滋賀県「こども基本条例」制定過程をみて思うこと | Beyond―愚直に、ひたむきに生きるー

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独立研究者として子ども・若者参画について論文を執筆しています。ちなみに発達障がい当事者でもありますo(≧∀≦)o。よろしくお願いします。

 「こども基本条例」の制定に向け、検討を進めている滋賀県で条例案を審議する審議会で事務局(県)と審議会委員との間で意見が対立しているとの報道が流れています。記事によれば、あくまで、こどもの権利の実現に軸を置くべきとする審議会委員に対し、「目指すべきゴールは違う」とする事務局との間で対立が続いているとのこと。

 こども家庭庁設置の際にも、その名称について当初、こども庁とされていたものが、自民党保守派への配慮として「家庭」の文言を入れた経緯があり、問題の構図はこれと全く変わっていません。子育ての社会化に対し、こどもの育ちには、まずもって家庭の役割や責任を強調し、重視すべきというのが保守派の主張です。

 しかし、こうした家庭の強調は、例えば、保護者からの虐待で苦しんでいるこどもや何らかの事情で一人親世帯になり、必ずしも裕福とは言えず、貧困で苦しむこどもに対する配慮が欠けていると言わざるを得ません。こうした家庭においては、まず、その役割や責任を強調するのでなく、社会全体でこどもを支え、「君は一人じゃない」ということをメッセージとして発していくことがまず、重要ではないかと思います。

 「家庭」の強調は、家庭というものが必ずしも居場所にならないこどもを追い詰めてしまうことになること、そうした環境に置かれた子どもたちの苦しみや悲しみに思いを馳せる想像力が社会全体で求められていることを事務局である県は十分に認識すべきではないでしょうか。