種田 山頭火 と 「味取観音堂」 | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

漂泊の俳人、種田 山頭火 

 

明治15年(1882)~昭和15年(1940)

 

 

 

★種田 山頭火
『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 

 

“ 放浪の旅 ”の出発点となったのが、熊本市植木町の九州道植木IC近くにある

味取(みとり)観音堂 <曹洞宗 瑞泉寺>です。

 

 

 

★国道3号線から入ってすぐのところに入口があります。
『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 

 


世間から脱し

自由を愛し、酒を愛し、行脚の旅を続けながら俳句を作り続けた山頭火は

行乞(ぎょうこつ)の俳人として知られています。

 

 

明治15年(1882)山口県の造り酒屋に生まれましたが

11歳のとき母親が投身自殺

これが一生の心の傷となります。

 

大正5年(1916 35歳)

家が破産し妻子を連れて熊本に移り住み

下通りに文具店「雅楽多(がらくた)を営むことに。

しかし自身の

苦悩から逃れることができず、家業は妻に任せ、酒と俳句に埋没する日々を送ります。

ある時、泥酔して進行中の路面電車の前に立ちはだって

電車をストップさせるという事件を起こします。

山頭火の身の危険を案じ熊本市内の曹洞宗 報恩寺まで連行され

翌年に寺の住職を導師として出家得度します。

 

そして、大正14年3月 43歳のとき

熊本市味取観音堂の堂守となったのです。

 

 

★積み木のように積み上げられた本堂への石段
『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 

 

★味取観音堂<曹洞宗 瑞泉禅寺>
『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~


『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~
 

その脇は、神武神社への、さらに石段が・・・。


『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

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しかし、堂守も1年2ヵ月しか続かず

大正15年の春4月(1925 44歳)

 

『解くすべもない惑ひを背負うて』、その後も行乞流転の旅に出ます。

これが、種田 山頭火、漂泊の俳人の始まりだったのです。

 

昭和15年(1940 59歳)10月11日

山頭火は四国松山の一草庵でで波乱の生涯を閉じました。

 

お墓はふるさと 山口県防府市にありますが

奥さまが熊本に住んでおられた関係で

分骨されて熊本市横手町安国禅寺(北岡自然公園の北方)にもあります。

 

 

★味取観音堂にある句碑
『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 

松はみな 枝垂れて 南無観世音 』 山頭火

 

山頭火の俳句は

自由律俳句(五七五の形式にとらわれない俳句)

 

平易で飾り気のないことばが、独特の雄大な雰囲気をかもしだし

しみじみと心にしみとおる句となり

没後70年以上たった今なお山頭火ブームは衰えることがないのです。

 

 


『ちょっと一服!ボクがおもうこと 』 “小さいから楽しいホテルの経営” ~siawase亀blog~

 

 

社務所に下げてある鐘

山頭火も撞いた鐘なんでしょうかねぇ。

 

松風に 明け暮れの 鐘撞いて 』 山頭火

 

 

山林独住の、しずかと言えば静かな

 

さびしいと思えば、寂しい生活であったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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