日産自動車の看板車種を育て上げ「スカイラインの父」
と称された桜井真一郎氏(81歳)が死去された。
「スカイライン」の開発・設計を、初代の車(1957年)~
7代目(1989年)までの32年間にわたり担当、リードしてきた人で
名車としての礎を築いたとして2005年に日本自動車殿堂入りを
果たされている。
走行性能と操縦性能に優れた設計にこだわり、64年には2代目の
スカイラインGT が日本グランプリのレースで、スポーツカー
「ポルシェ904GTS」を抜き去る快挙を遂げた。
当時、車と共に青春を謳歌した、ボクらの年代の連中にとって
「スカイライン」という車は、まさしく憧れの車であった。
今でもマニアの間で人気が高い3代目、通称“ハコスカGTR”
当時としては、驚異的な最高出力160Ps,最高速度200Km/h、
0-400m ではなんと16 秒というパフォーマンスを誇り、
サーキットでも49連勝を含む通算50勝を達成。
スカイライン神話を確立するなど数々の栄光に輝いた、
日本を代表する名車中の名車である。

次の4代目に登場したのが、あの・・・
「ケンとメリーのスカイライン」(1972.9 ~ 1977.8) つまり、
ケンメリ(彼と彼女の)、~愛のスカイライン~である。
外国名(というより米国)とも、日本名とも取れるように付け
られたケン、メリーの愛称は、瞬く間に若者たちの人気となり
スポーツセダンとしての名声を不動のものとし、累計販売台数
も歴代最高の64万台を達成するベストセラーとなった。
ケンメリのCMは、なんと全部で16種類が製作されたという。
70年代の伝説のフォークグループBUZZが歌う~愛は風のように♪
は、今でも心に焼き付いている。
日本の道には、愛するメリーを乗せて走るケン達のスカイライン
が輝いていた。
~車に夢があった時代だ~
そして、5代目が「スカイライン ジャパン」
ボクが勤労学生時代に、初めて乗った愛車だ。
いったい何人のメリーを隣に乗せて走ったことか・・・?
なんて、ひとりつぶやいてみる(笑)
愛車スカイラインと○○ と
若かりし夢多き青春時代のおもいでは
・・・・いつまでも大事にしまっておこう。
桜井真一郎氏のご冥福をお祈り申し上げます。
本日は以上です。

2011くまもと世界の蘭展にて撮影