河港の面影が息づく「川尻」の町~ (2-1) | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

熊本市川尻(かわしり)

数多くの史跡が存在する歴史と伝統の町!


日本で4ヶ所しか存在しないという藩政時代の御蔵が二棟残っている。

河港の面影が息づくこの街は、車ではなく歩いてまわったほうがいい

・・・そんな街だ。

 

 

 

 

 

川尻は中世から水運を利用して、熊本の外港として発展した。

 

 

今からおよそ400年前、加藤清正によって町づくりが進められ

 

政治経済の中心として発展した。

その後細川氏の政治になると

藩主御茶屋をはじめ奉行所等が置かれた。

河港界隈には回船問屋・旅籠・料亭などが軒を連ねた。

熊本の物流拠点として栄えたこの一帯は

川尻刃物や開懐世利六菓匠(かわせりろっかしょう)に代表される和菓子

熊本特有の酒「赤酒」を造る酒蔵など

今なお古くからの伝統文化を継承する古い街並みが残っている。

 

 

 

 

 

 

★国指定史跡 川尻御蔵前船着場跡
『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 


★手前が現在もそのままの様子を残した石段
『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 

川尻は肥後藩の軍港で、年貢米集積・積出港であった。

 

ほとんどの年貢米は、水運を通じて、飽田・詫麻・益城・宇土の四郡十八手永から

二十万俵が川尻の御蔵に集められた。

その年貢米の荷揚げや船積のために設けられたのが、この船着場である。

潮の干満や水量の増減に影響を受けないように長さ百五十メートルにわたって

十三段(後に一段積み増す)の石段を設けており、当時は大勢の労働者で賑わっていた。

 


★改修されてきれいな散歩道になっている部分
『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~


★石段に当時の面影を残す
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★船着場にある恵比寿さん。
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川尻には、ここと他に3つのえびすさんがある。


★船着場の前にある川尻公会堂
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川尻公会堂は今でいう公民館のさきがけとなった施設。

 

上田休(やすみ)と町奉行所跡
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この辺りは、川尻奉行所があったところでもあるが

 

今でもこの町の救世主として多くの人に語り継がれている

上田休(やすみ)と町奉行所跡の看板が立っている。

 

船着場跡からほど近いところにある御蔵(おくら)


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★川尻の御蔵
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江戸時代、細川藩の年貢米の収納庫は

熊本・川尻・高瀬・八代・大津・久住・鶴崎の七ヶ所にあり

その一つがここ川尻に設けられ 「川尻の御蔵」 と呼ばれていた。

 

江戸時代の御蔵は現在日本には4ヶ所しか残っていない。

 

盛岡市の御蔵、鳥取県湯梨浜町藩蔵、宇土市の御蔵、

そしてここ川尻の御蔵だ。

熊本には宇土と川尻の二つの御蔵が残っていることになる。

貴重なものである。

 

★藩蔵
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御蔵の裏側に建っている藩蔵。

収められた年貢米を貯蔵し

各地に振り分けて納めるための倉庫。

 

 

そこからまたほど近いところにあるのが、札座(ふだざ)

 

 

★川尻の札座跡
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江戸時代の享保年間には大変な飢餓が続き、細川藩の財政は大変厳しいものであった。

藩は享保十七年(1732)に幕府の許可を得て、藩札(紙幣)を発行することとなり

藩札をする札座を藩内八ヶ所に置いた。

その一つが港町として栄えていた川尻のこの地に置かれた。

 

 

★御船手渡し跡
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正面奥には3月開通した九州新幹線鉄道が・・・

 

この杉島と川尻のあいだには、上流から中之島渡し(大慈寺渡し)

 

杉島渡し、御船手渡しの3つの船渡しで結ばれていた。

参勤交代のときには

藩主の御座船である波奈之丸や、泰宝丸なども入港する熊本藩の海軍基地として

も全国に名をはせていた。

(豊後鶴崎と肥後川尻は熊本藩御船手の所在地としても名高い)。

 

また、近くに米蔵「御蔵」があったため、蔵物の監視の役目も果たしていた。

御船手には早船を含めて150艘近くの船があり、江湖(川の入り江)には

たくさんの軍船もみられた。

藩船の乗組員たちが外城町への買い物に利用していたのが

この御船手渡しであったが

明治以降次第に衰退していった。昭和36年(1961)廃止。

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。 次回へつづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒ 小さいから楽しいホテルの経営

 

 

 

 

 

 

 

 


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この場所から眺めると歴史の流れを感じることができる