ともすれば我々は、何かを失ってはじめてそれがいかに大切なものであり
その大切なものに恵まれていた自分がどれだけ幸せであったかを思い知る。
今、原発事故や東日本大震災で被災された方々など特に痛切に感じておられることだろう。
またそういう状況を見たり聞いたりする我々もまたしかりである。
また極限的状況は無かったとしても、たとえば病気になって
はじめて自分が健康なときどれだけ幸せだったかがわかる。
片方の腕をケガして、はじめて両手が使えることのありがたさがわかる。
自由に歩き回ることができる足も、美しいものを見ることができる目も
好きな音楽を聞くことができる耳も、健全に使えることが
いかにに素晴らしいことかしみじみと思い知らされる。
「人間が不幸なのは、自分が本当はいま幸福であることを知らないからだ」 といったのは
ドストエフスキーである。
彼なんか無実の罪で処刑されそうになった
。ある事件に巻き込まれて捕まり、死刑宣告を受けた。
いよいよ死刑執行ということで、刑場へ引き出され
銃殺する寸前に減刑の使者が到着して九死に一生を得た。
ドストエフスキーや今回の大震災で被災された方々のようなものすごい体験をすると
大抵のことは何ほどのこともないという気になってくるのではないか。
不幸ぶって愚痴やボヤキが出るうちはまだ幸せなのだ。
一つ覚えておくとよい法則がある。
「自分の身に降りかかる問題は、
常に自分で解決できる範囲内である」
という法則だ。
これを知っていればどんな境遇でも人生楽しめるのではないだろうか。
本日は以上です。