我々人間には
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五感が与えられている。
今までそれは当たり前なこととして、特別な意味を考えたことはあまりなかったように思う。
しかし、文明を創造してきた人間は五感を鈍らせるような代用品を次々と発明して活用する一方で
自然に備わっている五感をどんどん鈍らせているのではないだろうか。
視覚と聴覚は普段の生活の中でよく使っている方だと思う
、嗅覚、味覚、触覚は何か特別な用途にしか使わなくなっているように思う。
味覚は料理の味ばかりではない。
味覚をもつから「味わい」が理解でき、嗅覚をもつから「匂い」を察知することができるし
触覚をもつから、肌にもゾクゾクと感じることができる。
こうした五感をもっと積極的に意識してフルに活用していくと
もっと物事に深い感動を得ることができ
人生がもっと生き生きしてくるはずである。
ヘレンケラーの伝記は子供のころ読まれた人も多いと思うが
彼女は1歳9カ月の時に、原因不明の病気で視覚と聴覚を失い、触覚によって物質を覚えていった。
水に触れることで水という物質を知り、それがWATERであることを手のひらの感覚で記憶していった。
さらには11歳では話す奇跡も実現している。
嗅覚や触覚によっても立派に世界を認知できるのである。
こういった話題は、たびたびテレビや雑誌でも紹介されたりして驚くことがあるが
大部分の人たちは五感を十分に活用してるとはいえないのではないだろうか。
もっと五感を働かせるようにすれば
いま見えないものが見え、感じられないものが感じられ
味わえないものが味わえ、匂わないものが匂うようになるはずである。
五感をもっとよく働かせるよい方法は
とりあえず視覚をさえぎってみることだそうだ。
はじめてバードウォッチングした人が双眼鏡で必死に鳥を探し
見つけられないでがっかりしていると、ベテランがこう教えてくれたそうだ。
「耳を澄ませてごらんよ。ホラ、まわりにいっぱいいるじゃないか」 と。
するととたんに幾種類もの鳥のさえずりが耳に飛び込んできたという。
見えない世界も豊穣な世界なのである。
本日は以上です。
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