江戸時代の庄屋屋敷・『御馬下の角小屋』 | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

熊本市北部町四方寄(よもぎ)の国道3号線沿いにある

 

『御馬下(みまげ)の角小屋(かどごや)

 

江戸時代

質屋・酒屋を営み財を築いた庄屋で、堀内家(旧赤木家)の住宅です。

熊本市の有形文化財に指定されています。

 

現在の国道3号線は往時の豊前街道であり

大庄屋堀内家の住宅ではありますが、その建物が立派であったことから

熊本藩(細川家)と薩摩藩(島津家)の大名が参勤交代の際

休息所として使用していました。

 

御馬下とは

旧村名。昔はこのあたりは御馬下と呼ばれていたのです。

 

角小屋とは

角屋は屋号、小屋は店を意味します。

 

 

★国道3号線(旧豊前街道)沿いにある御馬下の角小屋


『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 

★裏側に駐車場及び入館口はあります
『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 

通称「角小屋」は江戸時代後期の建物で

その構造は、表道路に面した商売を行う店・茶の間・中の間などの商家としての部分と

 

奥の大名などの休息に使われた御成の間・次の間・御用人の間の屋敷部分が合わさったもので

建築上大変貴重なものです。

 

また、日本で初めての落下傘部隊の隊長である堀内豊秋の生家であり

堀内豊秋は堀内家最後の当主であります。

 

 

館内には

明治維新の際に明治新政府の参与に命ぜられた細川護美(もりよし)のお供をして

京都に赴いたときの記録「見聞記」や参勤交代の古文書等

江戸時代から昭和に至るまでの堀内家の記録が

当時の暮らしを今に伝える道具類とともに数多く残されています。

 

 

 

★表道路に面した店屋部分
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★帳場周辺「店の間」

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帳場には番頭が座り

金銭の取り扱いや品物の出し入れ

販売を行っていました。(今のレジにあたる)

 

 

★屋敷部分

 

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高い木組みの吹き抜け天井、年を経て、つやびかりする見事な大黒柱

用材、それに施した家運繁盛の打出の小槌などの木象眼など

日本古来の木造建築の良さが目を引きます。

 

 

★御成門
『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~


一般の出入口とは別に殿様などが利用していた御成門。

 

篤姫等もここから入ってきたのでしょう。

 

 

★玄関を入ると御用人の間
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人形でもドキっとするぜ!(^_^;)

 

 

殿様などの御小休(おこやすみ)の折は、主客が御成の間

家老や重臣が御次の間、御用人はこの部屋に居ました。

 

それぞれの部屋は、身分に応じて、床、屏風、ふすま、釘かくしの意匠や

便所の造りも違っていました。

 

 

★庭の方から見る御成の間
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★奥が御成(おなり)の間
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手前が御次(おつぎ)の間

 

 


★天章院篤姫
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篤姫は天保六(1835)年

薩摩藩主島津家一門のひとつ今和泉

島津家島津忠剛の一女として生まれました。

名は一子。

嘉永三(1850)年

第十三代将軍徳川家定の夫人に関して島津家に打診があり

藩主島津斉彬は聡名・気丈さを見込み一子を斉彬の実子として鶴丸城に迎え入れ

篤姫と改めました。

嘉永六(1853)年

将軍家へ嫁入れのため鹿児島を発った篤姫は

8月29日

御馬下の角小屋に休息、茶菓と柿・西瓜を献上したと記録されています。

 


★殿様の便所
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便所の下には砂が厚く敷きつめた砂箱が置いてあります。

 

殿様の大便はそのたびにごとに、ご典医が調べたそうです。

なお、便所の横には、常に警護の者が待機していたとのことです。

 

篤姫もこのトイレを使用。

この地方名産の西瓜(スイカ)をたくさん

 

食べ、何度もトイレに行ったそうな・・・。

番頭利助によると、おしっこのスゴイ音がしたと記録に残っているそうな・・・。

 

宮崎あおいちゃんを想像したらいかんぜよ・・・(*^.^*)

 

 

で、この時ついてきていたのが、西郷隆盛。

 

 

 

★当時の暮らしを今に伝える道具類がいろいろ・・・。
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★昔のかまど、台所の道具
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窯にある真ん中の鍋の横にあるのが「銅壺」

 

 

 

★こちらの建物は現在資料館
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★細川家の姫駕籠(複製)
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駕籠の本体部分は、幅95.7cm、長さ136.5cm、高さ122.5cmあり

内部には、旧肥後藩主細川氏が参勤交代のときに使用した

御座船「波奈氏丸」が描かれています。

 

重さが100kgあり、6人で担いでいました。

 

★肥後の主要街道(参勤交代の道)
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豊前街道は熊本札の辻を起点として

「新一丁目御門~

二の丸御門~筑後・筑前~豊前小倉」に通じており

肥後藩・薩摩藩等が参勤交代のとき使用した街道で

豊後街道・薩摩街道・日向街道と並ぶ肥後の国における主要な「街道」でした。

 

 

★四方寄六地蔵
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御馬下の角小屋の前(道路側)にある六地蔵は竿石が長く

 

 

15世紀後半から16世紀半頃の形態で戦国時代のものと思われます。

 

六地蔵とは

石仏の一種で、悩み・苦しみに救済の手を伸ばしてくれる菩薩として

六体の地蔵菩薩を祀る風習が行われました。

彫ってある地蔵尊像

半肉彫りで雲に乗る(一般的には蓮華に乗る)珍しい姿であり貴重なものです。

庚申塔は、塔身正面に線刻され、中央に鬼を踏みつけた青面金剛像

その左右下に二人の如童子が向い合って侍立しています。

 

 

 

御馬下の角小屋(みまげのかどごや)

 

 

 

 

 

熊本市北部町四方寄1274

096-245-2963

入館料200円

休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始

 

 

 

 

本日は以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒ 小さいから楽しいホテルの経営

 

 

 

 

 

 

 

 


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