をしてこなかった。
大学ではちゃんと勉強したい、と。
高校3年生の夏のことである。
そして9月から猛勉強をはじめ
なんと慶応大学に合格する。
さらに、そこで竹中平蔵さんと出会う。
彼のゼミに入り、
国際問題について学んだのである。
彼女はまた考えた。
世界になぜ豊かな国と
貧しい国があるのか。
貧しい国は、なぜこんなに
貧乏なのか、と。
いろいろ調べると、
アジアで一番貧しい国は
バングラディッシュだとわかった。
すば抜けた貧しさである。
さらに政府の開発支援にも疑問を感じた。
その疑問を解くために
彼女は決心した。
よし、バングラディッシュに行こう、と。
22歳のことである。
最初は、最貧国とはどういうところなのか
見てみよう、という気持ちだった。
ところが、実際にバングラディッシュに
足を踏み入れると、想像とはあまりに違っていた。
まず、空港に着くなり
そこに漂っている異様な臭いに驚いた。
物乞いたちに取り囲まれた。
街には、手足のない人びと
泣き叫ぶ裸の赤ちゃん・・・。
「こんな世界があるなんて」
いままで自分が生きてきた世界が
あまりに狭くて
小さなものであること。
そして自分が信じられないほど
幸運な星の下に生まれたことに
気づかされた。
なぜ、ここまで貧しくなったのか。
私にでもできることはないか。
そのためには、ここに住まなければ
と考えたのである。
そう考えたら彼女は早い。
彼女はやろうと決めたら
すぐに実行する。
柔道を始めたときも
大学受験を決めたときも
そうだった。
バングラディッシュの
大学院の試験を受けた。
大学院に入れば2年間、滞在できる。
その2年間で、なぜバングラディッシュが
貧しいのかが、だんだんわかってきた。
バングラディッシュの主要農産物は
ジュートである。
麻の一種であるジュートを
先進国に輸出しているが
二束三文で買いたたかれていた。
先進国は、原料を途上国から安く買い
付加価値をつけて高く売る。
だから、途上国はいつまでも貧しいままだ。
途上国が、現地で製品を
つくるようにならなければ
貧困から脱出できない。
そこからが、彼女らしいところである。
「じゃあ、バングラディッシュでバッグをつくろう」
ジュードバッグをつくって日本で販売する。
日本だけではなく、台湾や世界に広げていこう
と動き出したのである。
ただ、彼女は20代半ばである。
工場をつくろうにもお金はないし
誰も信用してくれない。
そこで必死で口説いた。
自分でデザインをして
そして苦労に苦労を重ねて
ようやく最初のバッグをつくった。
全部で160個のバッグを持って
日本に帰ってきた。
次はどうやって売るかが問題である。
そこで、1軒1軒お店をまわって
バッグを売ってもらうようおに願いした。
ルートもコネもないから、最初は
「バングラディッシュのバッグって何?」
「それ売れるの?」
と言われたそうである。
彼女は 「マザーハウス」 という会社を立ち上げた。
いま、日本で7つの店舗を展開している。
彼女はまだ30歳そこそこの
とても小柄な女性である。
どこにこんなエネルギーがあるのだろうか
と思うほど、彼女と一緒にいると刺激を受ける。
彼女の身近な人は
彼女のことを 「突破力」 だと言う。
彼女は、自分が見た夢をすべて叶えている。
夢を叶えるために、頑張り通す。
京セラの創業者、稲盛和夫さんが
僕にこう言ったことがある。
「田原さん、この世の中に
失敗というのはないんだ。
失敗というのは
チャレンジを諦めたとき
それを失敗という。
100回でも200回でも
続けていれば失敗はない」
彼女は、まさにその通りの人である。
彼女の話を聞いて
僕は非常に刺激を受けた。
彼女がこんなに頑張っているのなら
僕ももっと頑張らないと
と思った。
本日は以上です。
熊本で遊ぶ。熊本でお仕事。どちらもお泊りなら
→ http://www.kamenoi.com/kashima/ (o^-')b
小さいから楽しいホテルの経営